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小沢氏で本当に変身できるのか

変身できない日本の政治
池田信夫氏はこれまで自身のブログ、ツイッターなどで小沢氏代表選出馬の意義と動向について断片的に語ってきた。そして、4日のニコニコ動画での対談をきっかけに具体的な見解を述べるようになった。そして、9月8日の「JBPRESS」に解かり易く、動向と展望について一定の結論を表明した。既に自身のブログに昨日から述べているものだが、今回はより丁寧な説明と分析で結論的に論じている。タイトルは『ネットで盛り上がる「小沢ブーム」は危険な兆候か・大手メディアとネットで分かれる小沢支持率』となっている。少し長文になっているので、下記に結論の一部を転載する。
 
仮に彼が首相になっても、民主党の迷走する政策がそれほど大きく変わるとは思えないが、それでも小沢氏に期待できる唯一のポイントは、彼が今の停滞した政治状況を打開できる政治力を持っているからだ。

 特に衆参の「ねじれ」によって、国会審議は難航が予想される。部分連合は極めて困難で、党内基盤の弱い菅首相では、安倍晋三首相や福田康夫首相のように行き詰まる可能性が強い。大連立や解散による政界再編は避けられないだろう。それができるのは、小沢氏しかいない。

 小沢氏の政治手法は古いが、古いなりに一貫している。彼が20年前に感じた「2で割る政治では駄目だ」という限界は、いまだに日本の政治の本質的な問題である。
 日本の政治を揺さぶり続けてきた彼の総仕上げとして、一度は首相になって、馴れ合い政治の「壊し屋」として力を発揮してもらってはどうだろうか。

先ず、ネット投票にみる圧倒的小沢指示の背景を、若者を中心にした首相としての能力本位と期待度から、「政治とカネ」の問題を案外軽視する傾向にある現象を説明している。つまり、虚偽記載云々で能力ある剛腕政治家を葬るよりも、自分たちにとって将来的に少しでも期待できる首相誕生のほうが得策だという解釈だ。なるほど若い世代の考えそうなことだと理解出来なくもない。

さらに、党内での二重権力構造による、政策不一致、政治の空回り、「政権交代」の真空化にもうウンザリしている空気が蔓延していることから、このへんでびしっと、白か黒か、どちらでも良いがある種の方向性を明確にして欲しいと国民が思っている。そこで、池田氏は、従来型の『足して2で割る政治は限界だ』ともっともな指摘をしている。

結論的には、菅政権で政策、対策の渋滞をきたし、国と国民に不利益を助長するよりも、早い段階で新生日本の政治を構築して、国際競争力に打ち勝っていかなければ、アジアにおいても取り残されていくという見解だ。

このように指摘されれば、何となく理解してしまう私たちだが、そうかと言って、この際、「政治とカネ」の話などどうでもよい。将来よりも明日の糧だと早合点するにも躊躇われる。若者はそうかもしれないが、「わたしたち」はそうはいかない複雑な諸事情が諸々にある。僅かなニュアンスの違いを抱えながら、理念を政治の場で活かしていくには、これからも気の遠くなる時間が要することを何となく了解する次元に立っている。

「ガラガラポン」の政治体制は今までにもあった。「わたしたち」は必ずしもそれが変革的に生まれ変わったという実感に乏しい体験をしてきている。さらに言えば、自民党でも、民主党でも駄目なことが沢山ある。その意味で、小沢氏の剛腕政治であればできるというのは、極めて神話的、政治の基本である具体的取り組みからかけ離れている。

一日でも早い菅内閣の解散を望むのであれば、この際、小沢氏に首相をお願いするのは確かに選択肢としてある。しかし、新組閣の下で政策を軌道に乗せるには少なくとも半年は掛かる。そうであれば、その間にも、菅政権は行詰まるかも知れない。しかし、この行詰まりは、菅首相支持でない、みんなの消極的支持によってもたらされた否定である。ここで、「政権交代」とは何であったかを噛みしめる機会が国民に与えられたと考えるべきである。

掛け声とマスコミの煽りで政治を感じ探ることは、決してよい結果を国民に及ぼしてこなかった。これまでにも嫌というほど体験してきている筈だ。少しはこのへんで学習能力を高める時でもある。政治に対する過度の期待は、裏切られることを覚悟して冷静に淡々と判断していかなければならない。

池田信夫氏の摩訶不思議

4日、ニコニコ動画出演のインタビューは、池田氏と上杉氏だったようだが、池田氏は早速、インタビュー記事を自身のブログに掲載している。タイトルは「変わる小沢、変わらぬ小沢」。

池田氏の小沢評は、私の展開している見解と不思議と同調気味で安堵するものだが。取り敢えず、同調部分の一部を下記に転載する。

ただ具体的な政策については、ほとんど中身がなかった。バラマキ福祉の財源を「特別会計の組み替え」で捻出するという話も、この1年、鳩山・菅政権でできなかったことだが、小沢政権ならできるという裏づけはない。「世代間格差への怨嗟の声が強まっている」という質問にも「正社員の比率を法律で規制する」という、およそ自己責任とはほど遠い答だった。

小沢氏が「権力の亡者」だというのは神話だが、彼がどんなむずかしい政策も実現する「剛腕」だというのも神話である。彼の政治経歴は1勝10敗ぐらいで、過大な期待はできない。しかし確実にいえるのは、菅政権のままではねじれ国会は乗り切れないということだ。人々が小沢氏に期待しているのは、民主党としての政策の実現ではなく、政界を「焼け野原」にして組み替えることだろう。

政策実現に全く期待していないというのも飛躍した話だが、こと、財政、金融、防衛、安全保障となるとそれぞれ特段の認識がある訳ではない、誰をブレインに起用するか、リーダーとしての力量に一応の期待は持つだろう。政権の花は人事権にある。

ところが、金融大臣に竹中平蔵氏のカンバックというサプライズが起きれば話は別だ。小沢シンパの周辺には本気でそう考えている人々がいる。せめて榊原英資氏あたりというのなら何となくだが・・・。

結局は、池田氏は自己責任論のあくの強い「変わらぬ小沢」に期待するのだが、小沢氏は大型財政出動に走る傾向は十分にある。このへんの大いなる矛盾を正面切って大上段にもの申す政治手法を「剛腕」と国民はカン違いしているところに、相変わらず、段違いの永田町政治家と国民の並行乖離がある。

何れにせよ、「変わらぬ小沢」の場合は、『政界を「焼け野原」にして組み替えることだろう。』というのは、昨日私もブログで主張した、本人念願の保守二大政党制の実現に向かって突っ走るだろう。

久々に、池田氏の主張とほぼ同じような小沢批評にむず痒さを感じなくもないが・・・。

小沢氏のマスコミイメチェンの方向性

3日前のワイドショー「小沢一郎 ワイドショー生出演 雄弁」の記事を読んで、偶々、番組をみていたので、「日刊ゲンダイ」には苦言となるが、この機会に小沢氏の策謀していると思われることに触れてみる。

小沢氏は立候補を明言してから確かに雄弁に語り始めた。しかし、3日朝のテレビ朝日「スーパーモーニング」においても、予算の財源問題は、ただ「財源はある」捻り出せるということだけで、「政権交代」後の財源捻出の過程に触れず、組み換え、イジルだけで捻出できると主張するばかりでその具体的な方法論には言及しなかった。

また、普天間問題にしても、前鳩山政権での「日米合意」を踏まえつつ、対等な日米交渉による沖縄県民の説得策があると言うだけでその具体的な戦術は皆目披露することなく、結局は「今はない」と発言した。

「スーパーモーニング」コメンテーターは小沢氏と話をするだけでうれし顔に終始して、当の小沢氏は、「小沢がやれば何でもできる」という剛腕神話で煙に巻く答弁に終始していた。

これは、記者クラブでの会見内容も同じだ。そして、小沢陣営の応援団長達も同じ掛け声だけで、「小沢先生がやれば解決する、日本を導いてくれる」と掛け声ばかりである。国民不在の永田町、危険なイデオロギーが蔓延する真空地帯へ走り込む幻想願望集団化になりつつある。

よく思い起こせば、小沢氏の代表選出馬の発言の諸々は、「政権交代」直後の鳩山首相の昂揚した理想論の羅列で具体的な結論をだすのに8ヶ月近くも費やしたという御慰めに終わった発言集とよく似ている。さらに、遡れば小泉郵政選挙のような活況を呈している。最近の永田町における議員先生たちの目の輝きがちがうという、何を血相変えて走りまわっているのか、私たちには理解に苦しむ。

「政権交代」がもたらした理念と価値は、見事に首相としては低能過ぎた鳩山、菅両氏によって粉々に粉砕されてしまった。そして、さらに、鳩山前首相においては、代表選の前に救いようのない、茶番、失態劇をやらかしてしまった。付ける薬がないというのはこのことだ。その罪は万死に値するなどの常套句では言い表せない汚点を社会に落としてしまった。そして、「しばらく静かにして頂くことが、民主党にとっても日本にとってもよいことだ」の菅首相発言の記憶が生々しい状況で、小沢氏が宣戦布告する絶好の道筋をつくってしまった。

ここで、覚醒しなければならないのは、他ならぬ私たちである。もはや信頼に足る議員先生などいないということを学ぶべきなのだ。しかしながら、国民の多くは、闇将軍の小沢氏の剛腕ぶりを表舞台で一度は見てみたいという野次馬的心境になっている。何と言っても本邦初公開になるのだ。誰も剛腕リーダーの雄々しい政治力を見たものがいない。だから、千両役者の出番を待ち望んでいる。

国民の願望を逆手に取った展望を少し示すだけで、株価は跳ね上がるかもしれない。それにともなう付随効果が出るかも知れない。この「かも知れない現象」に国民が集中する世相は、かなり荒廃、沈着した横這い下降にある時代背景を背負っているものだ。そして、最悪の事態は、不安の為にこの現実を忘却していることだ。

今後、日本はこの現象で常態化するという、考えたくないその不安を「かも知れない現象」が小沢待望論に結実する方向に向いている。それは、時間の経過とともに熱を帯びてくればくるほど確かな小沢教に帰依するようになる。

そして、願望の小沢政権誕生となって、これからという状況で、恐らく解散総選挙になると思われる。そして、小沢氏が終始念頭にある、大連立構想、保守二大政党制の枠組みで小沢流安定政権と突入するだろうと思われる。小沢教信者にとってもこの安定はそう居心地の悪いものではないはずだ。

但し、「私たち」にとっては、最悪のシナリオが実行されたことになり、政治との係わりを超絶した生活を己に強いることになるだろう。そうかと言って、菅政権続投であっても、何れ遅いか早いかの方向性をもつ可能性が大であることには違いない。何れにせよ、戦後は終り、新日本の誕生ということになるだろう。何処においても田舎の風景は変わらないかもしれないが、そこに漂う空気はもはや戦後ではないものだ。

住民の覚悟が問われている

西日本新聞は9月1日、『阿久根市長 地域施設建設に待った 「維持費地区負担を」住民は反発』のタイトル記事を掲載している。
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/194512
9月3日に市長以下執行部と市民が市政について意見交換する市民懇談会を開く、その課題を伝えている。下記にその内容の一部を転載する。

建設費約1億3千万円のうち国と県で80%補助し、市は残りの約2500万円の負担が必要。県が4月、本年度の事業実施にあたり、市に負担金支払いの確認を求めたところ、竹原市長は維持管理の地区負担を条件に同意するとの方針を示した。このため、地元区長などは7月21日、維持管理は市が負担して建設するよう市長に要望。しかし、市長は「建設の考えはない」と決断し、市は8月中旬、県に事業を停止するよう連絡したという。

 竹原市長は、民間保育園の移設新築の補助金申請書類の決裁を拒み、事業が棚上げになる事態も招いている。同市は9月3日に市長以下執行部が市民と市政について意見交換する市民懇談会を開く。専決処分で副市長に選任された仙波敏郎氏は「恒久的に維持管理を税金で賄うことに市民が納得できるのか」と話し、同施設の問題などを懇談会で市民に問い掛ける予定という。

結論から言うと、市長の決断、「建設の考えはない」は正しい。補助事業の凍結を地域主権の象徴として今後、中止の決断をしていけのが真っ当な判断である。箱もの公共事業の維持管理の問題は、全国全て破綻しているのが現状である。その実態は、既に国民が近年十分学習している筈だ。

問題になっている、06年7月の豪雨災害における折多小体育館の床上浸水だが、近年の豪雨状態から考えて、ゲリラ豪雨を回避する新施設の建設は全てイタチごっこに終り、万全の解決策にはならない。災害を脅し文句に公共事業を長らく続けてきたが、そろそろ住民はこの目眩ましから脱皮しなければ、自ら生活を窮地に追い込むことになる。既にそうなっていることが多いのが現状だ。

今までと照らし合わせて「不公平だ」と叫ぶ前に、現実周辺の認識を深め、模索、解決策を見いだしていくのがこれからの住民の政治参加のあり方である。御上にいつまでも頼っていたら、それこそ尻の毛まで抜かれてしまうことになる。

今が正念場だ、阿久根市民の民意が問われている。「阿久根が変われば 日本が変わる」。

冷静さを失う植草一秀氏

小沢引退説の現実に益々、冷静さを失う植草一秀氏

8月23日の植草一秀氏のブログタイトルは『対米隷属悪徳8人衆を糾弾する原口総務相正論』となっている。

「原口一博総務相は22日、佐賀市内での民主党佐賀県連の会合で党代表選に触れ、「民主主義の原点を踏み外した発言をすべきではない。推定無罪の原則が民主主義の鉄則だ」と語った。検察審査会の議決を控えた小沢一郎前幹事長の立候補に、問題はないとの考えを示したものだ。

民主党代表選をめぐっての鍔迫り合いが加速するなか、ますます最後の足掻きで小沢信者達はエキサイトしている。なかでも植草一秀氏は、小沢復権をかけて最後の追い込みに余念がない。しかし、その形相は常人をやや超えているようだ。

というのは、小沢出馬説に異議を唱えた岡田外相発言に対して、原口総務相が「推定無罪の原則が民主主義の鉄則だ」と、問題にならないと一蹴したことに対し、直ぐさま岡田氏は、「岡田外相、原口総務相の「推定無罪」発言に反論」した。つまり、原口総務相発言は正論であると岡田外相を糾弾しているのだ。

 【バンコク=石川有希子】岡田外相は23日、民主党代表選に、政治資金規正法違反事件で検察審査会が審査中の小沢一郎前幹事長が出馬することの是非について「推定無罪は法律の問題だ。政治倫理の問題でどうなのか、次元の違う話だ」と述べ、望ましくないとの考えを改めて強調した。

確かに、岡田外相の発言には、危なっかしい表現がただ有るにはある。しかし、今回の『次元の違う話だ』というのは、法律畑出身にしては適切な表現になっている。

政治は、権力志向欲の塊連中とその時の感情を一票にしている国民の気分で成り立っているのだ。どちらもどちらだという議論上で危なっかしい展開が日々繰り返されている。従って、然程、信頼できない「政治倫理」という言葉も出てくる訳だ。そうでもしなければ、社会が治まりつかないからだ。従って、この場合、『次元の違う話だ』ということもいきてくるのだ。

植草氏も現在の若者文化の一つであるマンガ本のようなタイトル「対米隷属悪徳8人衆」などと煽らずに、もっと状況判断が容易にできる内容の説得力あるブログにしてはどうだろうか。ランキング3位は素晴らしいが、その倍のアクセスがある1位の三橋貴明氏の社会という基盤の蓋を開ければその支持率は先刻承知のところだった。ネット社会を侮るつもりはさらさらないが、『次元の違う話だ』に対する視野も養っておく必要は十分にある。

「政権交代」に泥を塗り続ける民主党

落選後になぜ?廃止論者の死刑執行
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100729-OYT1T00282.htm
《同省側は法相に対し、裁判員裁判で国民が死刑か無期懲役かという重い判断を迫られるようになったため、それでも執行を避け続ければ国民の理解を得にくいことを強調していた。
(中略)
千葉法相は就任直後から、「死刑に関する議論を巻き起こさないといけない」と繰り返し、刑場を国民に向けて公開する必要性も説いていた。ただ省内には、執行を先送りしたまま公開だけを進めれば、死刑廃止に向けて歩を進めていると受け取られる恐れがあるという懸念もあった。「執行とセットでの情報公開」が、双方のぎりぎりの妥協点だった。》

民主党の議員は、信条、理念と政治的実践はどうも違ったことになるらしい。どちらが優先かは別にして、この食い違いは人格に及ぼすこと大であることから周辺を驚かすことになっている。このことは、多くの民主党議員は与党政権党としての権力者であるという自覚が持てないからかもしれない。しかし、知らずに権力を行使するほど物騒、危険なことはない。

特に、千葉さんの場合は、今回落選した時点でのインタビューで
明解に、「皆さんが、もういいんじゃないかという判断をされた。私に責任があり、重く受け止めている」とコメントしていたのだから、やはり法務大臣をきっぱりお辞めになっていたら周辺に混乱を招かなかった。

なお、死刑廃止論者として、「死刑に関する議論を巻き起こさないといけない」と主張していたのであれば、もっと早い段階でいろんな国民論議の展開があって当然である。さらに、「執行とセットでの情報公開」が、双方のぎりぎりの妥協点だった。》とあるが、省幹部との確執は、基本的には「刑を執行しない」は法律違反であるのだから、違反を覚悟して粘ることで国民論議に仕向けるのもありと考えたのかも知れないが、それ以前に、議員としてのプライドを最大限自覚して、理念、信条を主張して国民論議をする為に、法務大臣を辞退するという選択肢もあった訳だ。即ち、主義的に日本の法務大臣は出来ないという意思表示だ。立派なことではないか。

最近もこの例があったではないか。自己の基本的主義主張を展開する為に国会議員になったにも関わらず、副大臣での仕事がしたいといって、それが適わない腹いせに離党して、仕事ができない無所属になった議員がいるのと、その内容本質においては同じである。政権での役職による人格変化を引き起こすという現象だ。世間では「大臣病」という。同じ国会議員でも、自分の前にドアマンが居るのと居ないのとでは、日常の生活感覚が違うのは当たり前だ。やはり、天皇陛下から役職を賜るということの有難さは、経験者でなければ解からない、という現実だ。

両者に共通して言えることは、「権力」という魔物の怖さが理解できていないのである。つまり、この場合、権力は外部に向かったのではなく、自己の内にベクトルが向いていたという現実である。権力はそれをもった自己の人格も同時に暴力的にある種の破壊をもたらす、それを変節という、権力に度胆を抜かれてしまった人間のことだ。

民主党にはまだまだ沢山いる。昨日も「前原国交相、海老麻央披露宴で両院総会欠席」ということが伝えられた。「政権交代」を願った有権者が大に関心、心配している民主党の展望について、喧喧ガクガクしている最中に紋付き袴はないだろう。こんな時にしか着用出来ないからかも知れないが、状況を弁えたら別の対処もあったというものだ。このように権力の魔力によって議員の本来あるべき発想の基盤がぐにゃグニャにされてしまっている。

「政権交代」に美事泥を塗った民主党は、一旦、出直した方が良いかも知らない。サミットでの写真序列など気にする必要はない。

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ルース大使を広島に入れるな

核なき世界へメッセージ 米大使の広島式典出席
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201007290242.html
「ルース大使は8月6日に米国を代表し、第2次世界大戦のすべての犠牲者に敬意を払う」。クローリー米国務次官補(広報担当)は28日、大使の式典出席を発表。米政府高官はその理由について「適切な時期に示す適切なジェスチャーだと判断した」と述べた。

【つぶぶろ】先ず、アメリカの謝罪が先だ。原爆死没者慰霊式は、広島での原爆死没者の為の式典であって、第2次世界大戦のすべての犠牲者の為のものではない。『米政府高官はその理由について「適切な時期に示す適切なジェスチャーだと判断した」と述べた。』、フザケタことを言うな。「適切なジェスチャー」などいらない。広島市民は、丁重にルース大使の式典参加を御断りするべきである。恥の上塗りは避けるべきだ。

戦争終結を早める為であったとしても、無差別被害想定外の実験的一般市民を標的にした原爆投下爆撃は許されるものではない。また、日本は断じて許してはならない。

歴史は、世界が侵略的構図のなかでの第2次世界大戦であったことを刻んでいる。従って、日本は、侵略した国に対して、「謝罪」と「賠償金」を支払い、正常な外交関係を構築してきた。それが歴史というものだ。

もう一度言っておく、広島市民は、ルース大使を原爆死没者慰霊式に入れてはならない。

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政治家は誰の話もマトモに聞かない

民主が有識者呼び敗因分析(7月26日痛いニュース)
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100725/stt1007251925001-n1.htm

【つぶやきブロ】有識者の選考基準がよく解からないが、殆どが月並みなスピーチで終わるのが落ち、そして、聞く方もそれぐらいは解かっている、しかし、政治の永田町の政界はそう簡単にいかないのだと腹の底で思い込んでいるものだ。

マスコミ、ネット情報、テレビ発言収集等、その他の日々発信される政府、閣僚等、政策に関する情報収集、それこそ一元化する対策室、既に自民党時代からある訳だが、そのベクトルは、犯罪防止、政府批判鎮圧材料に向かっているシステムを少し方向転換して政策、政治展望に向けられる力量のある人材が執行部周辺に居ればよい。但し、本人が聞く耳をもつかどうかの話だ。

菅首相は、市民運動出ということであるが、市民の声を聞くよりも、奥さんの意見をよく参考にするのが慣例であるようだ。というのも、言っておくが、市民運動と言っても、ピンからキリまである。どの基準で政治家が市民運動に携わった、続けているという捉え方は極めて曖昧だ。

例えば、前原議員は、以前から長良川河口堰を解放する、八ッ場ダムを中止するなど市民の目の前で吹聴していたが、その中止権限がまさかであるが、把握した時点において、トーンダーンして継続審議に転換している。さらに言えば、最近またのまた話題になっている、小豆島の新内海ダム着工騒ぎであるが、この現地国立公園「寒霞渓」を訪れた鳩山前首相を筆頭とする全ての議員が中止と叫びながら、いざ本能寺の時は、棚に上げて今は着工決行寸前である。つまり、政治家で市民派を名乗るものにロクな議員がいない(但し、名乗らない議員は話にならない)ということだ。さらに始末が悪いのは、にも拘らず相変わらずその議員達を頼り続ける市民が居るということだ。これではいつまで経ってもグルグルまわりで、その時のお国の都合で蒸し返されるだけである。

本当に民主党でよいのか3

今やすっかり民主党新聞の看板を掲げる「日刊ゲンダイ」は、今回大胆な選挙広報、民主党への投票呼びかけを行っている。全国紙としては珍しいことである。

いよいよ選挙日まで残すところ5日を切った訳だが、大手各紙の世論調査はかなり正確な票どりを算出してきている。言えることは最近の世論調査(民主党は過半数ピンチ…みんなの党が第三党へ)はそれなりの結果を伴うので、各党は世論調査に神経質にならざるを得ない。今回の「日刊ゲンダイ」の民主党への投票呼びかけもその一つの表れだと思う。しかし、紙面のタイトルとその内容は、露骨を飾るようで、恥も外聞もない、これが公共性あるマスコミの主張化と思わせる内容で読むほうが赤面するものだ。ここまで肩入れしなければならない根拠はどこにあるのだろうと訝しく考えさせられてしまう。先ずはこの調子だ。

7月3日に掲載さえているタイトルは、「決断迫られる選挙民 今この国の有能政治家は全員民主党に結集している」になっている。

 政治評論家の有馬晴海氏は「自民党の一部は小池百合子元防衛相にしたいようです。というのも、小池であれば、日本初の女性首相という売りものができる。逆に言えば、それくらいしか、自民党にはセールスポイントも人材もいなくなっているのです」
 参院選でも応援で目立っているのは1年生の小泉進次郎というていたらく。

自民党に対しては、政治が出来る人材が皆無に等しいとまでバッサリ切って捨てるが、民主党については、『それにひきかえ、民主党にはベテランから若手までなかなかの人材が揃っている。ベテランから若手までキラ星のごとく人材がいる』と捲し立てている。そして、いつものごとく、「政権交代」を実現させたのは、小沢一郎先生であると誉めちぎり、その他はキラ星の人材とヨイショの大盤振舞だ。そして、『この層の厚さは大したものだ。』となる。さらに、今回の若手候補者が素晴らしいと続くのだ。正に、何かに中ったような民主党賛辞で紙面が塗りつぶされているのだ。そして、極めつけの御負けは、『菅直人の奇兵隊内閣は庶民派内閣が売りだ。日本の将来を託す参院選では、こうした人材の厚みも吟味して、投票に行くべきだ。』となる。ここまでくればヤケクソかと思うより、立派と褒めるしかない惨状になっている。

この状況を受けて、真っ当な有権者からは、話は分るが、ちょいといきすぎではないかと話題になっている。いくらなんでも、1面に大見出しで、「選挙民は民主党一本に投票する必要がある」(6月30日発売号)と掲げ訴える姿勢は、民主党ビラと何ら変わらない。ネット上の「2ちゃんねる」では、公選法違反ではないかと盛り上がっているそうだ。1日の「Jキャストニュース」(『日刊ゲンダイ「民主に投票呼びかけ」 公選法違反といえないがネットで波紋」』)はこの話題を取り上げて、マスコミの特定政党への投票呼びかけは、公選法に触れないのかを論じている。

選挙は一種祭り事だから少々派手な文言が並んで丁度よいとする向きもあるが、今回の参議院選挙は、日本の局面を決定付ける極めて重要な選挙であることを思い起こす必要がある。今の日本は、三か月前はひと昔のような時間軸になってしまい、今の話題で物事を決定し続ける慣習になっている。もはや、鳩山、小沢前政権の陰りも感じさせずに時代が進みつつある。前政権時での問題は、完全に払しょくされたが如く将来を展望するという、さらに、同じ与党政権党であっても、所変われば品変わる方式で大きく政策転換をする状況が出来つつある。

争点のすり替えは、なにもこの選挙に限ったことではないが、今回も財政再建を最大スローガンに掲げ、増税止むなし論、景気対策に軸足を置いているが、全く争点になっていない。むしろ各党が避けている沖縄の普天間基地移設問題が完全に過去の決着済みとして扱われている。

一月前は、日本の安全保障のあり方、最後の「日米安保」見直し論が沸騰寸前に話題性を提供していた筈が、「菅政権誕生と同時に「日米合意」が前提の更なる「日米同盟の深化」がカナダサミット日米首脳会談で合意されてしまっている。普天間問題の公約実現が果たせなかった、その為に引責辞任したことで決着を図った、それが「日米合意」ということであるが、地元合意なしの政府間政治決着は、この場合は、今回は特別に沖縄県民ならびに国民との合意形成が優先される事柄である。

鳩山前首相が辞めて、これで日本が永劫的に「日米同盟」を深化させますということにはならない、そんなバカな話はない。とすれば、鳩山前首相という始めから終りまでよく解からなかった国会議員の罪は万死に値するどころか、国賊として国民裁判にかけなければならない。現実に宜野湾市の伊波洋一市長が国を相手に、合意の無効確認提訴(政府、訴訟争う構え 仙谷氏 宜野湾市の提訴意向で)に踏み切るらしい。

既に話題にならなくなったが、沖縄から政権政党の候補者が出せないというのは、前代未聞で、「あ、そうか」の次元の話ではない。にも関わらず、政権与党が、外交、普天間問題を争点から隠す現状(外交・安保論争が低調=「普天間」避ける首相−参院選)の方向付けを率先している。この現実は看過できない事態である。

このような現状を真剣に憂うとすれば、小沢民主党を掲げる植草一秀氏のような見解に至ることになりかねない。7月5日のブログタイトル、「庶民大増税=大企業減税阻止が参院選最大争点」で、結論は『参院選での民主党大勝を確実に回避しなければならない。』というものだ。そして、極めつきの呼びかけになる。

そのためには、小沢一郎氏に近い候補者を個別に支援し、政党としては国民新党や社民党をしっかりと支援することが必要である。
参院選後に政界の大洗濯を実行しなければならない。

前回にも結論で述べたが、植草一秀氏の主張は満更でもない。因みに、「満更でもない」は、かなり気に入ったという意味であると書いたが、今回は最終回なので、筆者からも呼び掛けることにする。こと外交、安全保障の問題で、真っ当に普天間基地問題を論じられるのは社民党でしかない。また、前回、政党として筋を通したことを評価して支持するのは、当然、国民の義務的投票行為であると考える。そして、候補者を一巡すれば、過去の実績からも保坂展人ということになる。
そこで、自問自答したい、「本当に民主党でよいのか」。

本当に民主党でよいのか2

消費増税論議で始まった選挙

参議院選挙が公示、「政権交代」実現後、初めての国政選挙である。24日、早くも新宿小田急前で熾烈な17日間の戦いの幕が開けられた。

近年、日本社会は、目まぐるしいほどのスピード展開の下で社会がうごめいている。日めくりカレンダーで顔が変わり、政策が変わるというある種異常な政治状況で国民生活は振り回されている。なかでも歴史的といわれた「政権交代」が昨年8月にあり、前鳩山内閣が発足し10カ月、新たな菅政権が誕生、沖縄普天間の「日米合意」だけを受け継ぐ形で新たな政策を掲げて始動、参議院選挙に突入した。

菅首相は就任早々、「強い経済、強い財政、強い社会保障」のスローガンを掲げ、その基盤に消費税増税と企業減税策をぶち上げた。根拠は、自民党も消費税10%引き上げを謳って選挙に臨む姿勢を先取りしての戦術にでた訳だが、国民と野党のリアクションの早さと過激さに閣僚共々、発言を軌道修正せざるを得なくなり、支持率を9ポイントも落とすことになっている

従って、野党陣営からの攻撃は、10兆円消費税増税と大企業減税阻止を参院選の争点にされてしまった。この文言の響きは、国民にしてみればどこから聞いても不快なものでしかない。選挙での増税アレルギーが少しは払拭されてきたという報道もあるが、やはり、この払拭には、国民が体で理解出来るような具体的な施策が実行されなければやはり無理だということだろう。

「第二のギリシャになる」、前自民党時代にも使い古された官僚の常套脅し文句はもう通じない、菅首相が一番知ってそうな文言を自ら言うところに、官僚に取りこまれた二人三脚内閣と見破られる脆さを早くも露呈している。元のイラ菅が韋駄天の菅に変身している。やはり総理の椅子は菅氏をもってしても変えてしまう魔物が潜んでいるのだろう。当初、国土省ポストに駄駄を捏ねていたあの辻元清美氏ですら、就任後は借りてきたお姫さまに変身、連立離脱の辞任式で泣くのだから、閣僚の椅子には人間を変身させる魔の力が、しめしめとほくそ笑んでいるのだろう。

一時的にせよ、民主党にとって選挙出陣状況は、政権誕生の祝儀気分支持率という訳にはいかなくなった。既に身内筋からも猛反発が起きていて、ややもすると選挙に影響を及ぼしかねない雰囲気になっている。特に、「政権交代」の公益を一番に掲げて、その立役者(小沢一郎氏)を民主党の守護神のように奉っている植草一秀氏等は菅首相発言、政策に猛反発している。

何かにつけて、小沢民主党に対する盲信的言論が目立つ植草一秀氏に対しては、筆者も冷静に対処するように呼びかけているが、こと経済、財政ということになると、やはりそこは専門家である。今回は、説得力ある筆者も反論する必要のない的確な主張だ。それは、6月23日のブログ「大資本減税庶民大増税提唱の菅路線は挫折する」というタイトルだ。ズバリ『菅路線は挫折する』と明言している。そこで植草氏のかなり選挙動向に突っ込んだ内容の主張を一部紹介する。

参院選では、民主党内小沢氏グループ候補者を個別に支援する以外、比例区では国民新党、社民党を支援するのが主権者国民の正しい選択であると考えられる。
9月代表選をもって菅政権に終止符を打ち、主権者国民の意思を尊重する民主党代表を選出して、もう一度、主権者国民政権を構築することがどうしても必要である。政府支出の無駄排除なき消費税大増税に突き進む菅民主党に対しては不支持の姿勢で臨むことが求められる。

いきなりの菅内閣民主党に対する先制攻撃だ。つまり、『9月代表選をもって菅政権に終止符を打ち、・・・・もう一度、主権者国民政権を構築することがどうしても必要である。』と説いている。財政立て直しは、景気回復による税収の自然増が望ましいので、消費増税による対策は、反って回復を遅らせ、政府の無駄削減にブレーキをかけることになると警告している。

それを先ず可能にするのが、民主党が野党時代から主張してきた「天下り根絶」を速やかに徹底することだと再々主張している。実はこれが「政権交代」でのいの一番に実施しなければならないことであった。実効性の担保がない「事業仕分け」と蓮舫議員のチャーミングでは何ともならない。そして、実施されなければならなかった、「公務員給与と議員給与の削減」、これもこのご時世では特に大事なことである。これは、「痛みを分ちあう」社会づくりの、国民に対する具体的な説得力ある施策である。

つまり、永田町一丁目の身内から無駄削減に奮闘してから、庶民に対する消費増税案の提示がどう考えても筋道である。どうやら、韋駄天の菅首相は、財政再建による増税が錦の御旗になっていると勘違いしているようだ。また、法人税減税も目玉的に打ち出しているが、植草氏は、2007年11月、政府税制調査会が発表した見解を紹介して、菅首相の主張が誤りであることを証明している。

政府税制調査会が2007年11月に発表した「抜本的税制改革に向けた基本的考え方」の17−18ページに以下の記述がある。
「法人実効税率とは、国・地方合わせた法人課税の表面税率のことである。我が国の法人実効税率は、国際的に見て高い水準にあり、引き下げるべきという議論がある。この問題を検討するに当たり、当調査会は、平成19 年度の税制改正に関する答申を踏まえ、課税ベースも合わせた実質的な企業の税負担、さらに社会保険料を含む企業の負担の国際比較を行った。また、企業減税による企業部門の活性化が雇用や個人の所得環境に及ぼす影響等についての調査・分析を行った。課税ベースや社会保険料負担も考慮した企業負担については、モデル企業をベースとした試算において、我が国の企業負担は現状では国際的に見て必ずしも高い水準にはないという結果も得た。」

さらに、「しんぶん赤旗」は、24日、『法人税 「40%は高い」といいながら実は…』のタイトルで大手企業の法人税率を紹介している。
なんと、ソニーの12.9%を筆頭に、百社平均が33%であると紹介している。そして、極め付けは、『「日本の法人税はみかけほど高くない」と財界の税制担当幹部自身が認めています。』とある。政府官僚、経団連が説明しているのだ。国民をバカにするなと菅首相に怒鳴りつけたい。

そんな訳で、今回の植草氏の主張は至極まっとうで勉強になった。やはり専門家には一理も二理もある。それから推して、『参院選では、民主党内小沢氏グループ候補者を個別に支援する以外、比例区では国民新党、社民党を支援するのが主権者国民の正しい選択であると考えられる。』というのは、満更でもない。因みに、「満更でもない」は、かなり気に入ったという意味である。そこで、自問自答したい、「本当に民主党でよいのか」。
【流動 2001】
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