やはり小沢教を信奉するものは、立場、世間的地位に係わらず、トンチンカンなバカと思わせる発言を最後には発するものだ。ブログ名称のサブタイトルに「文藝や哲学を知らずして政治や経済を語るなかれ」と謳っているが、6月19日の『こんな「保守」に誰がした』を掲載するようになればもはや終りだ。言論人として幕を降ろし、「帰りなん、いざー山崎行太郎君」とつい呼びかけたくなる。
20日に『「岩手日報」で捏造コラム(小沢一郎への引退勧告)を書いた宮沢徳雄よ、恥を知れ』を投稿した同一人物とはとても思えない。この論評は、さすが江藤淳氏の弟子(自称)を名乗るだけのことがある真っ当な解釈論で唸らせるところは認めるが、然しだ、いざ政治ごととなると別人に変身するその発想は、自ら信条とする「文藝や哲学を知らずして政治や経済を語るなかれ」の真逆を披露している。その精神構造を理解することができない。
上記の文言からも判るように、山崎氏は現在の日本の状況、自ら立っている地盤の匂いが全く理解出来ていない、解かろうとする努力も持ち合わせていなかったことを世間に周知したということだろう。
『「社会党」や「共産党」のようなキレイゴトやタテマエを振りかざす革新政党が大嫌いであり』というのは個人の見解であり、70年安保当時も超傍観者であったこともさておくとして、戦後の日本民主主義は、大嫌いな『キレイゴトやタテマエ』を少なくとも念頭において政治というものを牽引せざるを得ない状況で戦われてきた現実を現実主義者である山崎氏は放棄してきた、「文藝や哲学」を知る、考えることを拒否してきたのだ。それを今さら、『その自民党や保守層の現在の状況はどうなっているのかと観察していると、「貧すれば鈍す」ではないが、見るも無残な状況と化しているではないか』と宣うその根性が理解できない。こういうのを明き盲というのだ。
小沢教信者だから、今、教主が民主党から排除された容になっているから、民主党が惨敗することを願っているなどと尋常ではいえないことだ。山崎氏は、今日の有権者をB級層などと国民を小馬鹿にしたことをよくいうが、現在、幼稚ともみえる民主党政権であっても、しかし、自民党にはもはやあと戻りしたくないという極めて真っ当な判断を下しているのが一般的な国民である、そのことは民主党支持率に明確に現れている。それが、現実である。
文学も哲学も机上論であると歴史的批判を浴びながら、今日においてもその実践性が話題になるのは、常に「現実」が存在論という形而上学として哲学されてきた所以である。文学や哲学の基礎を取りはらって政治を語るその姿勢は、もはや血迷った常軌を逸する行動のなにものでもない。
悪いことは言わない、ボロが出尽くす前に、「帰りなん、いざー山崎行太郎君」。
20日に『「岩手日報」で捏造コラム(小沢一郎への引退勧告)を書いた宮沢徳雄よ、恥を知れ』を投稿した同一人物とはとても思えない。この論評は、さすが江藤淳氏の弟子(自称)を名乗るだけのことがある真っ当な解釈論で唸らせるところは認めるが、然しだ、いざ政治ごととなると別人に変身するその発想は、自ら信条とする「文藝や哲学を知らずして政治や経済を語るなかれ」の真逆を披露している。その精神構造を理解することができない。
《しかし「田中角栄逮捕劇」や「自民党の社会党化」、そして「小泉的構造改革」へという自民党の思想的な崩壊過程を見ながら、僕の自民党への愛着も関心も次第に薄れていき、自分でもよく分からないが、いつのまにか「反自民党」的、「反保守」的になっていった。今回の民主党内の政変劇を見ていて、「やはり自民党しかないかな」と思い始めたところ、それではと、その自民党や保守層の現在の状況はどうなっているのかと観察していると、「貧すれば鈍す」ではないが、見るも無残な状況と化しているではないか。「自民党の解党的出直し」と口先では言うが、それはなかなか困難な作業だろうと思う。》
上記の文言からも判るように、山崎氏は現在の日本の状況、自ら立っている地盤の匂いが全く理解出来ていない、解かろうとする努力も持ち合わせていなかったことを世間に周知したということだろう。
『「社会党」や「共産党」のようなキレイゴトやタテマエを振りかざす革新政党が大嫌いであり』というのは個人の見解であり、70年安保当時も超傍観者であったこともさておくとして、戦後の日本民主主義は、大嫌いな『キレイゴトやタテマエ』を少なくとも念頭において政治というものを牽引せざるを得ない状況で戦われてきた現実を現実主義者である山崎氏は放棄してきた、「文藝や哲学」を知る、考えることを拒否してきたのだ。それを今さら、『その自民党や保守層の現在の状況はどうなっているのかと観察していると、「貧すれば鈍す」ではないが、見るも無残な状況と化しているではないか』と宣うその根性が理解できない。こういうのを明き盲というのだ。
小沢教信者だから、今、教主が民主党から排除された容になっているから、民主党が惨敗することを願っているなどと尋常ではいえないことだ。山崎氏は、今日の有権者をB級層などと国民を小馬鹿にしたことをよくいうが、現在、幼稚ともみえる民主党政権であっても、しかし、自民党にはもはやあと戻りしたくないという極めて真っ当な判断を下しているのが一般的な国民である、そのことは民主党支持率に明確に現れている。それが、現実である。
文学も哲学も机上論であると歴史的批判を浴びながら、今日においてもその実践性が話題になるのは、常に「現実」が存在論という形而上学として哲学されてきた所以である。文学や哲学の基礎を取りはらって政治を語るその姿勢は、もはや血迷った常軌を逸する行動のなにものでもない。
悪いことは言わない、ボロが出尽くす前に、「帰りなん、いざー山崎行太郎君」。
