流動2001

社会情勢論考サイト

「帰りなん、いざー山崎行太郎君」

やはり小沢教を信奉するものは、立場、世間的地位に係わらず、トンチンカンなバカと思わせる発言を最後には発するものだ。ブログ名称のサブタイトルに「文藝や哲学を知らずして政治や経済を語るなかれ」と謳っているが、6月19日の『こんな「保守」に誰がした』を掲載するようになればもはや終りだ。言論人として幕を降ろし、「帰りなん、いざー山崎行太郎君」とつい呼びかけたくなる。

20日に『「岩手日報」で捏造コラム(小沢一郎への引退勧告)を書いた宮沢徳雄よ、恥を知れ』を投稿した同一人物とはとても思えない。この論評は、さすが江藤淳氏の弟子(自称)を名乗るだけのことがある真っ当な解釈論で唸らせるところは認めるが、然しだ、いざ政治ごととなると別人に変身するその発想は、自ら信条とする「文藝や哲学を知らずして政治や経済を語るなかれ」の真逆を披露している。その精神構造を理解することができない。

《しかし「田中角栄逮捕劇」や「自民党の社会党化」、そして「小泉的構造改革」へという自民党の思想的な崩壊過程を見ながら、僕の自民党への愛着も関心も次第に薄れていき、自分でもよく分からないが、いつのまにか「反自民党」的、「反保守」的になっていった。今回の民主党内の政変劇を見ていて、「やはり自民党しかないかな」と思い始めたところ、それではと、その自民党や保守層の現在の状況はどうなっているのかと観察していると、「貧すれば鈍す」ではないが、見るも無残な状況と化しているではないか。「自民党の解党的出直し」と口先では言うが、それはなかなか困難な作業だろうと思う。》


上記の文言からも判るように、山崎氏は現在の日本の状況、自ら立っている地盤の匂いが全く理解出来ていない、解かろうとする努力も持ち合わせていなかったことを世間に周知したということだろう。

『「社会党」や「共産党」のようなキレイゴトやタテマエを振りかざす革新政党が大嫌いであり』というのは個人の見解であり、70年安保当時も超傍観者であったこともさておくとして、戦後の日本民主主義は、大嫌いな『キレイゴトやタテマエ』を少なくとも念頭において政治というものを牽引せざるを得ない状況で戦われてきた現実を現実主義者である山崎氏は放棄してきた、「文藝や哲学」を知る、考えることを拒否してきたのだ。それを今さら、『その自民党や保守層の現在の状況はどうなっているのかと観察していると、「貧すれば鈍す」ではないが、見るも無残な状況と化しているではないか』と宣うその根性が理解できない。こういうのを明き盲というのだ。

小沢教信者だから、今、教主が民主党から排除された容になっているから、民主党が惨敗することを願っているなどと尋常ではいえないことだ。山崎氏は、今日の有権者をB級層などと国民を小馬鹿にしたことをよくいうが、現在、幼稚ともみえる民主党政権であっても、しかし、自民党にはもはやあと戻りしたくないという極めて真っ当な判断を下しているのが一般的な国民である、そのことは民主党支持率に明確に現れている。それが、現実である。

文学も哲学も机上論であると歴史的批判を浴びながら、今日においてもその実践性が話題になるのは、常に「現実」が存在論という形而上学として哲学されてきた所以である。文学や哲学の基礎を取りはらって政治を語るその姿勢は、もはや血迷った常軌を逸する行動のなにものでもない。

悪いことは言わない、ボロが出尽くす前に、「帰りなん、いざー山崎行太郎君」。

本当に民主党でよいのか

先日から相次いで民主党若手中堅幹部が訪米している。最近、テレビでよくみる顔で、特に幹事長代理となった細野豪志氏は、先日まで政界で泣く子も黙る勢いのあった小沢前幹事長の期待の側近、若手ホープと目され、女性スキャンダルもある何かと話題の多い4回当選の39歳になる議員だ。

もう一人は、長島昭久防衛政務官、当選3回の48歳。防衛オタクとして自民党の石破議員と対比される民主党切ってのタカ派である。

さて、安保の時代を知らない青二才議員がこともあろうに米国で日本の安全保障について持論を吹聴している。

6月18日、日米同盟50周年シンポジウムに参加した長島昭久防衛政務官は、自民党前政権当時の日米関係に戻すべき必要性を訴えたと「MSN ビデオ」は伝えている。

『長島氏「インド洋海上活動を再び活発に」 アメリカ・ワシントンを訪問した防衛省の長島政務官は、シンポジウムでこのように述べ、多国籍軍への給油再開などを念頭に、インド洋への海上自衛隊の派遣を再検討すべきとの考えを明らかにしました。』

また、同じく参加している細野豪志幹事長代理は、「シーレーン防衛を強化=日米同盟の機能的拡大目指す」と講演で強調したと時事通信は伝えている。

《「民主党は日米同盟の機能的拡大による深化を目指す」と述べ、シーレーン(海上交通路)防衛に積極的に取り組む考えを表明した。

細野氏は「民主党は結党以来、緊密で対等な日米関係を外交の基盤としてきた」と述べた上で、「日米が直面する困難な課題について、これまで以上に自らの責任を果たす覚悟を持っている」と強調した。》

長島昭久防衛政務官は鳩山前政権当時からでも、鳩山前首相と反対の安全保障論を憚りなく論じていて然程驚きもしないが、細野豪志幹事長代理が日米同盟深化論を覚悟で述べたというのは少し意外である。しかし、菅首相が就任第一声に「日米同盟基軸」の堅持、深化を表明したのだから両者の声明も当然と言えばいえる。晴れて民主党安全保障の持論を展開できる訳だ。

菅首相が、鳩山前首相の跡を受けて、変節ともいえる「日米合意」を表明したことで一気にタカ派的方針を全面に出してきたと言ってよいだろう。具体的には「多国籍軍」への自衛隊実践部隊派遣構想の実現に向かって動きだしたということだ。

つまり、細野氏が言っているように、『民主党は結党以来、緊密で対等な日米関係を外交の基盤としてきた』、『これまで以上に自らの責任を果たす覚悟を持っている』発言に全てがある。最大限の注意を喚起しなければならないのは、「これまで以上に」という文言だ。即ち、旧政権自民党よりも具体的に積極的に対応するということの声明である。

さらに詳しくは、長島昭久氏のブログに掲載されている、「日米安保改定50周年」のタイトルに書かれている内容をみれば一目瞭然に解かる。

では、同盟を安定化させるためには何が必要か?
・・・そのことを理解するには、日米同盟の基本構造を理解しなければならない。

日米同盟をめぐる問題の核心は、(成立時から今日に至るまで一貫して・・・)
日米同盟の基本構造をどのように考えるか?

基本構造:「有事のリスクはアメリカ、平時のコストは日本」

日米安保条約5条、6条:相互防衛条約になっていないユニークな同盟
・・・NATO「西欧・北米」、ANZUS、米韓、米比、米豪安保条約「太平洋地域」
・・・原因:敗戦のトラウマと憲法上の制約

要するに、『敗戦のトラウマと憲法上の制約』を追っ払うことにより、党是である、「緊密で対等な日米関係」が実現できると宣言しているのだ。

60年、70年安保世代を頭に、安保を知らない青二才中堅幹部が挙って、対等な日米同盟による深化を目指すという基盤が、民主党の「政権交代」によって実現されようとしている。皮肉なものだ。国民主権によって「政権交代」が実現され、晴れて「改憲」して、多国籍軍の一員になろうというのだ。今回の両議員の講演は、25日よりカナダで開催されるG8サミットでの日米首脳会談に合わせた、「日米合意」の日本の基本姿勢を明確にして置くための布石的意味合いのものだろう。これを基盤とすることで、オバマ大統領との積極的親密会談に弾みがつくとの狙いがあるものと考えられる。

恐らく、菅首相はオバマ大統領に『米国のプレゼンス(存在)はアジア太平洋地域の国際公共財だ』とでも宣うのだろう。みっともないの極みだ。これで民主党は、自主独立を掲げてその見返りに晴れて米国の属国になった訳だ。私たちが一時、信用した民主党が見事にその期待を裏切ってくれたのである。

そこでよーく考えよう。支持率60%以上という期待値は錯覚、幻想に過ぎなかったと真摯に素朴に受け入れよう。このまま野放しに期待だけを預けておいては、取り返しのつかないトンデモナイ事態に日本が陥没してしまうだろう。もはや時はすでに遅いかも知れないが、護憲、平和活動に常日頃活躍されている市民の方は、今一度、冷静にことの成り行きを見据えて、今度の参議院選挙を考える必要に迫られている。

山積する、医療、福祉、少子化、教育問題はその方向性において、どの政党も真正面から取り組まなければならない課題だ。ひと時も疎かに出来る次元ではない状況であることは、今や各党共通の認識に立っている。要するに、憲法を変えて、多国籍軍の一員になることが将来的に日本に何をもたらすかという現実の問題だ。ここを見誤っては取り返しがつかない。市民の知量と見識が問われている。冷静になれ、奮起せよ、最後の踏ん張り時だ。

本当は重体にある民主党

菅政権誕生と同時に、民主党の支持率はV字型の回復となった。国民は、永田町の力学と関係なく、鳩山、小沢両氏の辞任を最大限喜び、世襲とか派閥と遠いところから誕生した市民運動家出身の首相を歓迎した、そのことの結果だろう。

そして、本土は菅新政権を祝い、一転、祝賀ムードに沸いたのと裏腹に、沖縄では、怒りと憎悪を超えた「溜息」の坩堝と化した。昨年暮れから5月末までの国民的関心ごとであった「普天間基地移設」問題から、民主党政権が発表した「日米合意」により、日本はまたもや本土と沖縄が二分される精神構造となったようである。
その沖縄での現実は、菅新政権政党支持率が高いにも拘らず、「政権交代」を成し遂げた前回の選挙とは打って変わって、異常な事態に陥っている。

15日毎日新聞は、「選挙:参院選 民主、沖縄での擁立断念」のタイトルで、『全国の選挙区で唯一、公認、推薦候補がいない空白区になる』と伝えている。前回の候補者全員当選を考えれば、政権与党から候補者が擁立できないのは前代未聞かもしれない。

15日の午前、菅首相は沖縄での民主党理解を深める為に、初めて沖縄県知事と会談(「普天間移設、菅首相は沖縄県知事と会談」)したとのことであるが、内容は、前政権時と全く同じ返答であったことをマスコミは伝えている。

《普天間移設、菅首相は会談では菅総理が普天間基地の移設問題について、移設先を名護市・辺野古周辺とする「日米共同声明を踏まえて進めていきたい」との方針を示した上で、「沖縄の負担軽減については一生懸命取り組みたい」という考えを伝えました。

 これに対して仲井真知事は、「日米共同声明」について「県民の期待が失望に変わってしまった」として、「実現は極めて厳しい」と伝えました。》

この構図は恐らく選挙後も変わらず、菅政権と沖縄全土の対決姿勢が今秋の沖縄知事選で再度爆発することになる。早くも政権を揺るがすことになるだろう。

そして、問題はここから始まる。前政権の鳩山首相が沖縄県民に与えた混乱の責任をとるかたちで辞任したが、それで、沖縄の現実、事態回復になったかといえばそうではない。沖縄県民は怒りもさることながら呆れている。即ち、民主党政権に対して完全な不信任を与えたことになる。そこで、「普天間問題」を真摯に考えてきた本土の国民は、今の沖縄県民の「不信任決意」の決断をどれ程共有出来ているかということだ。

つまり、真っ当に考えて、民主党に対する「沖縄の怒り」は全国的に広がっていくだろう、これまでも特に昨年暮れから5月まで国民的議論になりつつあった。「全国知事会」会議でも分るように自治体レベルにおいてもその方向性が一時的にせよあった訳だ。だから、「沖縄の怒り」は本土においても浸透、広がりをみせて当然だと考えたくなるのだが、果たしてそうだろうか。看板の架け替えだけで支持率を3倍にする国民が、果たしてどこまで沖縄の最近までを考えているかということだ。発足時の支持率は、期待値というのは理解できるが、昨日の沖縄県知事との会談からも判るように、菅新政権は沖縄県民にとっては完全な期待の裏切りでしかない。そして、私たちにとってもそうでしかない訳であるが、国民ということになると話は別だ。

というのも、民主党支持率を見る限り、国民は沖縄の問題に敢えて関心をそらして政治をみているとしか考えられないのだ。従って、一部保守陣営が望む、民主党惨敗の絵は描かれず、今や国民の多くが菅政権での長期政治政策の速やかな遂行を願っているとしか思えないような穏やかな雰囲気になっている。先日の首相の消費税発言(『(参院選 政策を問う)首相の消費税発言を機に論争を深めよ』)に対しても、国民の反応は納得せざるを得ない覚悟が出来ているようで大した反発がないようだ。

要するに、今回は意識的に沖縄問題に再び蓋をしてしまう、カッコ付過去形、完全に分離地域の特性化を断定することになる。これはしばし、「沖縄差別」論とか「沖縄ゴミ捨て場」論といわれるものだ。残念ながらというのは適切ではないが、民主党の圧勝ということもある。即ち、本土の国民は、悪質を内に秘めた善良な市民ぶることによって、日米同盟を享楽し続ける道を選んだのである。

さらに、この身勝手な快楽主義者たらんとする国民に対して、岡田外務相は何とやっぱりの恫喝的発言(普天間、「地元だけで決まらず」 岡田外相が強調)を繰り出す始末だ。何と罰当たりなことか。

寄ってたかって沖縄を虚仮にしているようだ。筆者もその一人として何ともお恥ずかしい限りである。ここのところ、どいつも総理の呆れる醜態にも拘らず、「日米同盟」だけが進化するという悪夢の連続だ。もう何ともならなくなったこのかたちをぶち壊す「時点」を何としてもみたいものだが。

百年戦争化するアフガン

アフガニスタンは1979年、ソ連軍のアフガン侵攻から現在に至るまで、戦渦が絶えたことがない、さらに、今世界で一番戦火が激しい国として世界中の軍隊を集めている。

日本では、最近こそマスメディアの報道が少なくなっているものの、戦禍が収束、首都機能における治安の安定化が進んでいるという訳ではない。現地では、米軍と援軍の増加による大規模掃討作戦にも拘らず、一向にタリバンの勢力減退、各地域での治安回復には至っていないどころか、相変わらず米軍の誤爆とタリバン、武装勢力の自爆攻撃と襲撃によって混迷を深めている。

15日朝日新聞は、久々に紙面を割いてアフガン問題の記事を掲載している。記事タイトルは「アフガンに巨大埋蔵鉱脈 金など92兆円規模、米調査」、米紙ニューヨーク・タイムズが報じたものだ。

【ワシントン=望月洋嗣】米紙ニューヨーク・タイムズは14日、アフガニスタン各地に1兆ドル(約92兆円)規模の鉱物資源が埋蔵されているとする米国防総省の調査結果を報じた。鉄、銅、金のほか、リチウムなどの希少金属も大量にあり、経済復興の要になると期待される一方、資源確保をめぐって反政府武装勢力タリバーンの攻勢が激化するとの見方もある。
(中略)
米国防総省内には「アフガンが『リチウムのサウジアラビア』になる」との見方もあるという。超伝導物質の原料になるニオブも大量にあるとみられる。

衝撃的な調査結果の発表となった訳だが、これまでのアフガンにおける戦争関係国は、出来れば撤退も視野に作戦を練ってきた訳だが、こうなるとそうもいってられない。所謂、植民地政策的戦略に基づいた駐留を考えて当たり前となる。しかし、問題を複雑化するのは、何もタリバンと反政府武装勢力だけではないのだ。既に、第二次アフガン戦争のどさくさ紛れにまんまと中国は、主要鉱山の一部の買収契約を済ませているのだ。従って、米国と援軍による権益と真っ向勝負がタリバンと武装勢力、さらに中国がその隙を狙ってアフガン政権幹部の抱き込み戦略に出る。まさに、百年前の中国自体を彷彿とさせる状況になってきている。

今後、中国は遅れを取ることなく、資源獲得競争に先手必勝の積極策で世界外交を展開する。そして、それとは裏腹に、日本は相変わらず資金援助はするものの、トンビにあぶらげをさらわれるという結果になっているようだ。近年ここのところ、選挙、選挙で夜が開ける状態が続き過ぎ、戦略的外交方針が打ち立てられない状況が続いているからそれも無理からぬ話だ。いっそのこと、菅政権は、アフガンから資金援助も含め撤退したらどうだろうか。政治空白は財政立て直しからというではないか。今後の「日米同盟」のあり様は、何でも付き合いありきで始めることの確認書ではないだろう。また、そうでなければ、日本もアフガンの百年戦争にこれからもずっと付き合わされることになる。

★人気ブログランキング参加中・1タイトルごとに1クリックをよろしく・・・人気ブログランキングへ

「与党ボケ」は早すぎる

先日、新閣僚会議の席位置が決まった、菅首相の両脇に留任した前原国交相岡田外務相だ。ところで、留任の根拠は判らない訳ではないが、このご両人の8か月前の初就任から、その仕事ぶりを眺めれば、当初は両者ともその分野において威勢のよい言動が目立ったように記憶するが、昨年末から最近は、漠然とした歯切れの良くない発言が耳障りになってきたという感じに終始しているとしか考えられない。

旧政権自民党時代の時もよくいわれた、「与党ボケ」の類いではないかと思わせる言動が、両大臣に限らず見うけられる。どういうことかといえば、政治主導で始まった民主党中心の連立政権が、前政権型と余り変わらないのではないかという疑問だ。

外交機密費、普天間、JAL債権問題、高速道路無料化、八ッ場ダムを筆頭にしたダム事業廃止問題等、全て尻窄まりになっているが、先日も可笑しな陳腐な発言をしているのには、いよいよ本格的な「与党ボケ」に陥ってしまったのかと愕然とするしかない。

12日の産経新聞は、「前原国交相が静岡空港を視察」と報じている。最後の県営空港として、採算を度外視した揉めに揉めて着工した曰く付きの公共事業である。日本の公共事業は赤字を前提に事業開始をするのも珍しくなくなったとはいえ、静岡空港も例に洩れず現実だが、この実態に対して前原国交相は、素人が聞いても仰天ものの発言をおこなっている。
 
静岡空港を訪れた前原国交相は「つくったものは徹底的に利活用する。(静岡空港は)うまくいっている例だ」との認識を示した。だが、開港前の県の需要予測138万人に対し、1年間の利用実績が約61万人と半分にも満たなかったことについては「予想自体がめちゃくちゃ。もっと国がきっちりと関与すべきだ」などと語った。

「盗人猛々しい」とはまさにこのことをいうのであって、前原大臣の思考停止状態がよく伺われる、官僚が主導して予算組も全て行ってこの言い草である。最近の前原大臣は、全てこの調子だ。官僚とがっちり与してするしかないと諦め(思考停止した)とも取れる発言になっている。つまり、「与党ボケ」の顕著な表れであり、政治家の本能であるポジション、権力志向が板に付いてきた、本物になってきたということだろう。さらに、その意味で執務室の椅子の値打ちが「与党ボケ」を後押しすることになっている。

自民党議員が与党の役職についても、もともと権力志向の塊、カネの代名詞といった感じなので余り違和感を覚えないが、野党民主党議員が政権要職を担うと、所変われば品変わるで、「ほんとかよ」とか「話が違うな」ということになり、その変貌ぶりと無能ぶりがどっと露呈することになる。そしてこの傾向は、どういうことになるかというと、自民党前政権よりも政治的にも悪い状況に進むということだ。その最たるものが、鳩山前政権での「日米合意」がそれだ。

民主党の現閣僚は、鳩山前首相の「日米合意」を非常に評価している訳だが、その理由は日米関係のあり方に一歩も二歩も前進があると説明している。その内容は、辺野古海上基地1800メートル滑走路での米軍との共同使用が盛り込まれているというのだ。その根拠は、鳩山前首相が普天間問題を通じて勉強した結果、「抑止力」の重要性を知り「自主抑止力」を高める為にも米軍との共同利用する辺野古滑走路が必要であるというのだ。何ともそら恐ろしい解釈か、行く行くはそうなると思っていたが、この際一気に「自主抑止力」を高める必要から、又もや「日米合意」に踏み切ったとは恐れいった。

思い起こせば4年前、筆者も「2プラス2日米協議」に疑義を抱き、「在日米軍再編」に絶対反対の声を上げなければ、日本はいよいよトンデモナイ事態になると警鐘する手立てに奔走したものだが、当時、護憲信奉の熱狂がその声を完全に掻き消してしまっていたというご時世であった。そして、「政権交代」を実現させたという民主党が、恐れていた現実を実現する決定を下したのだから人生何があるか判らない。

鳩山前首相の意向を受けた菅内閣は、政党支持率V字型回復をやってのけ、「日米同盟基軸」政策を遂行すると高らかに宣誓した。従って、もはや絶望である、見直しによる僅かな展望も語られることはないだろう。「自主独立路線」と「日米同盟」による段違い平行棒状態で全てが展開される。

「政権交代」から約9ヶ月、民主党は、鳩山前首相はトンデモナイことを仕出かしてくれたものだ。私たちが政治を考えれば考えるほど、日本はトンデモナイ国に向かっていくような気がする。皮肉なことに、団塊の世代内閣は、同じ世代の私たちに、そろそろ人生から退場せよということのサインを突き付けたのかも知れない。

★人気ブログランキング参加中・1タイトルごとに1クリックをよろしく・・・人気ブログランキングへ

植草一秀氏に告ぐ 冷静になれ

早速だが、「鳩山菅密約による小沢氏失脚工作真相が表面化」などの6月1日謀略などある筈がない。鳩山氏は母親、嫁から始まり周辺取り巻きに至るまでひたすら信じることだけを生きがいにしてきた男である、小沢氏を失脚させるなどの芸当ができる訳がない、出来るぐらいなら、先祖の墓にペンキを掛けられたり、大恥を掻いたりの辞任劇をもっとマシな格好で幕引きを演じられていた筈だ。菅氏にしてもいえることだが、こと大事な選挙に7回も落選することもなかろう。両者共に政治的絵を描くのは極めて下手な部類といえる。

植草氏が「政権交代」の意義を一番に掲げる政策に、「対米隷属からの脱却」を訴えている。失礼な言い方だが、最近つくづく見掛けによらない「自主防衛論者」だと感心する次第だ。その点からして、小沢氏の反米的と見られる言動に感服しているのだろう。今までの保守政党の議員にしては貴重な存在に映るのだろうか。

そこで、昨日あたりから、菅首相、枝野幹事長の鳩山前政権での「普天間日米合意」継承発言は、よほど看過できないものと考えるのだろう。枝野幹事長に対しては、「普天間問題対米隷属継続を宣言する枝野幹事長」と名指し駄目押しして、菅首相は『菅氏が就任したのは、アメリカ合衆国日本州知事か、アメリカ合衆国領日本総督府総統でしかない。』とメタメタに決めつけられている。要するに、「アメリカに魂を売った」というプロパガンダ攻撃に徹し始めているのだ。

そこで、この辺で植草氏に盲信から醒めた頂き、国民主権の「政権交代」が本来的な意義のもつ政治展望を語ってもらいたい為に、辛辣極まりない忠言をする。ここで改めて述べておくが、筆者は植草氏の主張発信には常々関心を抱き賛同することが多い。ただ、小沢氏のことになると途端に冷静さを失い理性的でないもう一人の植草氏が顔を出すので困っているのだ。自ら魔物に取り付かれたように、せっかくの展望を敢えてミスリードするかたちになっている。

植草氏の主張する「対米隷属からの脱却」は、恐らく戦後の日本人の内に秘められた願望であったと考えられる。筆者も戦後と共に生きてきた訳だが、好い加減な指摘になるが、どうも近年、ここ15年ないし20年の歳月によって、この願望が粉々に飛散する傾向になっているように思えて仕方がない。これは単に60年、70年代における悲惨な政治的事件から比較しての話ではなく、相対的文化論の拡大解釈によるゲンダイ社会といわれる現前する現象から大凡の判断でしかないのだが。

民主主義といわれるある種厄介な時間をもってから、何ごとも政治決着でしかその方向性を見いだせない社会に造りあげてしまった私たちは、その意味で「国」は政治家といわれる統治管轄に束ねられている。その意味で国民から選ばれた政治家は、善し悪しに係わらず「国」であり、私たちの方向性である訳だ。このことを例えば前提にして考えた場合、植草氏の指摘する、『小沢一郎氏が異常な集中攻撃を浴びてきたのは、小沢氏だけが日本の自主独立を実現し得る人物であるからだと考えられる。』との発言は、微妙なニュアンスをもつと感じなくもない。

しかし、これには注意を喚起する必要がある。つまり、何時も例に出される、社会党の「自衛隊違憲論」である。そして、近年、日米同盟が深化するほどに、「自衛隊の皆さん ごくろうさんです」といってご挨拶を繰り広げるのが慣習になってしまった。つまり、ここ20年程度の歳月で国民のほとんど90%近くを示すが、自衛隊の存在を認め、必要であるとの認識を確立するに至ったという現実を指しているのである。しかし、70年安保時代の終焉以後も依然として「自衛隊違憲論」が何となく国民に浸透、余韻としてあった。しかし、その意識の溶解はやはり20年前から始まっていたとみることができる。自衛隊の積極的容認の風潮は、1990年に発生した湾岸戦争をきっかけとして、さらに、その後の引き続き起こった震災での活躍などで急速に市民権を得る存在に変貌、第2次湾岸戦争(イラク戦争)を体験することで完全にその存在意義を決定付けたと見ることが出来る。

ここからが問題である。つまり、小沢氏の自衛隊海外派遣構想は、当初、米国の後方支援活動として始まり、多国籍軍への本格的参入というシナリオにおいて、米国にいうべきことを言っていくという自主独立路線を構想している(これは現在の中心的閣僚のほとんど、岡田氏、前原氏らを筆頭に考えている)訳だが、そもそも論として、自衛隊海外派遣と自主独立とはもともと関係のない話である。

現在は、日米同盟による後方支援隊として自衛隊を位置づけてきているが、例え多国籍軍の自衛隊(自衛軍)としても、多国籍が戦争状態になるその引き金は、常に米軍の先制攻撃的戦争の範疇で行われるのがほとんどである訳だから、多国籍自衛隊であっても、常に米軍の後方支援部隊という役割は拭えない訳で、日本の戦争でないにも係わらず戦争をする実態は、やはり、米国の属国としてあり続けることと余り変わらない訳だ。

従って、小沢氏の吹聴する自主独立も現状の日本と大して代わり映えしないものということになる。であれば、何も『小沢氏だけが日本の自主独立を実現し得る人物である』などと大そう大げさな、神懸かり的な言い回しはしない方がよい。その思考プロセスにより、植草氏の「政権交代」に懸ける民主主義運動に汚名を与える結果を招くことになる。

時代はもはや小沢氏を必要としていない。また。小沢流政治といわれる戦後の自民党的政治の体質は改善ではなく、払拭されなければならないのだ。そして、時代はその方向性を示唆し始めている。それは菅政権に対する期待として、今や歴然としたかたちで現前してきている。兎に角、ポスト小沢政治が始まっているのだ。植草氏はその方向性を冷静に受け止める必要がある。

★人気ブログランキング参加中・1タイトルごとに1クリックをよろしく・・・人気ブログランキングへ

小沢経心酔者達

ここにも困った小沢経心酔学者がいる。著名な信念の塊、立派な方だと思うのだが、こと小沢一郎国会議員のことになると、突如、思考回路が変わるらしく、経済の展望は読めても、政治の現実とあり様が読めない。その人とは、ブログ『知られざる真実』で人気ブログランキング常に2、3位(1日2万人以上の人気をカウントする)の人気を誇る植草一秀氏である。

5日のブログタイトルは、その心酔、傾倒ぶりを遺憾無く発揮している、「脱小沢人事強行なら愛称は「ほら吹き総理」に」というものだ。
主権者が国民であるとの大原則を踏まえれば、「脱小沢」だの「非小沢」だのの発言が血迷った妄言であることは歴然としている。
菅直人新総理が「挙党一致」を掲げながら、政権発足時点から小沢氏人脈を排除するなら、菅総理は出発時点から「うそつき総理」、「裏切り総理」、「二枚舌総理」の汚名を伴ってゆかねばならないことになる。
官房長官に仙谷由人氏を起用するなら、党幹事長は全党的な信頼を得られる人物を起用するべきである。
主権者は国民である。主権者国民は昨年8月30日の総選挙で、民主党の小沢−鳩山−菅のトロイカ体制を支持して政権交代の偉業を実現させたのである。この原点を忘れ、主権者国民の意思を踏みにじる行動を菅新総理が示すなら、その責めは必ず自分自身に跳ね返ることを忘れてはならない。

世論のどこを見て、聞いて判断しているのか、その見解に唖然、タマゲテしまうのだが、やはり、「神懸かり」というのは恐ろしいものだということを改めて植草氏の発言で解った次第だ。昨日も山崎行太郎氏について老婆心ながらその稚拙な見解についてもの申したので、ここでは改めて注釈しないが、下記にあるような見解は、もはや社会認識論的にも問題が大いに残る発言だ。

『3分の1が小沢氏グループである。小沢一郎氏を敵対視する既得権益勢力=悪徳ペンタゴンは、「脱小沢」などの表現で、菅新体制における小沢氏グループ人脈排除を誘導しようとしているが、これこそ反民主主義の行動である。』

植草氏は、「政権交代」を日本の近代史における大いなる偉業だと絶賛している。国民主権の胎動が始まった画期的な日本政治の曙だと感慨深げに述べている。ここまではよく植草氏の主張も理解できる。しかし、その原動力、起爆剤等についての見解となると少しニュアンスが違ってくる、つまり冷静に社会、その周辺を眺めていないようなのである、残念ながら。本日7日のブログにおいても、下記にあるように、『最大の功労者である小沢一郎氏』と断定している。

政権交代を実現させた最大の功労者である小沢一郎氏は、グループ国会議員を120〜150名も抱えている。民主党国会議員の3分の1がこのグループに属している。この巨大な数は、主権者である国民の意思を代表するものである。主権者国民の支持が小沢氏グループの巨大な議員数に反映されているのだ。
 菅新総理がこの点を十分に踏まえた政権運営を実行しなければ、9月の民主党代表選では代表選びが振り出しに戻る。

植草氏ならびにブログ支持者も一度「政権交代」前の状況を振り返り、その原点がどのような世論土壌にあったかよく考えてみることを進言する。時の世論は総じて、もう自民党では立ちいかなくなった、とてもじゃないがついていけない、好い加減にしてくれ、今度ばかりは投票できない、と言った自民党自ら解体、自滅への結果を国民に晒けだした結果が、「一度やらせてみるか」の雰囲気をつくった、というのが大方の見方である。なにも、民主党でなければ、小沢一郎でなければということで投票に出向いた訳ではないのだ。筆者もそのうちの一人で投票した、しかし、今回は未だ決めかねているところだ。

一度、『グループ国会議員を120〜150名も抱えている』などと、昔の永田町論理を振り回す前に、世論が醸成する今日の社会情勢をじっくり観察して、小沢チルドレンがナンボのものか考えてみることだ。つい最近も「小泉チルドレン」とかいって騒いだことを思い出すのもよいかも。

植草氏の権力に対する戦う姿勢は大いに評価したい。しかし、政治の必要悪である「権力」に自ら溺れては元も子もない。今の氏の置かれた状況は、小沢氏と同じく、いかに沈着冷静で居られるかにかかっている。野暮な脅し文句で政治を語らない方がよい。

★人気ブログランキング参加中・1タイトルごとに1クリックをよろしく・・・人気ブログランキングへ

治まらない山崎行太郎

本日も山崎氏の怒りが治まらないようなので、少し冷静になるように、今後の政治展望における認識のプロセスを駄目押し的に説明しておこう。人間、希望も大事だが、時には諦めも必要である。

先日に続いて、『小沢グループは入閣要請を拒絶せよ。「アメリカ」と「マスコミ」と「官僚」に土下座した「植民地内閣」は自爆する?』(6日ブログタイトル)と息巻いている、どうしても、菅政権を認めることが出来ず、小沢政治の復活を信じたい、その気持ちがよく滲み出ているタイトルだ。

次はどうなるか。おそらく民主党は二つに、つまり従米植民地派と反米独立派に分裂し、小沢一郎を中心とした反米独立派が「新保守派」勢力を結集して、いよいよ「第二次革命」を試みていくことになると思われる。言い換えれば、いつまでも、「アメリカが日本の総理総裁を決める」という敗戦以来続いてきた「植民地的政治」に終止符を打つべき時が来たと言うべきだろう。従って、小沢グループは、菅新内閣から「干される」のではなく、菅新内閣からの入閣要請を拒絶するべきだろう。菅新内閣は、マスコミや官僚には大歓迎されることだろうが、あるいはアメリカ政府には歓迎されるだろうが、日本国民、あるいは沖縄県民を切り捨てた、危なっかしい片肺飛行での出発になることは言うまでもないだろう。

山崎氏の指摘通り、菅政権は鳩山前政権の意向を受けて、「日米同盟を基軸」に安全保障体制で対応していくと声明を出している。しかし、菅氏は一貫して「在沖米海兵隊は沖縄に必ずしも存在しなくても日本の安全保障に大きな支障はない(01年8月)」(菅新首相誕生 過去の菅氏発言 海兵隊国外を主張)、という立場をとっていた。但し、「政権交代」後、与党になってから周知のとおり、この手の発言は役職からか、みられない。

そこで、考えなければならないのは、今回の鳩山前政権での「日米合意」は、今の日本の国、政治、経済、国民感情全てを網羅した結果が現前、表明されたということである。その証拠に、確かに沖縄、徳之島周辺では、怒りの大規模絶対反対、「基地は造らせない」の意思表示があった。しかし、肝心の本土においては、皆目それらしい反対運動は見かけなかったではないか。せいぜい、昔からの平和運動団体が各主要都市で百人前後、二百人前後の集会とデモという壊れた蓄音器のような「声」を出していただけである。「9条守れ」の運動はあっても、「在米軍基地なくせ」の運動はないのが現実だ。

この日本の現状、現実を目の当たりにして、どこに「反米独立」、「新保守派」勢力が居るというのだ。『いよいよ「第二次革命」を試みていくことになると思われる。』などと、そのようなデマをどこから発想するのかタマゲテしまう。よく「毒蛇山荘」とかいう別荘でメイソウしているらしいが、偶には街にでて日本人をジックリ眺めて何を感じ、どう生活しているか、よく探索したほうがよい、それにテレビもみた方がよい。

小沢一郎を中心にして、「第二次革命」など、これからの若い世代に言ってみろ、何の話かと訝しがられるのが落ちだ。小沢政治に信奉、傾倒する取り巻き連中に至っても、今回の自主投票は、偏に長いものには巻かれましょう、そのものではないか。「政治改革」の気概の片鱗も感じさせない根性なしに「第二次革命」など、片腹痛いときっちり言っておく。

山崎氏に告げる、小沢政治はもう終わったのだ、ここで目を覚まし、日本の政治展望をしっかりした洞察力でこれからを論じてもらいたい、遅くはない、これからだ。

みっともない発言 山崎行太郎氏

5日山崎行太郎ブログタイトルは下記文言である。4日の代表選挙の結果と菅新首相発言が余程気に食わなかったと見えて、怒り心頭の八つ当たり、とても哲学、文芸を知ると自称している御仁とは思えない、下品、粗雑、稚拙、みっともない文言を並べている。時折、舌鋒鋭く切り込む評論に冴えを感じることがあるが、これでは駄目だ。自らを単純、愚劣かすることに力学が向いていて、時代のイマに逆行しているとしか見えない。

菅内閣は土下座内閣だ。「エイズ謝罪」、「小沢邸新年会の土下座」、そして「官僚と米国への土下座」・・・。いつでも土下座する菅直人であった。
また今回は、選挙管理内閣に過ぎないのだから、小沢グループは入閣を拒絶するべきである、と思う。珍しく、小沢一郎が岩手県の小沢集会にビデオで登場し、参院選挙後の「再登板」を宣言したらしい。小沢一郎は、「菅直人・市民左翼政権」と徹底的に闘うはずである。菅直人はすでに官僚と米国に土下座している。

9月代表選挙はいざ知らず、この時点で完全に小沢グループは敗北したのだ。本人ならびに側近が立候補もできないグループ内事情は、自ら関係者が招いたことで、グループ中堅議員の「この代表選には、戦いの大義名分がない」発言はそのことを如実に物語っている。

『小沢グループは入閣を拒絶するべきである』、『小沢一郎は、「菅直人・市民左翼政権」と徹底的に闘うはずである。』などと、わざわざ政治空白のあるこの状況において、騒ぎ立てする必要はない。ここは、敗北をしっかりと受け止めて静観するのが順当な姿勢、判断である。

何度も繰り返すが、小沢政治はもはや賞味期限が切れている。従って、今、進退これ谷まる、不味くなった小沢氏の引き際での一花咲かす環境作りが急がれるところだろう。小沢氏周辺にはもはや『徹底的に闘う』知力も体力も無い筈だ。

山崎氏も好い年をしてみっともない、野暮な血迷った発言は偏に慎むべきである。

民主党は菅総理で分裂か

代表就任そうそう、「菅代表で分裂か」と物騒なタイトルを掲げて、縁起でもないと民主党関係者からお叱りを受けそうだが。しかし、熱狂的な民主党、そして小沢支持者からは、早くもこの手の脅迫染みた論票が飛んでいるのだ。

例えば、相変わらずの小沢熱狂的支持者でもある、山崎行太郎氏は、政治ブログで「民主党は菅代表で分裂か。小沢グループは離党し、保保連立へ向かうのか。」とのタイトルで、既にその方向性で動いていると論じている。そして、小沢外しの菅内閣であれば『鳩山政権以上に多難で、不安定なものになるだろう』と恫喝的論調を展開しているのである。

そもそもの発端は、鳩山首相辞任発表の後、菅副総理が小沢幹事長への面会、面談を申し込んだが拒否、そして、反小沢勢力からの「小沢外し」の条件付賛同取りつけが実現するに至り、決断した3日の会見が、菅副総理の方針決定となり、小沢氏と完全に距離をおく政権づくりに舵を切ったと考えられる。所謂、『小沢幹事長には、しばらく静かにしていただいた方が、民主党にも、日本の政治のためにもよい』との会見発言である。さらに、その前に鳩山首相からの『幹事長も職を引いていただきたい』という無理心中を強行されている訳だから、尚更強烈な民主党からの「小沢外し」が露骨に映ったことは、察して余りある。長年の政界活動である種これほど虚仮にされたことはないかも知れない。

従って、山崎行太郎氏は「小沢抜きの菅政権」に対して、巧く行く筈がないと警鐘しているのだ。つまり、小沢を甘くみるな、舐めるなよ、タイトルにある「小沢グループは離党」ということになると駄目押ししているのだ。

また、植草一秀氏の『知られざる真実』日本政治刷新第二幕に元祖刷新派菅直人氏登場)では、さらに、ヒートアップした踏み込んだ発言になっている。
『菅直人氏が民主党新代表に就任することになる際には、政権交代実現の最大の功労者である小沢一郎氏とその同志に適切に対応することが不可欠である。小沢氏が了解するなら、小沢氏を副総理として閣内で処遇することを検討するべきである。
 菅直人氏が小沢氏陣営と敵対して代表に就任するなら、民主党は確実に分裂に進むことになるだろう。日本政治が混乱の極に戻る可能性があり、賢明な選択ではない。』

以前から、植草氏はこと民主党、小沢氏になるとどうも神懸かり的発言になる傾向がある。菅氏の3日の発言、ならびに本日の代表選演説を聞く限り、完全な「小沢外し」の政権構想(内定・仙谷官房長官)を練っているとしか考えられない。とてもとても、雰囲気的にもしばらく小沢氏の出る幕はない。結果論ではあるが、291票の団結は、近年稀に見る民主党の結束を物語っている。というのも、今回の雰囲気は、党の原点に戻って、結党当初の民主党再建への思いが感じられたからだ。

というのも、7月選挙の勝敗の結果、9月の代表選挙において、小沢グループの巻き返しによる民主党分裂説を面白、可笑しく論じる論者は、政治というものを真摯に考えていない証拠だと考えられる。参議院選挙の結果如何を問わず、代表選挙は菅氏続投に決まっているからだ。それは何故かと言えば、2年前の自民党と全く同じパターンを再現したならば、もはやその時点で民主党の未来、展望は立ち切れてしまうからだ。いくらなんでもそれはやらないだろう。小沢氏が政界再編に臨み、党を割って政界返り咲きを狙ったとしたら、それこそ小沢氏の自殺行為になり、不名誉を背負い立ちさらねばならないようになるだろう。

小沢氏は近年稀に見る風格ある政治家である。今後の活動は、己の政治生命を見極め去り際を計算しながら、戦後政治の鬼才として政界を去るシナリオに執着するだろう、またその道しかないというのが、真っ当な判断であり、また、そうでなければならない。
【流動 2001】
★人気ブログランキング参加中・1タイトルごとに1クリックをよろしく・・・
人気ブログランキングへ
  • ライブドアブログ