2002年07月

2002年07月12日

以下の文章は、6月24日に「アセス市民の会」が博覧会協会に対して出した意見書の終章です。

「 冒頭にのべたように、経済産業大臣意見は、「環境大臣意見を尊重」することを求めているのであるから、博覧会協会は、これにしたがって速やかにゴンドラアセスの手続きに入るべきである。ゴンドラ設置は新規事業として行われるから、ゴンドラアセスについて「要領」の手続きを経由することを要すること、もちろんであり、ゴンドラについての実施計画書、準備書(これらについては住民意見、知事意見を要する)、評価書(これについては環境大臣意見、経済産業大臣意見が必要)という手続きをへて始めて万博の全体のアセスに合流することができると考えるべきである。
したがって、ゴンドラアセスについて上記の手続きが終わる前には、評価書(補正版)の確定・公告を行うべきではない。」

6月7日の経済産業省アセス評価委員会の駆け込み日程が終了するまでの経過から事態の推移を今回の意見書をもって見守り警鐘するということですが、この7日に私が評価委員会で発言したことから、事態が急変したとの認識を協会の皆さんがもたれていないように思われます。また、評価委員の皆さんも同じ見解であると考えられます。

7日の委員会開催前に原科氏と今回の修正評価書についてメールでの意見交換をしました。当日の委員会では原科氏は自説を主張することのみに労苦を費やさざるを得ない状況の下に、万博のもつ根源的な問題に言及できませんでした。私は今年に入り、協会に対してゴンドラ計画は中止するように警鐘してきました。この2年間、宇佐見氏をはじめとして、関係者がアセスの手順による環境配慮の徹底した調査を訴えてきました。しかし、協会は全く市民の「声」を無視して暴走を続けてきた訳です。そして、

昨年10月15日、各市民団体に協会の決意書をご丁寧に配信しての見切り発車です。
 市民運動がありながらどうして今回の事態になったかを考えた時、これは、見解の相違になりますが、万博検討委員会の功罪が挙げられます。これについては後日にしますが、行政からみた極当たり前の判断として、万博検討委員会の答申がでた地点で「正義」は行政に移行したわけです。功績については、原科氏もこれを認めていて評価書作成にこのことを付け加えることに固執した訳です。
行政に「正義」が移行したことは、今年の市長選でも完全に証明してみせています。また、今回の「意見広告の会」の予想を裏切ったことからもよく理解できます。


私が7日に評価委員会の終了際に傍聴席から発言したことを無視した、協会ならびに評価委員会は取り返しのつかない過ちを犯しました。私は原科氏に評価委員会の前日に、上之山町3丁目町内会の要求書を提示しています。
また、私の主張を説明しています。しかし、ご存知のように委員会において問題になりませんでした。評価委員は、経済産業省アセス評価のシステムを踏襲して、また、原科氏は自説を披露することに固執しました。その結果、アセスに因って環境負荷をいかに低減させるか、また、環境破壊から人権無視に暴走し始めている計画に対しての考慮、ないしは、代替案をもってしての協議を放棄してしまいました。
この経済産業省アセス評価委員会の過ちは、委員、関係者を含めて極めて悪質な公序良俗に違反するものです。
「愛知万博」の公共事業としての公共性が疑わしい現実において人権無視を強行する権利は何人も持ってはいません。
 
意見書に戻りますが、「ゴンドラアセスの完了まで、修正評価書を公告すべきではありません」という運動スタンスでは、問題が解決しない状況にきていることを私達は考えています。
従って、これまで各市民団体の方が実践してきた運動とは異なった運動を実践していかなければならないと考えるに至りました。
 先日7日に上之山町3丁目町内会住民総意で決定した、「ゴンドラ計画を白紙撤回すること」を真摯に受け止めれば、もはやアセスの実施云々の問題を超えた次元でのことであると考えるのが順当な判断です。私が協会に警鐘した、「ゴンドラ計画を中止せよ」が現実に証明された訳です。

「ゴンドラアセスの完了まで」というアセスのスタンスは、確かに変更ルートを含む代替案の比較検討を行うという意味においても実施しなければならないと思われますが、当初からの協会の態度から押し並べて現実が伴わないと考えて良いでしょう。

フォローアップ会議に要請します。
今回のフォローアップ会議において「ゴンドラ計画」について論議され協会から代替案についての見解を問い質して頂きたいと考えます。それは、上之山町3丁目の住民の方からも出ている要求書とも相通じる問題です。従って、住民説明会に準ずる具体的な回答ならびに提案を頂きたい。

              岩 畑 正 行
              Wind TWA
              2002.7.12

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2002年07月10日

先日、三橋さんから送って頂いた各紙の新聞記事と専門委員会が出した答申文を読みました。
西沢委員長の答申は、全員の合意を目指すとの見解から押して極めて常識的な答申骨子になっていると思われます。
 
先月の29日にお聞きした状況からのニュアンスと違って見えますが、私達の時もそうでしたが、結果的には特異な例ではないと考えられます。
いつも、行政の判断について私達が違和感を持つのは、国土省の判断が市民、住民運動の背景、流れを無視し続けるところからくる、その為の牽制が強すぎるのと、私達の国土省に対する不信感が強い為であると思われます。
 
結果的から言えば、皆様の提出している「意見書−2」は検証すれば極めて常識的な判断に基づいているし、大熊先生から専門委員会でのお話を聞いた範囲でも当然真摯に受け止めなければならない意見ばかりであると考えます。従って、西沢委員長の答申がこれまた常識的な見解であることにおいて摩訶不思議なことが何処にもないと言うことになるのでしょう。
 
また、国土省が選出した専門委員会が出した答申としては、委員会の性格上、極めて周辺に配慮したものになっていると考えて良いと思われます。
さらに、今回の専門委員会から流域委員会の設置を示唆している、課題を与えたものと理解して、一定の評価をしても良いのではないか。 
29日の夜の対策ミーティングから考えれば期待以上の運動の成果があったと自画自賛して、先ずは、謙虚に「中止」を喜びたい、私も皆さん以上に喜びたいと思います。
しかし、喜んでばかりもいられない状況は常に付き纏うものです。答申の付帯事項を読めば、皆様が懸念されている治水問題がこれからの深刻な課題であると認識できます。

ただし、流域委員会の設立が急務であるとも明言している訳ですから、「中止」を再確認する作業が与えられたと解釈して、ここで、「清津川ダム計画」のまた、計画ダム群の根を絶つ、本来の「これからの治水のありかた」を検証できるという立場にある余裕を加味してこれからの運動に向かわれれば良いと思われますが。
 
今回の結果は、完全に、国土省と市民が土俵に上がりがっぷり組んだと言えます。当然、勢いは市民にあります。
ここは、ゆっくり時間を掛けて市民参加による流域委員会の設立に臨まれたら如何でしょうか。

この7日に兵庫県の武庫川ダム反対の運動をされている「武庫川を愛する会」に行ってきました。県直轄のダム計画ですが、アセスが頓挫してから何らかの委員会を持たなければという働きかけから2年後に正式の流域委員会の発足が企画されました。そして、今年の12月に準備委員会が発足します。
その対策会議です。今回の発足までには流域市民団体と県の方で時間をかけた模索が続けられました。

しかし、結果的に時間をかけたお互いの模索が良い方向性を見出せたと評価できる流域委員会の立ち上げになったと考えられます。と言うのは、準備委員会から市民参加で行われることになったからです。
このことにより、事務局の在りかた、委員会の定める目標、委員会規約等を全て事前に市民の見解を経て定められるという最も大事なあるべき民主主義的手法に基づく運営が出来る可能性が出来たということです。

とかく問題になる委員の選出にも言及でき、公平な自薦、他薦が可能になったと言うことでしょう。継続した運動がより力の持った実践に広がり、あざとい民主主義から公平な民主主義的委員会が指針できればと願っています。

最後に、皆様の粘り強い反対運動に敬意を表して、改めてお祝い申し上げます。
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2002年07月04日

愛知県企業課における自然大破壊は想像に絶するものがある。聞くも驚嘆、見るも無惨な物語である。
「愛知万博」は「海上の森」を舞台に自然破壊がクローズアップされたが、愛知県は「森」の破壊だけではなく、「海」の破壊、「中部国際新空港」の着工に踏み切ったのである。どちらが本命工事というのではなく、公共事業の典型的セット事業として位置付けられている。そして、これの隠れ蓑的に、「設楽ダム」の推進が行われた。全て2001年の同時進行である。

愛知県民なら周知している、県債3兆円にさらに借金を繰り返しての公共事業の実施政策は「貧すれば鈍する」の最たるものである。そして、これが物語る「海と森」の破壊は、失われる自然、増える借金、次世代への借金つけ回し、これからくる医療、福祉、教育の予算が減ることは誰もが理解できる。

自然破壊に伴うこれらの諸問題が明白すぎる事実にも拘らず、愛知県の公共事業は暴走し始めている。国の政であった万博ももはや過去の遺物でしかないことは自明の理である。「愛知万博」、「中部国際新空港」、「設楽ダム」の暴走を止める、もしくは軌道修正を促すには「国民の声」としての市民運動が必要である。そして、この原点に私達の運動がある。その一環として私達が日本国際博覧会協会に対して告発した意見書をここに掲載します。
 
2005年日本国際博覧会協会 殿

「2005年日本国際博覧会に係る環境影響評価書(案)」の縦覧にともない、意見を述べてくださいとの法的手続きですが、私は最終案の環境負荷についての意見を述べるつもりは全くありません。
現段階において、比較検討された「負荷低減」について論議することがどれだけ無駄なことかこの2年の歳月でよく解ったからです。平行線を辿ることを無視することも可能です。しかし、最後に一つだけ皆さんに知ってもらわねばならないことの為に敢えて、今回の環境影響評価書に関する事実を告発します。

 1999年評価書段階の会場計画は完全に反故になり、2000年12月BIE登録の時点において計画は新しい開催場になった。この背景からとんでもないことが起こった訳です。
通産省の万博推進室がBIE登録は開催5年前に申請が必要であるとの虚偽の説明を自らの通産省万博アセス評価会に報告して、アセスの再実施を残念させたことです。この事実は1年以上経って、第7回評価会(2000年1月13日開催)の議事録から明らかになりました。
 
真実は3年前でよいとBIE幹部が明言して会場計画を再検討するように万博推進室に求めていたという。そして、現実は救い難いさらに度を越してあってはならない結末をつくってしまった。それはどういうことかと言えば、1999年秋の通産省幹部とBIE幹部の懇談内容を2000年1月14日に中日新聞が素っ破抜いていることです。
この新聞の告発に誰も耳を貸そうとしなかった現実にあってはならない民主主義の現実があるということです。

万博推進室の罪は万死に値するものですが、評価会自身もそれに準じます。説明を受けていなかったということは通らないからです。真実は、第7回評価会の翌日、周知の事実として公になっていたからです。再考はいつでも出来たはずです。それを知らなかったことの理由において拒否し続けた罪は、万博協会がアセスの再実施を頑なに拒否し続けたのと全く同じです。また、アセスを最も尊重しなければならない中央環境3団体も同罪です。厳密に言えば、アセスの最終権限である大臣意見即ち評価会の決断が、虚構の基に作られた今回の「環境影響評価書案」を国民の前に提示したことになります。これはどういうことか。国民を欺いて国の政を強行したという事実。「愛知万博」に付きまとう行政の汚点と、それを国の方針であり、真偽、善悪を取りあえず委ねてしまう国民性の再確認を招いたということです。
 
2年間の虚偽の時間は、行政と市民の乖離を止める時を刻むことなく、万博協会に不信を募らせる時間でしかなかった。結果的には全ての市民団体を万博反対の意思表示に変えてしまったといえるでしょう。後は工事推進という既成事実を積み重ねることによって市民の声を黙らせる、昔ながらの公共事業常套手段を展開するだけです。この仕組みのどこにアセスの理念、私達の意見が反映されるといえるのでしょう。
 私は冒頭で述べたように、「修正評価書案」に対する意見を述べません。「修正評価書案」に携わった全ての関係者を告発します。済し崩しに既成事実ができ上がり、国民を納得させたと自己暗示に浸っていくだろうが、しかし、私は絶対に納得しないし、関係者であるあなた方を許しません。

以上から、日本国際博覧会協会全ての関係者の虚偽罪は明白になりました。従って、私の意見書は全国に遍くこの虚偽の「修正評価書案」を国民の皆さんに伝えることであると信じて速やかに実践することです。このことを確と申し述べて意見書と変えさせて頂きます。

岩 畑  正 行
W i n d TW A
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2002年07月03日

「反戦市民抗議行動」

本会における今年の取り組みで一番に自負できる運動は、やはり「反戦市民抗議行動」であると思っている。9.11事件の後、アメリカが報復戦争を開始した後すぐの10月21日、世界反戦デーに因んでの第1回抗議デモから始まり先月の9日で6回の抗議デモを続けてきたことは、賞賛に値する運動である。
さらに賞賛を裏打ちするのは、今国会に上程された「有事法制」の時代に逆行した法案に対して同時平行の抗議デモが行われたことである。これも、継続あればこその賜物である。継続は力なり。この力の波紋が国会の延長日程を促し、廃案寸前の継続審議に追い込みつつある現状が物語っている。

昨今、何かと諸団体において抗議デモが敬遠されがちな状況のなか市民団体が声を上げ続けることは、歴史的にも貴重な反戦への願いが継承されていくものと考える。ベトナム、湾岸戦争当時の日本人の戦争に対する意識が、平和を願いつつ、実は私達の市民生活の周辺だけが安全神話に包まれているかの錯覚に自ら埋没しているのが現状だろう。日本人の戦後の平和ボケが戦争の歴史を抹消する役割を果たしつつある。

「有事法制関連3法案」が私達を再び戦争加害者に仕立て上げることに警鐘を打つ「反戦市民抗議行動」は、この時勢に即応した平和への声として真実を物語っている。真実を訴えることは人間の義務である。また、よりよい人間社会をつくる最善の普遍的な方法でもある。
社会的不条理に対して「市民抗議行動」は私達の自由を保証する為の債務行為ともいえるもので、社会に対する警鐘を打つ唯一の個人的実践である。

昨日の新聞にアフガン人の結婚式にアメリカ軍が誤爆、百数十人の死傷者が出る、2回目との記事が掲載されていた。このような戦争はあってはならない。そして、アメリカ軍を許してはならない。

                              岩 畑 正 行
                               2002年7月3日
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