2006年02月

2006年02月20日

「もっとリーダーシップを取れ。支えてやる」(小沢氏)
やっと民主党が動き出したという感じだ。結構なことだ。解散後、直ちに、岡田代表が、「連合」に頼らない、公明党との連携は有り得ない選挙を訴えた。

そして、外交安保問題で、「派遣期限が切れる12月までにイラクから自衛隊を速やかに撤退させる」と表明、マニフェストに明記された。喜ばしい限りの政権公約である。しかし、既に、連合との二人三脚を表明、公明党との連立が実しやかに永田町から流れ出した。

トップの菅、鳩山、小沢各氏の会談が重ねられる度に当初、岡田代表の決意表明が反故になっていく。何でもありの政界のマジシャン小沢氏の「動きだしたゾ」は、頼もしくもあり、危険が一杯と下種の勘ぐりであればよいが。小沢氏の裏技、下種と鷹とに餌を撒いての見せ所、成功の暁には政権公約「自衛隊のイラクからの撤退」は守って頂きましょう。

[声・コラム]02/20

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2006年02月15日

はじめに

先ず、「改憲前夜2005」を編集するに至り、その経緯と理由、目的を冒頭で明確に記述しておきます。
経緯は、04年7月の参議院選挙の結果、民主党の大幅議席確保の背景ができ、マスコミも挙って2大政党制の到来を民主主義の一つの民意形成の土壌と持ち上げた状況に始まります。私達は、自民党政権が改憲を加速する状況において、日本の近代精神風土を考えた場合、現状の2大政党制は馴染まない制度であるとの危機感をつのらせました。そこで時代状況である大手新聞の切り取り必読のダイジェスト版をチラシにして情宣活動を始めるようになった訳です。昨今、新聞ニュースは多義に亘る紙面の増印に腐心している嫌いが見受けられます。従って、なかなか新聞を読むことに現代人は労苦を強いられ、よく目を通す人で斜め読みがやっとということも囁かれる現状です。

「知る、理解することが何らかの変革の力に生りうると、相変わらず信じたとすれば、やはり情報は宝であり、私達の指針的役割を担う世界とのパイプ、社会との係わりそのものといえます。よく言われる、私達は情報に対して受動的であるとの指摘に対しては、私達の持つ判断力がそれを凌駕することによって何ら臆することはないと思っています。例え判断が誤ったとしても、常に情報を読む姿勢させあれば順次軌道修正が可能であると信じ、失敗を恐れてはならないのと同じように、常に情報と向き合う感受性を準備することが肝要であると考えています。
 
毎週月曜日にチラシ配布を実践して、はや1年と7ヶ月になります。何事においても、連続性のなかから推移と真実が読み取れてくるものです。マスコミの凋落が囁かれ、批判される今日の各紙の論調は、記事内容一つとっても、また扱い記事ならびに問題への視点、真実への関わり方から如実に窺われます。運動の連続性はそれだけ正直なものなのです。
 
ここで私達の月曜チラシの読み方の一つを示唆しておきます。少なくとも、この週刊ダイジェスト版チラシは改憲に対する警鐘の何ものでもないということです。そして、月日が経過するにつけて改憲が現実のものになっていく過程が読み取れます。「本当にこれでよいのか」と何度も私達は訴えています。戦前がそうであったように、知らずのうちに戦争に突入した、また、治安維持法、国家総動員法を好んで選択したわけではありません。国民は知りながらそれでいて読まない振りを態と装ったことから招いたことも承知しながら「時」を止められない魔物時間を享受したのです。そして、今は未だ食べられるという虚構空間を浮遊することで時間稼ぎに没頭するしかなかったと釈明してきたのです。そして、結果は歴然と崩れ落ちている惨状を目の当たりにしながら今日も同じ日常を生きるでしょう。

この週刊チラシは、もはや悲劇に集まる人間の習性がそのまま日常を動かしている現実を誰も止めようとはしないことを、自ずと語っています。そして、それを読み解くのも私達です。また、拒否するのも私達です。さらに、ふと正気に返った時、週刊チラシはその時点で真実を多く語っていたということになるでしょうし、その内容を見て我が身の日和見を文字から理解するでしょう。
 覚悟をもって、この日は何であったかをじっくり瞑想してください。そういう意味において、この編集は単なる週刊ダイジェストチラシではありません。
最後に、この編集は、改憲へ向かう私達の日常の確認作業を兼ねていること、悲観的展望等という楽観論ではなく、現実の国民を我が身を映し出しているに過ぎないことを述べておきます。

皆さんには、我が身を世界の鏡に映した時、容姿と映像の違いにくれぐれも驚愕することのないようにお願いします。

                               岩畑 正行
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2006年02月12日

一網打尽   
情報革命などと信奉する向きのあるインターネット世界だが、やはり権力との二人三脚でしかなく、質の悪い米国企業一手の世界である、人権よりも利潤優先は別段論議の対象にもならない。この事実を我々は覚悟しておかなければならない。何も検閲が日常の中国の話だけではなくなっている。昨年から「国境なき記者団」は、中国政府ならびにヤフー、グーグルに対して、「世界インターネット自由法」適用の抗議要請を行っているが、関係当局は全くわれ関知するところでない対応に終始している。

 インターネット革命は人権の犠牲も厭わない。9日、「国境なき記者団」はヤフーが中国当局に情報を提供した為に、ネットで政府批判をした元地方公務員が「国家転覆罪」で懲役8年の判決を受けたと報じた。そして、ヤフー側にこれまでに当局に対して情報提供した活動家のリストを公表するように要求した。
 先日、グーグル社も中国政府の意向を受けて特定サイトの削除ならびに情報提供に同意したことが報じられたことは周知のところである。米国ハイテク企業は反体制キーワードを発見する監視システムを中国政府専用に大量販売していることも公表されている。これらは、各紙において大々的に報じられることはないが、さすがに産経新聞である、同じく9日、桜井よし子氏が連載コーナーでこの問題に対して「情報操作に屈するな」というタイトルで論評している。一刻も早く日本に「情報省」の設立を訴えているのだ。例によって、桜井節は、中国の情報操作による半日パッシングに屈してはならない、十分な知性と財源を注入して自由と民主主義を海外に発信しなければならないというものだ。
 情報が自由と民主主義を守ると標榜するときは、必ず検閲、言論弾圧が表裏の関係で見え隠れする。日本政府が「情報省」を考えるときは、何も対中国向けだけを想定したものでないことは百も承知のことだ。況して、「情報省」のハイテク機械は米国製である。火を見るよりも明らかだ。
桜井氏のヒステリックな警鐘、「情報省」の設置急務は頂けない。

参考・「国境なき記者団」
国境なき記者団がヤフーとグーグルを非難 「中国のインターネット検閲に加担している」
http://www.tibethouse.jp/news_release/2004/040724_google_yahoo.html
「Yahoo!は中国警察の密告者」――国境なき記者団が批判
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0509/07/news070.html
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2006年02月10日

所詮、情報革命などと信奉する向きのあるインターネット世界だが、やはりマスコミは権力との二人三脚でしかなく、質の悪い米国企業一手の世界である、人権よりも利潤優先は別段論議の対象にもならない。この事実を我々は覚悟しておかなければならない。何も検閲が日常の中国の話だけではなくなっている。

昨年から中国政府ならびにヤフー、グーグルに対して、「世界インターネット自由法」適用の抗議要請を行っているが全くわれ関知するところでない対応に終始している。インターネット革命は人権の犠牲も厭わない。9日、「国境なき記者団」はヤフーが中国当局に情報を提供した為に、ネットで政府批判をした元地方公務員が「国家転覆罪」で懲役8年の判決を受けたと報じた。そして、ヤフー側にこれまでに当局に対して情報提供した活動家のリストを公表するように要求した。
 
先日、グーグル社も中国政府の意向を受けて特定サイトの削除ならびに情報提供に同意したことが報じられたことは周知のことである。米国ハイテク企業は反体制キーワードを発見する監視システムを中国政府専用に大量販売されていることも事実である。これらは、各紙において大々的に報じられることはないが、さすがに産経新聞である、桜井よし子がこの問題に対して「情報操作に屈するな」で扱い、一刻も早く日本に「情報省」の設立を訴えている。

例によって、桜井節は、中国の情報操作による半日パッシングに屈してはならない、十分な知性と財源を注入して自由と民主主義を海外に発信しなければならないというものだ。情報が自由と民主主義を守ると標榜するときは、必ず検閲、言論弾圧が表裏の関係で見え隠れする。日本政府が「情報省」を考えるときは、何も対中国向けだけを想定したものでないことは百も承知済みのことだ。況して、「情報省」のハイテク機械は米国製である。火を見るよりも明らかなことである。

桜井女史の声高な「情報省」の設置急務は頂けない。
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2006年02月09日

朝日新聞の凋落ぶりに目を見張ること著しい昨今だが、本日8日の社説にこれまた驚いた。タイトルは、イランの核〈ウラン濃縮を中止せよ〉で、その趣旨と根拠は、国際原子力機関(IAEA)理事会が安保理への付託を決議した。その根拠になっているのは、「核弾頭に使える半球形の金属ウラン製造技術にもイランが手を伸ばしていた疑惑が明記された」、従って、「イランは真摯にこれを受け止めるべきだ。」というものである。

この論説は既にイラン核問題のインターネットで告知されている事実を全く考慮されていない、一部欧米からの受け売り記事でしかない。付託決議にいたる一連の経緯に対する詳細、綿密な見解は、IAEAのエルバラダイ事務局長の「遠心分離器を500台に減らし、濃度は3・5%までしか上げず、濃縮工程をIAEAが監視し続けるというイラン側の提案を評価する」という声明もあるように現場サイドではその要請を必要としていない。

また、核兵器製造技術ついては、イランは、パキスタンで秘密裏に核兵器開発を手がけた「カーン研究所」から、中古の遠心分離器を買った経緯上の問題で疑惑が明らかにされている。現在、我々が問題にしなければならないのは、イラク攻撃がそうであったように、アメリカが既にイランに対して客観的周辺攻撃を展開し始めていることの現実である。客観的現実を論じることなしに、国連中心主義の広報を鵜呑み記事かすることの危険性は歴史がすでに何度となく警告を発している。
しかし残念ながら、同じ論調を脱し得ない朝日の編集室、論陣の頭脳経路は戦前そのものと言って過言ではない。あるMLに40年間愛読した朝日新聞に決別をするその心情が投稿されているのを読みましたが、つくづく合点のいく内容であった。

最近、市民によるネット新聞の普及が論じられつつある。現実を知る手立て、方法はもはや市民の必要とする現実、真実は市民の情報でしか得られない状況になりつつある。最終的には、我々市民運動の敵は、対峙しなければならない国家権力以前にマスコミ権力となるだろう。常にマスコミは国家権力と懇ろ合いの関係にあり、国家権力が呼び寄せ、マスコミが擦り寄る構図は古今東西同じ仕組みである。マスコミは、日本の近代が背負うべき聖職的発想を全く持たず、人気急転落のホリエモン、しぶとい竹中平蔵大臣ともども「拝金主義」そのものでしかなかったことを体現している。
 
朝日新聞の紙面上の掛け声は、全くの虚仮威しに過ぎない。
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2006年02月06日

防衛省に昇格させてはならない
この事件は、防衛庁の権益が露骨に語られている。実に周到な計画犯罪的といえる事件である。さすが防衛庁、防衛は巧妙な攻撃、騙しにあるということか。現段階での「在日米軍再編」については、日本の要請の方が熱心であることが、この事件から証明されたようなものである。やはりジンクスといえる、国防はおろか、国民を守ることなど露と考えなかったろう、自己老後防衛に徹した、軍隊は軍部を守ることの鉄則が生かされていた訳だ。成程、施設庁解体は国民に対して聞こえは良いだろう。しかし、彼らはそんな道義的責任などこれっぽっちも考えてはいない。狙いは、防衛省の管理下に置くことの必要性を敢えて誇張しながらの節が感じられなくもない事件ということだ。
 こんなことで良いはずがないだろう。防衛省に昇格させてはならない。

 参考に朝雲新聞社のコラム(2月2日付)を掲載する。防衛庁ならびに自衛隊の職員はこの社説をどのように読み、理解するのか聞いてみたいものである。

 《いわゆる「官製談合」をめぐって、防衛施設庁の幹部が逮捕された。報道によれば、OBの「天下り」によって業者を評価し、落札の順位を決めていたという。つまり、動機は「私利私欲」ではなくOBの利益、ひいては組織の利益を図ることだった。
犯罪は犯罪として厳正に処断されるべきだが、特別会計や公団といった「隠れみの」を使って大量の天下り先を持つ他官庁に比べ、かくも「古典的な」手法に頼っていたとは、何とも切ない思いを禁じ得ない。
そういえば、業者の「水増し請求」をめぐって幹部が背任の罪に問われた98年の調本事案でも、OBの再就職先の確保が「不当な利益」と認定されている。いずれの事件でも、関与した幹部は義理人情に厚かったり、あるいは真面目で責任感が強いといわれた人々だった。
ここからは、「OBのため=組織のため」という論理を疑うことなく、「人情に厚く真面目な」人間、つまり、道を間違えなければ公務に必要な人材として役立つはずの人が事件に巻き込まれる構図が見えてくる。
額賀長官は、防衛施設庁の解体をも視野に入れた再発防止を約束したが、本当に解体されなければならないのは、「OBの利益が組織の利益でありひいては国益である」といった逆立ちの論理だ▼「防衛の秘密を隠れみのにした」との指摘もあるが、仕事上の秘密は「特権」ではなく「国民から預かった貴重な財産」という意識も必要だ。》

水と森と平和の声 通信 NO239(2006年2月6日)
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2006年02月05日

「堀江容疑者の犯罪性を見抜けなかった」ことについて田原氏は、2月3日産経新聞朝刊2面で、異例の反省問答の形でインタビューに応じている。「反省」は田原氏自ら最近よく使う言葉である。そういうこともあって、近年論じられるマスコミのあり方についての批判を謙虚に受け止めているかたちを表明したものであろう。

マスコミの天皇といわれる表明はそれなりのインパクトあるものと解釈したいところである、が。しかし、最近の田原氏の言動は、現政権追認、推進的発言に終始するところが目立っているように思われる。今回の反省インタビュー記事からも窺われるのは、自民党と経団連の失策を、構造改革的に評価している文言からもそうなっている。そして、『やっと、景気も株価も上向いてきたのに、時代を戻してはいけない』と結んでいる。

小泉首相の口癖「改革を止めてはならない」と同じ論調である。『大いに反省している』とあるが、何をどう反省したのかが全く伝わってこない発言要旨になっている。私はこうなっている理由の一つに、マスコミならびに田原氏が社会的価値基準の変換に翻弄され、マスコミ人としてその聖職的理念の構築が瓦礫したことの認識欠如が災いしていると推察する。相変わらずマスコミは「権力」であることの認識を問い直そうとしないところが起因していると考える。組織的権力は周辺本人にとってみれば、これほど心地よいものはないからだろう。

原点回帰は難しいが、そうでなければ「変革」の言葉すら生まれてはこない。そんな生易しい状況ではないことを、先輩諸氏は先刻ご承知の筈だが。
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