2008年06月
2008年06月19日
19日朝日テレビ「スーパーモーニング」は、釜ケ崎抗議録画を放映して事件経緯を一部紹介した。
コメンテーターの反応は、鳥越俊太郎氏はじめ2名は黙秘にちかく、作家の江上剛氏一人が、ワーキングプア若者層と絡め、「彼らも釜ケ崎日雇い労働者に見習い元気よく、これぐらいの抗議をしなくては」と「暴力」抗議を容認、助長する発言をおこなった。
すると、司会者はじめコメンテーター一同に「それはよくない」とする否定的状況空間をつくりだし、あからさまに視線パッシングを向けた、それにめげずに発言を続けるも、完全に干されたことに気付き中断してしまった。
18日テレビ「ムーブ」の「釜ヶ崎抗議事件」の報道も同じことがいえる。前日の産経新聞のサイト写真記事にもあるようにかなり激しい衝突の模様が放映された。しかし、衝撃的な映像に反して、注目のコメンテーターの発言は極めて冷静よりも冷めたものであった。勝谷成彦氏、鈴木邦夫氏だが、発言が極めて少なく、控えめ、異次元の出来事のような説明になっていたのが印象的だった。鈴木氏は「元気があっていいんじゃないか、警察もこれぐらいはやらせたほうがよい」と発言した。要するに、釜ヶ崎の日雇い労働者はもはやマイノリティーの括弧つき存在理由しかないと断定しているのだ。番組全体の状況空間は、生活保護を受けなければやっていけないナンギな存在かのようなニュアンスを残すものでしかなかった。
放映された衝撃的な映像と完全に遊離した発言に釜ヶ崎問題の時間の推移を改めて感じさせられた。このテレビ放映一つとってしても最早、釜ケ崎日雇い労働者問題は、地域的特異現象に矮小化されてしまっている。
問題は、鳥越俊太郎氏が記者時代にあいりん地区担当として少なからず問題に直面した経緯があるにもかかわらず、発言が無かったことと、相変らずの稲垣浩氏が街宣抗議による道路交通法違反と煽動罪で逮捕されたことである。この逮捕劇は何度も同じパターンで繰返されている。
基本的な問題は、事件と難題を報道する、論じる立ち位置の存在が情報という超近代化空間で富を築いてきた抗議(問題)のなかで、搾取ではない自然媒体の流れ(延長上)において完全に労働化された対価利潤でない、目に見えない新手の利潤蓄積を良しとしてきた経緯と、問題解決に真正面から対峙(突撃)してきたその結果が、超近代主義は「暴力」排除の協議過程で収束を図ろうとするも、時間経緯のうちに社会闇に葬りさる最後手段を黙認してきたことにある。
富める「流動」は歴史をある種展望型改革に繋げることに継続性を担保しているが、貧する「枯渇」は本来の変革であるにも拘らず、悪戯にも歴史は抹消の方向性を与え続ける結果を招いている。
「秋葉原」の衝撃、「暴力」の象徴性を肯定できないと前提すればコメンテーターの発言はやむを得ないと理解したら良いのだろうが、しかし、私たちが「暴力」性を自己規制、排除してしまったら、それは言葉の終焉を自ら招くことを覚悟しなければならない。
ある種問題における「暴力」は解消するにこしたことはないが、「暴力」そのものを否定、抹消することは、権力に私たちを「人民」化すること、生贄とすることをよしとすることに加担することだ。
歴史は「暴力」を懐胎している、それこそ多様な暴力で常に始動している、その点を肝に銘じて、共傷を覚悟で語らなければならない。でなければ、ますます「希望は戦争」を助長することになる。即ち、前近代的深層による「戦争」を誘発する基盤を新たに再生産することになる。
西成署に抗議呼びかけの労働組合委員長逮捕 西成騒動(0618朝日新聞)
コメンテーターの反応は、鳥越俊太郎氏はじめ2名は黙秘にちかく、作家の江上剛氏一人が、ワーキングプア若者層と絡め、「彼らも釜ケ崎日雇い労働者に見習い元気よく、これぐらいの抗議をしなくては」と「暴力」抗議を容認、助長する発言をおこなった。
すると、司会者はじめコメンテーター一同に「それはよくない」とする否定的状況空間をつくりだし、あからさまに視線パッシングを向けた、それにめげずに発言を続けるも、完全に干されたことに気付き中断してしまった。
18日テレビ「ムーブ」の「釜ヶ崎抗議事件」の報道も同じことがいえる。前日の産経新聞のサイト写真記事にもあるようにかなり激しい衝突の模様が放映された。しかし、衝撃的な映像に反して、注目のコメンテーターの発言は極めて冷静よりも冷めたものであった。勝谷成彦氏、鈴木邦夫氏だが、発言が極めて少なく、控えめ、異次元の出来事のような説明になっていたのが印象的だった。鈴木氏は「元気があっていいんじゃないか、警察もこれぐらいはやらせたほうがよい」と発言した。要するに、釜ヶ崎の日雇い労働者はもはやマイノリティーの括弧つき存在理由しかないと断定しているのだ。番組全体の状況空間は、生活保護を受けなければやっていけないナンギな存在かのようなニュアンスを残すものでしかなかった。
放映された衝撃的な映像と完全に遊離した発言に釜ヶ崎問題の時間の推移を改めて感じさせられた。このテレビ放映一つとってしても最早、釜ケ崎日雇い労働者問題は、地域的特異現象に矮小化されてしまっている。
問題は、鳥越俊太郎氏が記者時代にあいりん地区担当として少なからず問題に直面した経緯があるにもかかわらず、発言が無かったことと、相変らずの稲垣浩氏が街宣抗議による道路交通法違反と煽動罪で逮捕されたことである。この逮捕劇は何度も同じパターンで繰返されている。
基本的な問題は、事件と難題を報道する、論じる立ち位置の存在が情報という超近代化空間で富を築いてきた抗議(問題)のなかで、搾取ではない自然媒体の流れ(延長上)において完全に労働化された対価利潤でない、目に見えない新手の利潤蓄積を良しとしてきた経緯と、問題解決に真正面から対峙(突撃)してきたその結果が、超近代主義は「暴力」排除の協議過程で収束を図ろうとするも、時間経緯のうちに社会闇に葬りさる最後手段を黙認してきたことにある。
富める「流動」は歴史をある種展望型改革に繋げることに継続性を担保しているが、貧する「枯渇」は本来の変革であるにも拘らず、悪戯にも歴史は抹消の方向性を与え続ける結果を招いている。
「秋葉原」の衝撃、「暴力」の象徴性を肯定できないと前提すればコメンテーターの発言はやむを得ないと理解したら良いのだろうが、しかし、私たちが「暴力」性を自己規制、排除してしまったら、それは言葉の終焉を自ら招くことを覚悟しなければならない。
ある種問題における「暴力」は解消するにこしたことはないが、「暴力」そのものを否定、抹消することは、権力に私たちを「人民」化すること、生贄とすることをよしとすることに加担することだ。
歴史は「暴力」を懐胎している、それこそ多様な暴力で常に始動している、その点を肝に銘じて、共傷を覚悟で語らなければならない。でなければ、ますます「希望は戦争」を助長することになる。即ち、前近代的深層による「戦争」を誘発する基盤を新たに再生産することになる。
西成署に抗議呼びかけの労働組合委員長逮捕 西成騒動(0618朝日新聞)
2008年06月12日
せめてもう少し大きな扱いにならないものでしょうか。
新テロ、イラク特措法の自衛隊派遣延長が了承されたことに対し、ネットへ『せめてもう少し大きな扱いにならないものでしょうか。』というため息の書き込みがあった。
「イラク派兵差止請求控訴判決」が紙面の話題冷めやらぬ状況であると思うが、残念ながらサイト記事では毎日新聞しか掲載されていない。しかし、その毎日新聞も大阪本社版紙面の掲載がない、これはどうしたことか。言わずと知れたことだ、規定路線については、特に今回のようにミシン縫い特措法の傷口を開けられる判決が出た後とあってみれば尚更のことだといえるだろう。
マスコミは今日完全に事件屋家業になってしまった。何かが消滅、破綻、壊れる、作りかえられることの目新しさがニュースの最前線として、日々一刻の賞味期限が短縮される、全てがテロップ化された雰囲気で私たちを包み込んでは、削除の連続で注意力を散漫に仕立て上げる。
それは私たちに対する、近代の何ものかのある種恐ろしい復讐かもしれない。
『せめてもう少し大きな扱いにならないものでしょうか。』
「イラク派兵差し止め訴訟」、名古屋高裁の判決から、国家に対する予想外の一撃ならびに市民に対して素朴な正義感を久々に感じさせた雰囲気も冷めやらぬ状況で、最も打撃を受けたであろう特措法自体が全く知らんぷりを装う事態は、今日風政治ねじれ現象といって終える、しかし、一番困ったことでもある。
雑誌「世界」7月に憲法学者奥平康弘氏が、『名古屋高裁の「自衛隊イラク派兵差止請求控訴事件」判決について』を寄稿している。主タイトルは「違憲判決の意義」となっている。奥平氏は画期的判決と了解して、今後の「国際貢献」立法案のハードルが高くなることを評価している。
しかし、奥平氏は、今回マスコミならびに訴訟原告さらに9条護憲の人々の「違憲」判決了解は、糠喜びにならないかの疑問を呈している、少なくともそのような見解に私は読んだ。というのもこの論考は、次号に続くとなっているので奥平氏の主張は次回でなければきっちりした認識にはいたらない。そこで参考に奥平氏の次号の論考展開の元になっていると思われる文言を紹介しておこう。
『高裁の判決には「傍論」の部分と「本案」の部分とのあいだに ― いま流行中の言葉を借りることになるが ― 「ねじれ」があるのである。・・・・・「ねじれ」の介在をあえて無視し、「違憲判決万歳」とだけ謳歌することをもって好しとすべきだという立場があるだろう。実際、マスメディアの扱いは大体においてそうした流れに与している。』(47頁)
ネットに書き込まれた『せめてもう少し大きな扱いにならないものでしょうか。』というため息の背容は、恐らくこの辺の雰囲気にあるのではないかと私は密かに思うのだが、私の今回の名古屋高裁判決に対する見解、段違い平行棒的判決と前提して政治的論議でない、素朴な心情論議の側面から述べてみたいと考えている。兎に角は奥平氏の次号の展開を楽しみに待つとしよう。
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自衛隊派遣延長:自公が了承 インド洋・イラク(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/today/news/20080611k0000m010129000c.html
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新テロ、イラク特措法の自衛隊派遣延長が了承されたことに対し、ネットへ『せめてもう少し大きな扱いにならないものでしょうか。』というため息の書き込みがあった。
「イラク派兵差止請求控訴判決」が紙面の話題冷めやらぬ状況であると思うが、残念ながらサイト記事では毎日新聞しか掲載されていない。しかし、その毎日新聞も大阪本社版紙面の掲載がない、これはどうしたことか。言わずと知れたことだ、規定路線については、特に今回のようにミシン縫い特措法の傷口を開けられる判決が出た後とあってみれば尚更のことだといえるだろう。
マスコミは今日完全に事件屋家業になってしまった。何かが消滅、破綻、壊れる、作りかえられることの目新しさがニュースの最前線として、日々一刻の賞味期限が短縮される、全てがテロップ化された雰囲気で私たちを包み込んでは、削除の連続で注意力を散漫に仕立て上げる。
それは私たちに対する、近代の何ものかのある種恐ろしい復讐かもしれない。
『せめてもう少し大きな扱いにならないものでしょうか。』
「イラク派兵差し止め訴訟」、名古屋高裁の判決から、国家に対する予想外の一撃ならびに市民に対して素朴な正義感を久々に感じさせた雰囲気も冷めやらぬ状況で、最も打撃を受けたであろう特措法自体が全く知らんぷりを装う事態は、今日風政治ねじれ現象といって終える、しかし、一番困ったことでもある。
雑誌「世界」7月に憲法学者奥平康弘氏が、『名古屋高裁の「自衛隊イラク派兵差止請求控訴事件」判決について』を寄稿している。主タイトルは「違憲判決の意義」となっている。奥平氏は画期的判決と了解して、今後の「国際貢献」立法案のハードルが高くなることを評価している。
しかし、奥平氏は、今回マスコミならびに訴訟原告さらに9条護憲の人々の「違憲」判決了解は、糠喜びにならないかの疑問を呈している、少なくともそのような見解に私は読んだ。というのもこの論考は、次号に続くとなっているので奥平氏の主張は次回でなければきっちりした認識にはいたらない。そこで参考に奥平氏の次号の論考展開の元になっていると思われる文言を紹介しておこう。
『高裁の判決には「傍論」の部分と「本案」の部分とのあいだに ― いま流行中の言葉を借りることになるが ― 「ねじれ」があるのである。・・・・・「ねじれ」の介在をあえて無視し、「違憲判決万歳」とだけ謳歌することをもって好しとすべきだという立場があるだろう。実際、マスメディアの扱いは大体においてそうした流れに与している。』(47頁)
ネットに書き込まれた『せめてもう少し大きな扱いにならないものでしょうか。』というため息の背容は、恐らくこの辺の雰囲気にあるのではないかと私は密かに思うのだが、私の今回の名古屋高裁判決に対する見解、段違い平行棒的判決と前提して政治的論議でない、素朴な心情論議の側面から述べてみたいと考えている。兎に角は奥平氏の次号の展開を楽しみに待つとしよう。
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自衛隊派遣延長:自公が了承 インド洋・イラク(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/today/news/20080611k0000m010129000c.html
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2008年06月08日
アフガニスタンへの陸上自衛隊派遣を止めるのは、民主党の政権交代だけか
中村哲氏の発言が引き金となって、先々週民間NGOが政府に自衛隊派遣中止の申入れが波紋となればよいのだが。
要はとりわけ政府側伊勢崎派のNGOといったところだろう。しかし、既に政府は昨年からNATO連合国と調整に入っている段階だから、今回の調査団は現地NATO軍と派遣地域についての協議ということだろう。要するに、「恒久法」の既成事実を先取りしたいのが狙いだ。
国際安全保障の多極化に遅れを取っている政府の状況からすれば、どうしてもアフガニスタンへの自衛隊派遣は強硬したいところだ。これがやや不確実になってきている(費用倒れ)日米同盟に活路を見出す機会にしたいのだろう。しかし、次期米国政府が民主党に変わればオバマの安全保障、新日米同盟に対する政策はとんだ方向性を持つ可能性も出てくる。
費用倒れ(在日米軍再編)を解消する、見直すためにも政権交代が望まれるが、やぶ蛇ということも大いに考えられる。
何れにせよ、軍備を放棄できない日本であってみれば、9条改憲に関係なく軍備拡張路線を直走ることは必至で、世界の近代化と戦争はこれからも続く、先進国の軍事的介入は世界の潮流として眺めるしかないだろう。さて、個人としては、ただ一向に関係ないと念仏よろしく自答するしかない。多極化と多様性の21世紀にあって、自己だけは多様性以前の多様人間だと確信して怒りを沈黙に変える代理格闘に終始するかだ。
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☆「陸自派遣なら活動停止」 アフガン支援の中村医師(東京新聞 6月7日)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2008060701000692.html
☆陸自派遣を検討、きょうアフガンに政府調査団 (産経新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080607-00000102-san-pol
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中村哲氏の発言が引き金となって、先々週民間NGOが政府に自衛隊派遣中止の申入れが波紋となればよいのだが。
要はとりわけ政府側伊勢崎派のNGOといったところだろう。しかし、既に政府は昨年からNATO連合国と調整に入っている段階だから、今回の調査団は現地NATO軍と派遣地域についての協議ということだろう。要するに、「恒久法」の既成事実を先取りしたいのが狙いだ。
国際安全保障の多極化に遅れを取っている政府の状況からすれば、どうしてもアフガニスタンへの自衛隊派遣は強硬したいところだ。これがやや不確実になってきている(費用倒れ)日米同盟に活路を見出す機会にしたいのだろう。しかし、次期米国政府が民主党に変わればオバマの安全保障、新日米同盟に対する政策はとんだ方向性を持つ可能性も出てくる。
費用倒れ(在日米軍再編)を解消する、見直すためにも政権交代が望まれるが、やぶ蛇ということも大いに考えられる。
何れにせよ、軍備を放棄できない日本であってみれば、9条改憲に関係なく軍備拡張路線を直走ることは必至で、世界の近代化と戦争はこれからも続く、先進国の軍事的介入は世界の潮流として眺めるしかないだろう。さて、個人としては、ただ一向に関係ないと念仏よろしく自答するしかない。多極化と多様性の21世紀にあって、自己だけは多様性以前の多様人間だと確信して怒りを沈黙に変える代理格闘に終始するかだ。
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☆「陸自派遣なら活動停止」 アフガン支援の中村医師(東京新聞 6月7日)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2008060701000692.html
☆陸自派遣を検討、きょうアフガンに政府調査団 (産経新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080607-00000102-san-pol
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