2008年08月
時評
| 流動 2001 正論
2008年08月28日
2008年8月27日反政府武装勢力タリバンの声明、『日本人を殺害した。すべての外国人がアフガンを出るまで殺し続ける』は、日本人にとって極めてショッキングな思いもよらぬものであった。
残念な結末であるが、私が一番懸念していた方向になってしまった。
善意に満ちた一人の命とペシャワール会に対する抹殺は、理不尽を超えた私たちに残酷さを強いた訳だが、私は従来から日本人の感性をもってして他国を語り、理解に勤めてもそれはほんの僅かな理解でしかなく、その理解に至っても日本人の肝要さのなせる技の範囲に止まったものに過ぎないと感じている。
過去に遡り、日本人の有志はパレスチナ問題、北朝鮮問題に果敢に取り組んできた。しかし、約半世紀に亘る平和、貧困に対する開放への努力は、歴史を重ねる度に、開放から閉鎖への崩壊が加速している現実でしかない世界を思い知らされる結果に終始しているように思えてならない。
挑戦する日本人の労力が全く無に帰しているというのではない。自己が働きかけるところには必ずその周辺からの反響があり、価値も発生する。しかし、歴史は、現在のアフガニスタンを知ればその思いとは裏腹な、個の人間の広がりを抹消する方向に追いやっているとしか考えられない結果を強いている。
アフガニスタンの歴史を知れば、常に外国に侵略を迫られる構図にあって、外国人は全て敵だと見なす発想も解からぬでもない。ややもすると、日本人自体が自分の国が戦後米国の植民地的軍事拠点の提供国かつ同盟国であり、常に米国に追随しながら他国に総体的に参戦している国であることを忘れているのではないかと思う。
タリバンならずとも、アフガニスタン人が普通に考えて、米国の空爆機が日本から飛んでくれば、アフガニスタンに居る日本人は敵部隊の一部に見えても不思議なことではない。米、NATO軍がアフガン占領後に住民教育の為の環境整備に来ているという、つまり、今回のスパイ認識を持っていたとしても不思議なことではない。
断言しておくが、ペシャワール会に対して一抹の不信感を抱くものではない。私たち多くの日本人は過去数年に亘り機会あるごとに支援金を捻出してきた。それはアフガニスタンに対する大いなる期待であり、ペシャワール会その関係者に対する尊敬の念である。その気持ちは全世界の平和と貧困の解放を願う人々の率直な気持ちであることは間違いない。
そこで敢えて個人的な執着心に拘りたい。日本人が平和と貧困からの解放を考えるその出発は、アフガニスタン自体が内戦のない国家として世界に希望を呼びかけて、初めて各国、個人が関係できる、する必要があるという考えだ。
米軍が完全撤退してこまるアフガニスタン人が居るとしたら、それはどう考えても可笑しな話だ、イラクも然りだ。アフガニスタン人自身が平和と貧困を全受容して考えない限り、他力本願で貧困など解決できる筈がない。また、アフガニスタンの進歩民主派の人々は、自力で国の民主化を成し遂げられると主張している。
その主張を信じれば、私たちの近代時間の価値観でアフガニスタンの歴史を語ることは、虚しくなるはずだ。急激な変化を望まなくなった日本人は、今一度アフガニスタンの歴史に優しさの眼差しを向けなければならない。それは、日本の民主党がこの事件を契機に人道支援の急務を訴えるものとは大きな価値観の違いがあるはずだ。つまり、日本の政党の人道支援は内政干渉そのものになっている。
日本はイラクでの過ちの経験を同じく犯してはならない。アフガニスタンに人道支援の大儀名分の下に自衛隊を送ることは、内戦に拍車をかけることはあっても、決して治安改善に寄与することなどありえないのだ。
政府が、人道支援のNGOを守るためにもISAFの参加、自衛隊の派遣を正当化するのであれば、NGOの諸団体も一度撤退という選択も考えたらどうか。苦難な状況での善意を推し進める勇気は常に称賛に値する、誰も疑う余地のない称賛だ。しかし、日本が間違った国際平和協力を強硬する場合には、直接関係者として毅然と撤退の道を決断することも必要ではないか、それは崇高な勇気であり英断だと考える。
亡き伊藤和也さんの遠望な勇気に敬服しつつ。
参考記事
【アフガン邦人男性拉致】タリバン「殺害した」 全外国人が標的
残念な結末であるが、私が一番懸念していた方向になってしまった。
善意に満ちた一人の命とペシャワール会に対する抹殺は、理不尽を超えた私たちに残酷さを強いた訳だが、私は従来から日本人の感性をもってして他国を語り、理解に勤めてもそれはほんの僅かな理解でしかなく、その理解に至っても日本人の肝要さのなせる技の範囲に止まったものに過ぎないと感じている。
過去に遡り、日本人の有志はパレスチナ問題、北朝鮮問題に果敢に取り組んできた。しかし、約半世紀に亘る平和、貧困に対する開放への努力は、歴史を重ねる度に、開放から閉鎖への崩壊が加速している現実でしかない世界を思い知らされる結果に終始しているように思えてならない。
挑戦する日本人の労力が全く無に帰しているというのではない。自己が働きかけるところには必ずその周辺からの反響があり、価値も発生する。しかし、歴史は、現在のアフガニスタンを知ればその思いとは裏腹な、個の人間の広がりを抹消する方向に追いやっているとしか考えられない結果を強いている。
アフガニスタンの歴史を知れば、常に外国に侵略を迫られる構図にあって、外国人は全て敵だと見なす発想も解からぬでもない。ややもすると、日本人自体が自分の国が戦後米国の植民地的軍事拠点の提供国かつ同盟国であり、常に米国に追随しながら他国に総体的に参戦している国であることを忘れているのではないかと思う。
タリバンならずとも、アフガニスタン人が普通に考えて、米国の空爆機が日本から飛んでくれば、アフガニスタンに居る日本人は敵部隊の一部に見えても不思議なことではない。米、NATO軍がアフガン占領後に住民教育の為の環境整備に来ているという、つまり、今回のスパイ認識を持っていたとしても不思議なことではない。
断言しておくが、ペシャワール会に対して一抹の不信感を抱くものではない。私たち多くの日本人は過去数年に亘り機会あるごとに支援金を捻出してきた。それはアフガニスタンに対する大いなる期待であり、ペシャワール会その関係者に対する尊敬の念である。その気持ちは全世界の平和と貧困の解放を願う人々の率直な気持ちであることは間違いない。
そこで敢えて個人的な執着心に拘りたい。日本人が平和と貧困からの解放を考えるその出発は、アフガニスタン自体が内戦のない国家として世界に希望を呼びかけて、初めて各国、個人が関係できる、する必要があるという考えだ。
米軍が完全撤退してこまるアフガニスタン人が居るとしたら、それはどう考えても可笑しな話だ、イラクも然りだ。アフガニスタン人自身が平和と貧困を全受容して考えない限り、他力本願で貧困など解決できる筈がない。また、アフガニスタンの進歩民主派の人々は、自力で国の民主化を成し遂げられると主張している。
その主張を信じれば、私たちの近代時間の価値観でアフガニスタンの歴史を語ることは、虚しくなるはずだ。急激な変化を望まなくなった日本人は、今一度アフガニスタンの歴史に優しさの眼差しを向けなければならない。それは、日本の民主党がこの事件を契機に人道支援の急務を訴えるものとは大きな価値観の違いがあるはずだ。つまり、日本の政党の人道支援は内政干渉そのものになっている。
日本はイラクでの過ちの経験を同じく犯してはならない。アフガニスタンに人道支援の大儀名分の下に自衛隊を送ることは、内戦に拍車をかけることはあっても、決して治安改善に寄与することなどありえないのだ。
政府が、人道支援のNGOを守るためにもISAFの参加、自衛隊の派遣を正当化するのであれば、NGOの諸団体も一度撤退という選択も考えたらどうか。苦難な状況での善意を推し進める勇気は常に称賛に値する、誰も疑う余地のない称賛だ。しかし、日本が間違った国際平和協力を強硬する場合には、直接関係者として毅然と撤退の道を決断することも必要ではないか、それは崇高な勇気であり英断だと考える。
亡き伊藤和也さんの遠望な勇気に敬服しつつ。
参考記事
【アフガン邦人男性拉致】タリバン「殺害した」 全外国人が標的
時評
| 流動 2001 正論
2008年08月25日
何かと鬼門さんになっている厚労省、福田首相も懲り懲りで厚労省改革懇談会では、舛添要一厚生労働相と官房長官の両管轄での運営を決めるに至っている。もう我慢の限界が来たというよりは、これ以上国民を愚弄するような対応は出来ないという政府の焦りが感じられなくもない。
そこで政府は、数十人の犠牲者がでた秋葉原事件で、騒がれた格差社会の基盤を醸成している派遣労働者問題の諸条件改善に向けた真剣な取り組みをアピールする為、貧困層を象徴する一つの代名詞になった「ネットカフェ難民」を就労支援する融資制度を立ち上げるらしい。それは、公共職業訓練の受講者を条件に、訓練中は住居、生活費として月15万円を支給するというもので、2009年度からの実施になるという。
そもそも若者を中心とした不安定労働者層、非正規雇用制度、派遣労働者問題など、今日ほど際立った社会問題になる前から、実は具体的な問題であったことは、政府の方が敏感に感じ取っていた。というのは、雇用問題の深刻さを解消する意思がないというのではなく、この社会不安を利用して政府官僚陣営は、常套手段としてこれを隠れ蓑とした既得権を最優先する資金調達により天下り団体の確立、独立行政法人とかの設立に渾身の努力を払っていたのだ。
それに対して政府は、とりあえず改革の目玉として天下り、無駄な独立行政法人施設の廃止、運営見直し論を渡辺前行政改革担当相に一任したという経緯がある。
今回の内閣改造でやっと具体的な決着が見えるか関心を呼んでいる「私のしごと館」、「職業能力開発総合大学校」、さらに全国に61カ所ある「職業能力開発促進センター」などの処置だ。
要するにこれらを設立、運営に関する莫大な諸費用、税金の行方の問題だ。
8月23日の毎日新聞によると、「ネットカフェ難民」は、厚労省の昨年の調査で全国に約5400人と推計されていると伝えている。そこで「ネットカフェ難民」対象に、公共職業訓練で期間は3〜6か月間の技能育成を目指すというもので、この期間での生活費として月に15万円を支給するというものだ。これが、政府が掲げる不安定層労働者の雇用促進対策ということらしい。
相変らずの対策窓口作りの行政内雇用促進、新たな税金の捻出の下で、実施費用よりも実施対策準備費の方が入用な雰囲気だが、これはさて置き、次なる一手もよいが、一度ゼロベースでこれまで政府が若者向け就業、雇用対策促進として実施してきた周辺施設、団体等への出資金額を見てみるのも必要なことではないか。
というのは、今回計画されている支援システムに投じる資金は、09年度予算の概算要求に関連予算として1億円を盛り込むものだという。
冷静に振り返って欲しい。例えば改革の目玉になっている、京都府精華・西木津地区の関西文化学術研究都市にある世界最大の職業総合情報拠点「私のしごと館」は、約580億円を投じて平成15年にオープンした訳だが5年間で計77億円の税金を投入している。即ち、年間15億円の赤字を続けているのだ。これは過去のバブル時代の箱物公共事業の典型的失敗例をものともせず繰返している。
政府、官僚はこの赤字を放置して、就業、雇用政策が完全に破綻している現実が日増しに多様な社会現象(自殺、無差別殺人等)を引き起こしている今日の問題に、年間1億円の予算計上で対処しようというのである。1億円の対策費で生死を分ける人道的問題を論じる政府官僚の神経、人間性を疑わざるを得ない。これは完全な差別主義による格差社会の前提と、そこから生まれる格差世襲制の全面的是認を定着させるこれまでの官僚の発想を如実に物語っている。
参考に、年間1億円という金額は、「私のしごと館」等の独立行政法人の責任者約8人分の年間所得に過ぎない。
これをさらに裏返しにいえば、政府官僚は、「ネットカフェ難民」といわれる最終前不安定労働者は飽く迄も、自己責任論の結論を確信しているということだ。
日本の国、政府は先ず税金は、国を管理、管轄する官僚のために使われるべきだと三つ子の魂百までの法則で堅持していることだ。徹底した無謬主義を貫き、法律的、社会システム、社会慣習から少しでも逸脱したものは、食み出しの罰則として、その後は自己責任論で野垂れ死にしようが、それこそ無慈悲な自己選択に晒される宿命にある。
現在、約657億円を喰ってしまっている「私のしごと館」は、ある民間会社に二束三文で売却されようとしている。この金額は、恐らく私たち庶民の度肝を抜く金額だろう。
しかし、現在の悲劇はここから始まる。というのは、度肝を抜く金額に対して、政府は淡々とその経緯をいつもの無謬策、最善策だと庶民に公表する訳だが、知らされた主人公の庶民は、相変らず一向に驚きも落胆もしないのだ、ここに理解を超えた現在の病、庶民金銭麻痺症状が末期を迎えている。従って、「ネットカフェ難民」の絶望と同時進行でより深刻なのは、主人公であるべき庶民が、救えない末期麻痺状態で精神が寝たきり状態と化しているため、健全な庶民故に延命策の施しようがないという現実である。
現在の病は、もはや富裕、貧困はそれぞれの遺伝子として、各世襲制に組み込まれている。今後、その遺伝子組み換えは不可能にちかく、ここに機会均等の原則、職業の自由選択などの戦後培ってきた民主主義の崩壊が決定付けられる。
参考記事
ネットカフェ難民に生活費、職業訓練条件に月15万円融資へ
雇用開発機構、解体の意向 厚労省に不信 首相改革主導
そこで政府は、数十人の犠牲者がでた秋葉原事件で、騒がれた格差社会の基盤を醸成している派遣労働者問題の諸条件改善に向けた真剣な取り組みをアピールする為、貧困層を象徴する一つの代名詞になった「ネットカフェ難民」を就労支援する融資制度を立ち上げるらしい。それは、公共職業訓練の受講者を条件に、訓練中は住居、生活費として月15万円を支給するというもので、2009年度からの実施になるという。
そもそも若者を中心とした不安定労働者層、非正規雇用制度、派遣労働者問題など、今日ほど際立った社会問題になる前から、実は具体的な問題であったことは、政府の方が敏感に感じ取っていた。というのは、雇用問題の深刻さを解消する意思がないというのではなく、この社会不安を利用して政府官僚陣営は、常套手段としてこれを隠れ蓑とした既得権を最優先する資金調達により天下り団体の確立、独立行政法人とかの設立に渾身の努力を払っていたのだ。
それに対して政府は、とりあえず改革の目玉として天下り、無駄な独立行政法人施設の廃止、運営見直し論を渡辺前行政改革担当相に一任したという経緯がある。
今回の内閣改造でやっと具体的な決着が見えるか関心を呼んでいる「私のしごと館」、「職業能力開発総合大学校」、さらに全国に61カ所ある「職業能力開発促進センター」などの処置だ。
要するにこれらを設立、運営に関する莫大な諸費用、税金の行方の問題だ。
8月23日の毎日新聞によると、「ネットカフェ難民」は、厚労省の昨年の調査で全国に約5400人と推計されていると伝えている。そこで「ネットカフェ難民」対象に、公共職業訓練で期間は3〜6か月間の技能育成を目指すというもので、この期間での生活費として月に15万円を支給するというものだ。これが、政府が掲げる不安定層労働者の雇用促進対策ということらしい。
相変らずの対策窓口作りの行政内雇用促進、新たな税金の捻出の下で、実施費用よりも実施対策準備費の方が入用な雰囲気だが、これはさて置き、次なる一手もよいが、一度ゼロベースでこれまで政府が若者向け就業、雇用対策促進として実施してきた周辺施設、団体等への出資金額を見てみるのも必要なことではないか。
というのは、今回計画されている支援システムに投じる資金は、09年度予算の概算要求に関連予算として1億円を盛り込むものだという。
冷静に振り返って欲しい。例えば改革の目玉になっている、京都府精華・西木津地区の関西文化学術研究都市にある世界最大の職業総合情報拠点「私のしごと館」は、約580億円を投じて平成15年にオープンした訳だが5年間で計77億円の税金を投入している。即ち、年間15億円の赤字を続けているのだ。これは過去のバブル時代の箱物公共事業の典型的失敗例をものともせず繰返している。
政府、官僚はこの赤字を放置して、就業、雇用政策が完全に破綻している現実が日増しに多様な社会現象(自殺、無差別殺人等)を引き起こしている今日の問題に、年間1億円の予算計上で対処しようというのである。1億円の対策費で生死を分ける人道的問題を論じる政府官僚の神経、人間性を疑わざるを得ない。これは完全な差別主義による格差社会の前提と、そこから生まれる格差世襲制の全面的是認を定着させるこれまでの官僚の発想を如実に物語っている。
参考に、年間1億円という金額は、「私のしごと館」等の独立行政法人の責任者約8人分の年間所得に過ぎない。
これをさらに裏返しにいえば、政府官僚は、「ネットカフェ難民」といわれる最終前不安定労働者は飽く迄も、自己責任論の結論を確信しているということだ。
日本の国、政府は先ず税金は、国を管理、管轄する官僚のために使われるべきだと三つ子の魂百までの法則で堅持していることだ。徹底した無謬主義を貫き、法律的、社会システム、社会慣習から少しでも逸脱したものは、食み出しの罰則として、その後は自己責任論で野垂れ死にしようが、それこそ無慈悲な自己選択に晒される宿命にある。
現在、約657億円を喰ってしまっている「私のしごと館」は、ある民間会社に二束三文で売却されようとしている。この金額は、恐らく私たち庶民の度肝を抜く金額だろう。
しかし、現在の悲劇はここから始まる。というのは、度肝を抜く金額に対して、政府は淡々とその経緯をいつもの無謬策、最善策だと庶民に公表する訳だが、知らされた主人公の庶民は、相変らず一向に驚きも落胆もしないのだ、ここに理解を超えた現在の病、庶民金銭麻痺症状が末期を迎えている。従って、「ネットカフェ難民」の絶望と同時進行でより深刻なのは、主人公であるべき庶民が、救えない末期麻痺状態で精神が寝たきり状態と化しているため、健全な庶民故に延命策の施しようがないという現実である。
現在の病は、もはや富裕、貧困はそれぞれの遺伝子として、各世襲制に組み込まれている。今後、その遺伝子組み換えは不可能にちかく、ここに機会均等の原則、職業の自由選択などの戦後培ってきた民主主義の崩壊が決定付けられる。
参考記事
ネットカフェ難民に生活費、職業訓練条件に月15万円融資へ
雇用開発機構、解体の意向 厚労省に不信 首相改革主導
2008年08月23日
辺見庸の「理非おしきる無量無辺」について
同朋が8月20日中日新聞夕刊掲載の辺見庸「理非おしきる無量無辺」の記事をコメントつきで送ってくれた。内容は今テレビを独占しているオリンピック開催地北京へ再訪しての感慨を綴ったものだ。
約30年前は、資本主義は悪としてブルジョア処刑が日常茶飯事に行われていたという同じ都市北京で、現在は全て資本主義を象徴するもので変容している、その変革する中華国民の恐るべきエネルギーについて歴史のそれこそ「理非おしきる無量無辺」について書いているわけだが、氏は若かりしころ読んだ魯迅の「狂人日記」を思い出して、中華の枠を超えた歴史システムともいえるもの、氏の言葉で「私たちのいま」、「資本の運動」に絶望させられる理由を探っている。
もう一つ掲げられているタイトルは「東風は西風を圧倒したか」であるが、「資本の運動にはもともと西も東もありはしない」と結んでいる。
その結びの内容は、魯迅の訴えでもある訳だが、『富者と強者がただ貧者と弱者の犠牲のうえにのみ肥えていくしくみ、あるいは貧者と弱者がたがいをそこないながら生きざるをえない世の中』、つまり「資本の運動」、現在でいわれる「新自由主義」、グローバリゼーションのシステムそのものを象徴している。
ここで私はたまたま18日に同じ毎日新聞に掲載されていた、6月に来日していたというマイケル・ハートと茂木健一郎氏の対談の行を思い出した。ハートはマルクス=エンゲルスの『共産党宣言』の一行「資本主義は自らの墓堀人を作りだす」を例にとって、「資本主義は自らに代わる新たな社会をつくる潜在的な力を生み出している」と発言している。このハートの発言を是認すれば、まさしく中華人民共和国は資本主義に他ならない訳で、資本の風は、今は東風であってもいつ風向きが変わってもおかしくない。さらに、資本は無軌道な運動体と理解できなくもない。
ハートにとって資本主義は知的創造を推進するもので、資本の運動による燃焼過程で貧者と弱者は単に被害者ではなく可能性として位置づけられる。資本のエネルギーは質的転換を自力で行うエネルギーをもっているというのだが、上記した『富者と強者がただ貧者と弱者の犠牲のうえにのみ肥えていくしくみ、あるいは貧者と弱者がたがいをそこないながら生きざるをえない世の中』と憂る発想と著しく相反する。
私はハート論の論者を米国特有のプラグマ状況主義者と呼んでいるのだが、私たちと基本的に状況(政治)に対する、さらに歴史が内包している暴力性、権力に対する考え方が違うことに驚かされる。
ともすれば、私たちは資本の知的創造性を間接的にせよ受け入れられない歴史的土壌を潜在的にもっているのかも知れない。だから、辺見庸氏の『熱病にかかったようにそうした考えにとりつかれ、宗旨がえもできずに生きのび、』という言葉が我が身に痛いほどの嫌悪感として抱懐し続けるのだろう。
同朋が8月20日中日新聞夕刊掲載の辺見庸「理非おしきる無量無辺」の記事をコメントつきで送ってくれた。内容は今テレビを独占しているオリンピック開催地北京へ再訪しての感慨を綴ったものだ。
約30年前は、資本主義は悪としてブルジョア処刑が日常茶飯事に行われていたという同じ都市北京で、現在は全て資本主義を象徴するもので変容している、その変革する中華国民の恐るべきエネルギーについて歴史のそれこそ「理非おしきる無量無辺」について書いているわけだが、氏は若かりしころ読んだ魯迅の「狂人日記」を思い出して、中華の枠を超えた歴史システムともいえるもの、氏の言葉で「私たちのいま」、「資本の運動」に絶望させられる理由を探っている。
もう一つ掲げられているタイトルは「東風は西風を圧倒したか」であるが、「資本の運動にはもともと西も東もありはしない」と結んでいる。
その結びの内容は、魯迅の訴えでもある訳だが、『富者と強者がただ貧者と弱者の犠牲のうえにのみ肥えていくしくみ、あるいは貧者と弱者がたがいをそこないながら生きざるをえない世の中』、つまり「資本の運動」、現在でいわれる「新自由主義」、グローバリゼーションのシステムそのものを象徴している。
ここで私はたまたま18日に同じ毎日新聞に掲載されていた、6月に来日していたというマイケル・ハートと茂木健一郎氏の対談の行を思い出した。ハートはマルクス=エンゲルスの『共産党宣言』の一行「資本主義は自らの墓堀人を作りだす」を例にとって、「資本主義は自らに代わる新たな社会をつくる潜在的な力を生み出している」と発言している。このハートの発言を是認すれば、まさしく中華人民共和国は資本主義に他ならない訳で、資本の風は、今は東風であってもいつ風向きが変わってもおかしくない。さらに、資本は無軌道な運動体と理解できなくもない。
ハートにとって資本主義は知的創造を推進するもので、資本の運動による燃焼過程で貧者と弱者は単に被害者ではなく可能性として位置づけられる。資本のエネルギーは質的転換を自力で行うエネルギーをもっているというのだが、上記した『富者と強者がただ貧者と弱者の犠牲のうえにのみ肥えていくしくみ、あるいは貧者と弱者がたがいをそこないながら生きざるをえない世の中』と憂る発想と著しく相反する。
私はハート論の論者を米国特有のプラグマ状況主義者と呼んでいるのだが、私たちと基本的に状況(政治)に対する、さらに歴史が内包している暴力性、権力に対する考え方が違うことに驚かされる。
ともすれば、私たちは資本の知的創造性を間接的にせよ受け入れられない歴史的土壌を潜在的にもっているのかも知れない。だから、辺見庸氏の『熱病にかかったようにそうした考えにとりつかれ、宗旨がえもできずに生きのび、』という言葉が我が身に痛いほどの嫌悪感として抱懐し続けるのだろう。
人材獲得に乗り出した自衛隊
「自衛隊」PR施設の後に出てくるのは、先ず学校向け自衛隊員営業マン、そして証券マン並みの個人宅訪問営業で就職案内に徹してくるだろう。さらに、自衛隊勤務実績による社会的得点、奨励金制度等徹底した自衛隊からの転職斡旋のバックアップを充実させるだろう。
コスプレショップみたい? 渋谷にできた「自衛隊」PR施設
「自衛隊」PR施設の後に出てくるのは、先ず学校向け自衛隊員営業マン、そして証券マン並みの個人宅訪問営業で就職案内に徹してくるだろう。さらに、自衛隊勤務実績による社会的得点、奨励金制度等徹底した自衛隊からの転職斡旋のバックアップを充実させるだろう。
コスプレショップみたい? 渋谷にできた「自衛隊」PR施設
2008年08月16日
グルジア戦争の真相と日本の能天気
そもそも、グルジアとの生活圏的関連がない日本にとって今回のグルジア戦争は、現在世界で繰り広げられている43件の紛争、戦争その他の一つでしかないと政府、マスコミ、ジャナリストは考えているようだ。また、日本人のほとんどが知らないか関心をもっていない。それ程グルジアという国は日本にとって遠い国であるということだろう。
しかし、今回の当事国ロシアにとっては眼下のお膝元、同盟国の紛争であり、ブッシュ大統領のように北京オリンピックを楽しんで居られる状況ではないのだ。開会式後直ぐに飛行機に乗り込み現地北オセチアの州都ウラジカフカスに入り、難民の激励を兼ねてグルジア制圧の軍事陣頭指揮に立ち、ロシアにプーチンありを先ずはグルジアに、そして世界にアピールしたのとは、雲泥の差がある。
プーチンロシア軍による電撃的グルジア制圧に関し、余りの速攻攻撃に対して、欧米マスコミは周到に準備されたロシアのグルジア侵攻説を疑う論調を発信した。
特に日本のマスコミはその論調を鵜呑みに国内に報道、単純に天然資源をめぐる権益紛争の類で括って処理しようとしている。
従って、紙上には、「露の野心、封じ込め躍起」さらに「米国、グルジアへ人道支援」という見出しが掲載されることになる。
これまでの日本のマスコミ報道では、グルジア紛争の真相、即ち紛争の発端と経緯が伝えられない状況で紙上は、「米国の人道支援」という囮マスコット人形が一人歩きし始めている。
紛争経緯に関しては、欧米のマスコミ論調を横流しするに止まり、記事を読み拾って気付くのは、朝日新聞社説の曖昧無責任な報道の一行である。
8月10日朝日新聞社説は、タイトル「グルジア紛争―武力では決着できぬ」で、『今回の衝突がどんなきっかけで始まったのか、はっきりしない。グルジア政府軍が自治州の制圧を目指して進攻し、ロシア側が反攻に出て戦闘が広がったというのが大きな構図だ。』と論じた。
しかし、この時点においては、米国内のメディアですら、米国支援でのグルジア政府軍が南オセチア自治州での分離独立派を攻撃、州都ツヒンバリへ侵攻したことが事実だと報じられていた。
つまり、分離独立派に対するグルジア政府の制圧が攻撃目的だったと位置づけられている。さらに、その背景はこれまでにマスコミで報じられているグルジアのNATO加盟をめぐる政策と米国との密約があると。
8月2日前後から、グルジア国内の南オセチア自治州の分離独立派とグルジア軍の間での小規模な戦闘があったが、直ぐに調停の動きもあったといわれている。そして奇しくも8日、北京オリンピック開会日に合わせての総攻撃は、独裁軍事覇権国家のなせる戦略といえる。米国、ブッシュ大統領はローラ夫人、バーバラさんと3日間、オリンピック観戦を続け11日の帰国をみても、さらにライス長官が、グルジア政府に侵攻を制止した等と噂が飛んだが、少なくともロシアの攻撃を直接批判しなかったことは事実のようである。即ち、グルジアのサーカシュビリ大統領の独断先攻勇み足だとの傍観体制を装ったといえる。
日本のマスコミは、グルジア侵攻攻撃説、米国の後押しによるグルジアの南オセチア自治州に対する侵攻だとする報道に躊躇っている。それは、政府自体が米国との関連に触れたくないのを反映してマスコミが自己規制して言及したくないのである。また、一部マスコミの偏向報道、ロシア軍のグルジア領土速攻攻撃が計画的であったとするロシア性悪説を受け入れる方が紛争原因の解決に早く落ち着かせる風潮を読み取っている節がある。
しかしながら、想起しなければならない今年春の紛争があった。それは話題性が多いセルビア・コソボ独立問題だ。コソボの国際治安部隊は国連部隊となっているが、実質的にはNATO軍の管理体制だ、そして課題はコソボのEU加盟とNATO軍の一員を担うことだ。
ロシアはセルビア・コソボ空爆ではソビエト連邦崩壊という国内事情から完全な後塵を配した経験がある。しかし、プーチン帝国ロシアに変貌を遂げてからは、一切の妥協を許さない帝国としての威厳を示している。現に、今年2月に勃発しているコソボ独立をめぐる小競り合いに関して、プーチン大統領は、南オセチア自治州の分離独立を支持、いかなる手段を講じても守るとグルジア政府ならびにEU諸国に明言している。
従って、ロシア軍は常にこの地域に関して臨戦態勢を強いているので、今回の迅速なグルジア首都に対する空爆、商業地域の制圧は、グルジア軍が旧ソ連製軍備から米国製に変わった時点から用意されていたもので何らこの速効攻撃は不思議なものではない。不思議なのは、プーチン大統領が警告を発しているにも拘らず、安易にNATO軍の援軍頼りに南オセチア自治州へ侵攻したサーカシュビリ大統領の戦略だ。
ロシアは早速、グルジアの南オセチア自治州攻撃を「民独浄化」と批判して「戦争犯罪」で糾弾する作業に掛かっている。そこで、グルジア国内からもサーカシュビリ大統領の失脚は免れないだろうとの観測がでている。
世界では、グルジア戦争の原因、背景がグルジアのサーカシュビリ大統領の独断専行が禍したとの見方が大勢を占めてきている。さすがに日本のマスコミも現況ではそれらしき論調を掲載しなければ格好が付かなくなっているのが現状だろう。16日朝日新聞は社説「グルジア紛争―米ロの対立を懸念する」で初めてことの真相を社説で述べている。 『今回の紛争は、グルジア軍が南オセチア自治州の分離勢力を攻撃したことが発端だったようだ。ロシアの平和維持部隊や自治州の住民に多数の犠牲者が出た、とロシアは主張している。』(朝日社説)
そして、ここにきてブッシュ米政権のグルジアへの「人道支援」名目の米軍介入の可能性を懸念して、 欧州連合(EU)の和平協議などによる模索を提言、停戦の実現と紛争の沈静化を訴えている。
しかしながら、米ロ懸案事項になっていた米国のMD計画は、12日ポーランドがミサイル防衛計画に基本合意した、グルジア戦争の真っ最中に実現した現実は、決定的な米国とロシアの対立を鮮明なもの、修復できないものとみるのが順当であろう。従って、グルジア戦争終結案は、ロシア側全面的有利に解決を図らなければ、ロシア軍完全撤退には至らないだろう。
さらに、米国の「人道支援」という軍事介入は、強化されることはあっても、これを契機に米軍駐留を継続するであろう。既に、次期米国大統領候補のマケインは、11日ペンシルベニア州での演説会において、「グルジア支持」の大演説をぶったと報じられている。今回のロシアの軍事行動に対して、マイナスの影響を思い知らせるといった内容のもので、「我々は行動に踏み込むときがきた」と云わんばかりの強硬演説だったと伝えられている。マケインの主張する「行動に踏み込む」とは、覇権国家のシナリオである、軍事介入するという断言である。また、オバマ候補にしても、マケインほどの強硬ではないにしろ、対グルジア政策はマケインと大して変わらない姿勢であり、世論を睨んだ政策に終始することは間違いない。
ということは、今後のグルジア問題の展開は、またもや米国の泥沼外交の延長に帰することになり、強いては「人道支援」の拡大による日本へのとばっちりが予想される。即ち、次期大統領の米軍のアフガン増派政策に、日本のアフガン支援が必携となってくることだ。グルジア問題における米ロ関係は、対岸の火事ではなく、日本にとって最重要課題の一つになった訳だ。日本がグルジア国を知らなくても、必然的に日米同盟関係に大きく影響する。
従って、日本のマスコミの無責任な経緯説明ならびに平和志向の停戦案等の事なかれ主義報道は、完全に能天気だと云わざるを得ない。
米国が、他国に対して「人道支援」を行うということは、取りも直さず日本も何らかの軍事介入をすることだ、日本国民は今後さらに徹底して肝に銘じておく必要がある。
そもそも、グルジアとの生活圏的関連がない日本にとって今回のグルジア戦争は、現在世界で繰り広げられている43件の紛争、戦争その他の一つでしかないと政府、マスコミ、ジャナリストは考えているようだ。また、日本人のほとんどが知らないか関心をもっていない。それ程グルジアという国は日本にとって遠い国であるということだろう。
しかし、今回の当事国ロシアにとっては眼下のお膝元、同盟国の紛争であり、ブッシュ大統領のように北京オリンピックを楽しんで居られる状況ではないのだ。開会式後直ぐに飛行機に乗り込み現地北オセチアの州都ウラジカフカスに入り、難民の激励を兼ねてグルジア制圧の軍事陣頭指揮に立ち、ロシアにプーチンありを先ずはグルジアに、そして世界にアピールしたのとは、雲泥の差がある。
プーチンロシア軍による電撃的グルジア制圧に関し、余りの速攻攻撃に対して、欧米マスコミは周到に準備されたロシアのグルジア侵攻説を疑う論調を発信した。
特に日本のマスコミはその論調を鵜呑みに国内に報道、単純に天然資源をめぐる権益紛争の類で括って処理しようとしている。
従って、紙上には、「露の野心、封じ込め躍起」さらに「米国、グルジアへ人道支援」という見出しが掲載されることになる。
これまでの日本のマスコミ報道では、グルジア紛争の真相、即ち紛争の発端と経緯が伝えられない状況で紙上は、「米国の人道支援」という囮マスコット人形が一人歩きし始めている。
紛争経緯に関しては、欧米のマスコミ論調を横流しするに止まり、記事を読み拾って気付くのは、朝日新聞社説の曖昧無責任な報道の一行である。
8月10日朝日新聞社説は、タイトル「グルジア紛争―武力では決着できぬ」で、『今回の衝突がどんなきっかけで始まったのか、はっきりしない。グルジア政府軍が自治州の制圧を目指して進攻し、ロシア側が反攻に出て戦闘が広がったというのが大きな構図だ。』と論じた。
しかし、この時点においては、米国内のメディアですら、米国支援でのグルジア政府軍が南オセチア自治州での分離独立派を攻撃、州都ツヒンバリへ侵攻したことが事実だと報じられていた。
つまり、分離独立派に対するグルジア政府の制圧が攻撃目的だったと位置づけられている。さらに、その背景はこれまでにマスコミで報じられているグルジアのNATO加盟をめぐる政策と米国との密約があると。
8月2日前後から、グルジア国内の南オセチア自治州の分離独立派とグルジア軍の間での小規模な戦闘があったが、直ぐに調停の動きもあったといわれている。そして奇しくも8日、北京オリンピック開会日に合わせての総攻撃は、独裁軍事覇権国家のなせる戦略といえる。米国、ブッシュ大統領はローラ夫人、バーバラさんと3日間、オリンピック観戦を続け11日の帰国をみても、さらにライス長官が、グルジア政府に侵攻を制止した等と噂が飛んだが、少なくともロシアの攻撃を直接批判しなかったことは事実のようである。即ち、グルジアのサーカシュビリ大統領の独断先攻勇み足だとの傍観体制を装ったといえる。
日本のマスコミは、グルジア侵攻攻撃説、米国の後押しによるグルジアの南オセチア自治州に対する侵攻だとする報道に躊躇っている。それは、政府自体が米国との関連に触れたくないのを反映してマスコミが自己規制して言及したくないのである。また、一部マスコミの偏向報道、ロシア軍のグルジア領土速攻攻撃が計画的であったとするロシア性悪説を受け入れる方が紛争原因の解決に早く落ち着かせる風潮を読み取っている節がある。
しかしながら、想起しなければならない今年春の紛争があった。それは話題性が多いセルビア・コソボ独立問題だ。コソボの国際治安部隊は国連部隊となっているが、実質的にはNATO軍の管理体制だ、そして課題はコソボのEU加盟とNATO軍の一員を担うことだ。
ロシアはセルビア・コソボ空爆ではソビエト連邦崩壊という国内事情から完全な後塵を配した経験がある。しかし、プーチン帝国ロシアに変貌を遂げてからは、一切の妥協を許さない帝国としての威厳を示している。現に、今年2月に勃発しているコソボ独立をめぐる小競り合いに関して、プーチン大統領は、南オセチア自治州の分離独立を支持、いかなる手段を講じても守るとグルジア政府ならびにEU諸国に明言している。
従って、ロシア軍は常にこの地域に関して臨戦態勢を強いているので、今回の迅速なグルジア首都に対する空爆、商業地域の制圧は、グルジア軍が旧ソ連製軍備から米国製に変わった時点から用意されていたもので何らこの速効攻撃は不思議なものではない。不思議なのは、プーチン大統領が警告を発しているにも拘らず、安易にNATO軍の援軍頼りに南オセチア自治州へ侵攻したサーカシュビリ大統領の戦略だ。
ロシアは早速、グルジアの南オセチア自治州攻撃を「民独浄化」と批判して「戦争犯罪」で糾弾する作業に掛かっている。そこで、グルジア国内からもサーカシュビリ大統領の失脚は免れないだろうとの観測がでている。
世界では、グルジア戦争の原因、背景がグルジアのサーカシュビリ大統領の独断専行が禍したとの見方が大勢を占めてきている。さすがに日本のマスコミも現況ではそれらしき論調を掲載しなければ格好が付かなくなっているのが現状だろう。16日朝日新聞は社説「グルジア紛争―米ロの対立を懸念する」で初めてことの真相を社説で述べている。 『今回の紛争は、グルジア軍が南オセチア自治州の分離勢力を攻撃したことが発端だったようだ。ロシアの平和維持部隊や自治州の住民に多数の犠牲者が出た、とロシアは主張している。』(朝日社説)
そして、ここにきてブッシュ米政権のグルジアへの「人道支援」名目の米軍介入の可能性を懸念して、 欧州連合(EU)の和平協議などによる模索を提言、停戦の実現と紛争の沈静化を訴えている。
しかしながら、米ロ懸案事項になっていた米国のMD計画は、12日ポーランドがミサイル防衛計画に基本合意した、グルジア戦争の真っ最中に実現した現実は、決定的な米国とロシアの対立を鮮明なもの、修復できないものとみるのが順当であろう。従って、グルジア戦争終結案は、ロシア側全面的有利に解決を図らなければ、ロシア軍完全撤退には至らないだろう。
さらに、米国の「人道支援」という軍事介入は、強化されることはあっても、これを契機に米軍駐留を継続するであろう。既に、次期米国大統領候補のマケインは、11日ペンシルベニア州での演説会において、「グルジア支持」の大演説をぶったと報じられている。今回のロシアの軍事行動に対して、マイナスの影響を思い知らせるといった内容のもので、「我々は行動に踏み込むときがきた」と云わんばかりの強硬演説だったと伝えられている。マケインの主張する「行動に踏み込む」とは、覇権国家のシナリオである、軍事介入するという断言である。また、オバマ候補にしても、マケインほどの強硬ではないにしろ、対グルジア政策はマケインと大して変わらない姿勢であり、世論を睨んだ政策に終始することは間違いない。
ということは、今後のグルジア問題の展開は、またもや米国の泥沼外交の延長に帰することになり、強いては「人道支援」の拡大による日本へのとばっちりが予想される。即ち、次期大統領の米軍のアフガン増派政策に、日本のアフガン支援が必携となってくることだ。グルジア問題における米ロ関係は、対岸の火事ではなく、日本にとって最重要課題の一つになった訳だ。日本がグルジア国を知らなくても、必然的に日米同盟関係に大きく影響する。
従って、日本のマスコミの無責任な経緯説明ならびに平和志向の停戦案等の事なかれ主義報道は、完全に能天気だと云わざるを得ない。
米国が、他国に対して「人道支援」を行うということは、取りも直さず日本も何らかの軍事介入をすることだ、日本国民は今後さらに徹底して肝に銘じておく必要がある。
2008年08月12日
結局は下記の記事になる訳だが、「自民党中心の政権」というだけでは政界再編の面白みが全く見えてこない。ということであれば、民主党からみる平沼新党よりも、自民党の新手の戦略、小泉新党なるものの実現の方が、結局は特効薬的選挙効果があるだろう。
今回の内閣改造について、指南役として話題にならなかった小泉前首相だが、大胆な推理をする識者がそこそこいる、小泉派排除を自ら願ったという説だ。次期総選挙を究極的に考えて、新生自民党の目くらまし戦略にでることを示唆している。
権力維持には、何でもありの並々ならぬ執念を感じさせる苦肉の策として一考できる話だ。
既に下記読売調査に出ているように、改造後の福田内閣支持が変わらなくても、麻生幹事長人気が政党支持率を上げている現実を勘案すれば、小泉前首相プロデュースによる新生自民党による与党安泰は、自民党大敗説を覆すマジックになっても可笑しくない。
国民人間は、何度でも騙されるものだ。
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内閣支持率28%、物価対策「不適切」は89%…読売調査
『ただ、次の衆院選の比例代表選で投票したい政党を聞いたところ、自民31%(前月比6ポイント増)、民主25%(同2ポイント減)などとなった。投票先政党で自民が民主を上回ったのは5月以来3か月ぶり。衆院選後の望ましい政権でも、「自民党中心の政権」43%が「民主党中心の政権」35%を上回った。内閣改造と連動した自民党役員人事で麻生幹事長が起用されたことなどが期待を押し上げたようだ。(2008年8月11日21時48分 読売新聞)』
内閣支持41%に好転、「麻生幹事長」評価66%…読売調査
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今回の内閣改造について、指南役として話題にならなかった小泉前首相だが、大胆な推理をする識者がそこそこいる、小泉派排除を自ら願ったという説だ。次期総選挙を究極的に考えて、新生自民党の目くらまし戦略にでることを示唆している。
権力維持には、何でもありの並々ならぬ執念を感じさせる苦肉の策として一考できる話だ。
既に下記読売調査に出ているように、改造後の福田内閣支持が変わらなくても、麻生幹事長人気が政党支持率を上げている現実を勘案すれば、小泉前首相プロデュースによる新生自民党による与党安泰は、自民党大敗説を覆すマジックになっても可笑しくない。
国民人間は、何度でも騙されるものだ。
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内閣支持率28%、物価対策「不適切」は89%…読売調査
『ただ、次の衆院選の比例代表選で投票したい政党を聞いたところ、自民31%(前月比6ポイント増)、民主25%(同2ポイント減)などとなった。投票先政党で自民が民主を上回ったのは5月以来3か月ぶり。衆院選後の望ましい政権でも、「自民党中心の政権」43%が「民主党中心の政権」35%を上回った。内閣改造と連動した自民党役員人事で麻生幹事長が起用されたことなどが期待を押し上げたようだ。(2008年8月11日21時48分 読売新聞)』
内閣支持41%に好転、「麻生幹事長」評価66%…読売調査
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