冒頭で「議論がかみ合っていないやや拍子抜けの感があった。」と書いたが、それは橋下氏と香山氏の社会変革に賭ける発想の違い、社会構造を支える諸々の時間軸の捉え方の違いによるものだと考えられる。香山氏は『「まず大きな問いから」という姿勢』を基盤においているが、このマイケル・サンデル教授流の民主的議論をより透明化する作業において、現実的にその延長線上にあった筈の民主党による「政権交代」が、具体的に国民を見事に欺くものであってみれば、その体験からして『「まず大きな問いから」という姿勢』にはならないというのがこれまた現実であり人間社会であろう。ここを香山氏はきっちりと押さえないと常に机上の空論化現象に終始する、反って政治の空白を生むことを認識するべきである。
政治行政において、安全、安心を求めること自体、現実社会とガチンコ対決を回避する姿勢だと批判されても致し方ない。
香山氏の主張する、『目指すべき「より良い社会」とは何か』、さらに『「どういう社会を創るための改革か」を示す義務がある』というのは、学者の正論であっても、必ずしも政治家の第一義的仕事ではない。今、目の前で癒着、搾取している集団等があれば、先ずそれを潰す、また、それにより市民が不利益、不具合を強いられている場合は尚更のことである。
政治権力が明確なビジョンを示す、政治力学を支える哲学、イデオロギーが健全でなければならないのは香山氏の主張の通りである。しかし、歴史のある危機的狭間にあって、イデオロギーの崩壊、絵に描いた「ビジョン」も示されない現実はいつの世の中にもあった筈だ。ポピュリズムがさらなる間違った方向性を助長する懸念は理解できるが、方向性を変えるには橋下氏の「不連続のチャレンジ」も今必要とされていると知るべきである。
さらに、香山氏は「グレート・リセット」という言葉を最大限、多義的に理解する努力も必要である。橋下氏は少なくとも大阪市民に対して、市民自らの「グレート・リセット」を強要している、また、そうでなければ「政権交代」の二の舞いになる、それこそ笑いものになること必致である。
(つづく)
政治行政において、安全、安心を求めること自体、現実社会とガチンコ対決を回避する姿勢だと批判されても致し方ない。
香山氏の主張する、『目指すべき「より良い社会」とは何か』、さらに『「どういう社会を創るための改革か」を示す義務がある』というのは、学者の正論であっても、必ずしも政治家の第一義的仕事ではない。今、目の前で癒着、搾取している集団等があれば、先ずそれを潰す、また、それにより市民が不利益、不具合を強いられている場合は尚更のことである。
政治権力が明確なビジョンを示す、政治力学を支える哲学、イデオロギーが健全でなければならないのは香山氏の主張の通りである。しかし、歴史のある危機的狭間にあって、イデオロギーの崩壊、絵に描いた「ビジョン」も示されない現実はいつの世の中にもあった筈だ。ポピュリズムがさらなる間違った方向性を助長する懸念は理解できるが、方向性を変えるには橋下氏の「不連続のチャレンジ」も今必要とされていると知るべきである。
さらに、香山氏は「グレート・リセット」という言葉を最大限、多義的に理解する努力も必要である。橋下氏は少なくとも大阪市民に対して、市民自らの「グレート・リセット」を強要している、また、そうでなければ「政権交代」の二の舞いになる、それこそ笑いものになること必致である。
(つづく)