「特警隊」決死の訓練

安保理制裁決議を受けて沸きかけた「周辺事態法」認定論議もこのところ収束気味に落ち着いてきている。また、先日の米国中間選挙はそれに冷水を浴びせる結果となり、議論終焉に拍車をかけるものであった。
一時国会では「周辺事態とは何ごとか」と色めき立つ雰囲気を余所目に、集団的自衛権容認の模索、日米同盟の証を発揮する機会を火事場泥棒的に狙ったが、今日は意気消沈気味で核武装保有論議に取って代られている。そして、常にモグラたたき的、火種もみ消しと日夜奮闘を続ける市民の反対運動も休止することを許されない振り子時計の振り子同様にふらふらになっている。
 ここで周知徹底しておきたいことがある。それは、常に法整備は結果の反省と予測に対する処置を兼ね備えているが、予測が的中しないことを願うのは、90年からの周辺事態有事法物語である。立派に網羅され整った法律の現実は、国民にとってどれ一つ有難みのある法律はないというのが現実で、終編の「国民保護法」に至っては、有難み一杯の筈が目も当てられない実態のものでしかないことが既に明らかになっている。

そこで、周辺事態法の認定に伴う実践的現実について確たる認識を共有しておくことは、今後の反戦運動にとって有益且つ具体的にどのような運動が可能、不可能であるかの指針になると考えられる。つまり、選択肢の多様性が運動の豊かさを担保していたことの根拠が崩れるという話である。
よく例え話に出てくる、この話は桝添要一議員が国会で行った「船舶検査体制において、米艦への燃料給油中に相手艦船から砲撃を受けた場合、速やかに撤退してくるのか」という実しやかな嘘を質疑したことで遍くしられることになった。自民党新憲法草案の編集者である桝添議員は、さすがに安全保障の大家だけあって何時も質疑にそつが無い。その点で民主党前代表前原議員とは内容が違う。
帰結から断定すれば、周辺事態法は有事物語の総集編に当るもので、交戦を前提にした個別的自衛権は集団的自衛権も包含しているという以前からの政府見解そのものでしかないことだ。たったこれだけのことに何十年も解釈、議論を積み重ねてきたのだから日本人の根気の馬鹿さ加減には呆れる。そして、この国民性は何かに付けても当て嵌まる、枚挙に遑が無い。また、今回の論議の対象になっている後方支援での限界説であるが政府がそれを持ち出すのは本末転倒である。もはや日米同盟は如何なる状況においても自衛隊の活動を阻む足枷になる条文にはなっていない。もうそろそろ現実に目を向けた結論を出してもよい時期に来ているのではないだろか。

俄論議になっている伝家の宝刀「非核三原則」も焼きが回っているにも関わらず、与野党揃ってこの念仏を唱えて賛シャン音頭にどうしてするのか理解不明である。「持ち込ませず」とはよく嘘の上塗りが言えたものだ。何時も日本列島いたる所に「核」を蔓延らせていてこの様な茶番論議で幕引きをよくやっているものだ。反戦運動も現状は違反しているから「9条を守れ」では方角が違いすぎる。

政府の基本方針は、臭いものには蓋方式で全て賄っていこうとする、今後も便利な括弧付き定義で現実を乗り越えていくだろう。今後、「9条」とは一歩も二歩も隔たりを持って日米共同路線下で二人三脚一人旅を実践して行くだろう。そして、先程の桝添議員の例えではないが、「集団的自衛権事例研究」を括弧付きで定義するだろう。即ち、「戦争」はしないが「交戦」を行う。これは専守防衛の個別的自衛権そのものの概念であることを最大限利した解釈を定義付け、「交戦」はミサイルを迎撃するだけではなく、敵地を壊滅することが目的化するものである。そして最大の厄介な国民の判断は、9条を守って「戦争」は認めないが、日米同盟で「交戦」は認めるという二足のわらじを穿くことに何の躊躇いももたなくなる。根気が切れない日本の国民はこれが出来る。言うまでもないが一番恐れていることが既に目の前で展開されている。その現実を意識するかしないかはその人の判断次第に過ぎないだけだ。

政府は「交戦」はもはや国民の理解の範疇にあると解釈している。その為に遅れをとってはいけないと有事即応部隊として編成された西部方面隊普通科連帯は、日夜世界を股に米海兵隊と共同交戦訓練に明け暮れている。そして、最も交戦を前提に実施する訓練は、米国が主導する大量破壊兵器の拡散防止構想(PSI)、核兵器の密輸防止を想定した訓練で米国にとっての北包囲網の根拠になっているものである(10月29日、ペルシャ湾で米国主導の大規模海上臨検訓練が日本も参加して実施されている)。要するにこの配備に日本が駆り出されるという訳だ。即ち、米国の為に集団的自衛権を行使させられるというシナリオは「PSI」に限ったことではない。元々日米同盟の体は、これが基本的性格と決まっている。従って、有事その他に関する自国軍の指揮権は、韓国に対しては認めても、日本には今後とも一切認めないのが日米安全保障の基本になっている。米国は日本を楯に取って昔も今もこれからも世界戦略を考えている訳だ。そして、政府、国民はこの事実を熟知している、さらに、この現実、背景を維持する、想像を超える根気の国民性を常に温存する力には驚嘆思い知らされる。 (平和の声 通信【格物致知】NO312)

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