2006年09月23日
核武装宣言
安倍政権誕生と同時に日本の「核武装論」が現実味を帯びてきた。元々、安倍氏は祖父岸信介元総理の自衛の核兵器保有は合法であるとオウム返ししてきている訳だが、単なるイデオロギーとして受け止め、非核三原則、NPTにより核保有はありえないという政府答弁を踏襲する立場を明言している。しかし、総裁就任後の変わり身はある。私達は、安倍氏の陰の超鷹派振幅ぶれを覚悟しておく必要があるだろう。
9月18日毎日新聞の「発信箱」に「美しい国の核武装」というコラムが掲載されている。都心の書店で「日本核武装の論点」(PHP研究所・編集中西輝政氏)が平積みされていることや、その前に発表された中曽根元首相の「21世紀の日本の国家像について」、さらに3月、麻生外相訪米での「北朝鮮が核開発を続ければ、日本も核武装しなければならない」という「核武装宣言」などが紹介されている。所謂、安倍政権では、単なるイデオロギーがそうでない現実の状況が書かれているのだ。
本の出版も主張も自由が保障されている訳だから別段取り立てて騒ぐ必要は無い。しかし、私としては時期的に気になる記事である。というのは、前回「虚像安倍晋三」で「助っ人桜井よし子」の節で、「次期政権の課題は・・・後日言及する」と書いたことに極めて関連しているからだ。というのは、安倍氏自身が信奉するイデオロギー関係者、助っ人から、最近の安倍氏は小泉首相の二の舞になるのではないかという懸念の声が随分と聞かれ、また、それを巡って関係者の間でしっくり行っていないということも囁かれている諸事情がある。小泉首相路線の「在日米軍再編」、「郵政民営化」、さらに、アメリカの指摘を受けている遊就館の展示説明文の修正など、岡崎久彦氏8月24日産経「正論・遊就館から未熟な反米史観を廃せ」で論じている親米、媚米方針のことである。そこで、関係者の結束を図る意図もあって、中西輝政氏編集での「日本核武装の論点」(PHP研究所)、日本の主体性回復の実現は自主防衛でしかないと花火を打ち上げたというのが私の下種の勘繰りである。
「核武装宣言」の背景と経緯
そこで、安倍政権誕生の機に、「核武装宣言」の背景と経緯について述べてみる。
現在、世界の軍事的脅威の筆頭に上げられるのは、中国の軍事増強政策であり、日本にとっても回避できない外交上の問題になっている。既に米国にとっては友好、敵国何れの意味においても目の上の瘤で無視できない大国としての認識を持たざるを得ないというのが現実である。その注視力はもはやイスラエルを足手まとい、邪魔になってきていることからも推測される(決定的に表れたのが、今回のヒズボラ戦でのイスラエルの敗北という現実)。
さらに、米国の世界的軍事再編が中国に対するものでもあるとしたら、イスラエルと同様に同盟国である日本も厄介な国でしかなく、対中国包囲網の一環として「在日米軍再編」を日本は真剣に再考する必要がある。用心棒としての核抑止力下の従属に甘んじている訳にはいかないということだ。米国気質はアングロサクソン気質より以上にプラグマティズムの浸透そのものの国であることは、昨年から囁かれているイギリスとの別離からも窺い知ることができる。要するに、数十年後の世界勢力図はアメリカと中国の特化された帝国同士になり、中国とは戦争をしないという図式のことである。
現在、日本は憲法9条形骸化と安保条約形骸化が深刻な問題になっている。安保条約に関しては、長期的基地提供の条約以上の効果的評価を政府自体がこれも長期的に怠ってきた。現実路線として北朝鮮からの攻撃に対しては、アメリカは集団的自衛権を行使するが、中国からの攻撃に対しては行使しない選択肢にあるという付けの状況を生んでいる。
実は、この問題は昨年から日本の自主防衛論者が中国の台頭を最大の理由に一気に加速させた経緯がある。今年になり雑誌「正論」は、季刊誌別冊「正論」第1号タイトル「軍拡中国との対決」を出版している。巻頭を飾っているのが、「宣戦布告」でお馴染みの石原慎太郎氏である。タイトルは特集に相応しい「封じ込めの大戦略を持て」になっている。内容は冒頭に『新しい危機構造の到来の中、自らの「立国」のために我々は何をすべきか。米の「核の傘」に安逸を貪ってはならない』と書かれている。35年前からの持論「日本は核武装すべきである」の結論に至る訳である。
見解的な新見は「アメリカは中国に勝てない」と「日本のためにもインドの成長造成を援けよ」である。但し、石原氏はここでの論調が現況(7月5日、北朝鮮ミサイル発射訓練)で如何に重大な課題であるかを主張する為に、8月7日産経新聞エッセイ「日本よ」で同じ論調、内容文を書いている、タイトルは「いかに備えるか」。
中曽根氏の提案
ここで紹介している「日本核武装の論点」(編集中西輝政氏・PHP研究所)は、出版されたばかりで残念ながらいま私の手元にはなく、せいぜい出版元のPHP研究所のサイト案内しかみることができない。しかし、出筆している論客の諸氏の名前(「正論」を支える論陣達、桜井よし子、日下公人、伊藤貫、兵頭二十八諸氏)からは最近の主張からも内容が判断できるものである。多分中西輝政氏の解説だと思われるがサイトの紹介文は「現在の日本を取り巻く国際環境は90年代と比べて激変している。2006年7月5日に7発のミサイルを発射した北朝鮮にしても、今世紀に入ってから核兵器の開発・保有を宣言していることは周知の通りである。
核弾頭を搭載した北のミサイルが米国にも届くとなれば、犠牲を覚悟してまで米国は日本を守るだろうか。」になっている。正しく、この論考で問題にしている課題そのものを記述している。さらに驚くことは、販売に合わせたかの如く9月5日に中曽根氏の記者会見「米国の態度が必ずしも今まで通り続くか予断を許さない。核兵器問題も研究しておく必要がある」と発表されマスコミで話題になり出版に花を添えた形になった。ここで言う「研究しておく必要がある」は、即ち、あらゆる不測の事態に備えて日本が防衛力として核兵器を持つべきだという提案である。
また、この手の不吉な広がりは直ぐに増幅現象を起こすものだ。「核武装宣言」を裏付けるような国際的ニュースが20日東京新聞で報じられている。「核心」のコーナーで論じられている記事は、「ウィーンで十八日に開幕したIAEAの創設五十回目の記念総会。演壇に登った松田岩夫科学技術担当相は、核拡散抑止のための日本の新提案「IAEA燃料供給登録制度」を英語で力強く読み上げた。近い将来の核燃料や関連技術の輸出に向けて、日本が新たな一歩を踏み出した瞬間だ。」というもので「スタンバイ・アレンジメント・システム」というらしい。
そして、最後の下りは「日本は国内でウラン濃縮も核燃料製造もやっており、潜在的な能力はある。原子力技術で日本は世界のトップランナーだ。原子力委員会などでよく話し合う問題だ。」と結んでいる。もはや、日本の核開発は、国内は言う迄も無く国際的にタブーではなくなったと言える。
「核武装宣言」は、7月5日、国民に対してショック療法になったミサイル発射問題を機に、紹介した執拗な石原核武装論、中曽根氏提案、さらに「日本核武装の論点」出版と安倍政権誕生と同時多発的に沸騰した。北朝鮮のミサイル問題に対しては、ミサイル防衛(MD)システムの導入を現実路線として推進しているが、これは米軍指揮権の下での対抗策であり、且つその精度にやや疑問符の懸念が上がっている。それよりも何よりも自主防衛論者は、アメリカ的ミサイル防衛ではなく、核武装が唯一の先制攻撃的有効な防衛手段であると考えている。現実にテーブルに載せる段階はやはり北朝鮮が核実験を実施した時だろう。この意味で麻生氏発言は的を射たものである。
核ミサイルを使えない現代戦争
アメリカは、近年終始苦戦を強いられる戦争しかできない事由に、核爆弾を使用できないことが挙げられている。爆破規模の大きさが問題視されるからである。特に地理的な問題が最重要事項に考えられる。冷戦構造での大型原爆は現在全く意味のない木偶坊爆弾として埋蔵されているのが現実で、最近は軽量小型原爆の製作に余念がないといわれている。即ち、「張子の虎」も老衰の故に臨終したということだ。
北朝鮮の核の選択
北朝鮮が強行独自路線で核実験を行い、いわゆる核保有国の仲間入りすることは十分ありうることだ。そして、現在の構図としては、それを受けて日本も核武装する可能性は大だと仮定しよう。しかし、現在北朝鮮を取り巻く世界状況は、最終的に中国の指導もしくは6カ国協議の範疇であれ、北朝鮮の独自権限をも変えさせる外交手段をもっている。仮定として北朝鮮が一時的にしろ核保有を放棄した場合、日本はどうするのかということだ。北朝鮮は如何なる国家政策の変更もお構いなしの場当たり的政策を延長しても何ら不思議ではないし、国際世論の笑われ者にもならない。
しかし、日本は世界の世論の見守るなか戦後一貫して非核三原則を世界にアピール、核拡散防止条約(NPT)批准を遵守して外交政策を展開してきた先進国である。従って、外交政策を場当たり的に変更することは、形骸化した憲法9条を完全に放棄したことですと世界に知らしめることになり、戦後61年間培ってきた屁理屈解釈を全く無に帰すことになる。結果的には、安保条約の仮死状態を超えた外交政策の自殺である。
「核武装宣言」の現実
自主独立を獲得する為の「核武装」は、一時凌ぎの従来型外交手段の最たるもので、拙速論議の惰眠を貪る国の怠慢以外の何ものでもない。世界的、大局的見地から判断した場合、日本「核武装」の現実は、アジアとアメリカの関係を現在より以上に緊迫化した脅威の状況を自ら設定することになる。
従って、「核武装」は、日本の法治国家の否定、外交の自殺しかもたらさない。「日本核武装の論点」の出版、「正論」諸氏の願望は飽く迄も個人の範疇のもので、非現実の「核武装論」は国を脅威に晒す何ものでもない以上、それを国家の幻想に換えてはならない。言葉を最大の凶器にしない為に、これからも「正論」諸氏には、言葉は「破壊」ではなく「創造」であることを執拗に語っていかなければならない。
(平和の声 通信【格物致知】2006年9月23日)
9月18日毎日新聞の「発信箱」に「美しい国の核武装」というコラムが掲載されている。都心の書店で「日本核武装の論点」(PHP研究所・編集中西輝政氏)が平積みされていることや、その前に発表された中曽根元首相の「21世紀の日本の国家像について」、さらに3月、麻生外相訪米での「北朝鮮が核開発を続ければ、日本も核武装しなければならない」という「核武装宣言」などが紹介されている。所謂、安倍政権では、単なるイデオロギーがそうでない現実の状況が書かれているのだ。
本の出版も主張も自由が保障されている訳だから別段取り立てて騒ぐ必要は無い。しかし、私としては時期的に気になる記事である。というのは、前回「虚像安倍晋三」で「助っ人桜井よし子」の節で、「次期政権の課題は・・・後日言及する」と書いたことに極めて関連しているからだ。というのは、安倍氏自身が信奉するイデオロギー関係者、助っ人から、最近の安倍氏は小泉首相の二の舞になるのではないかという懸念の声が随分と聞かれ、また、それを巡って関係者の間でしっくり行っていないということも囁かれている諸事情がある。小泉首相路線の「在日米軍再編」、「郵政民営化」、さらに、アメリカの指摘を受けている遊就館の展示説明文の修正など、岡崎久彦氏8月24日産経「正論・遊就館から未熟な反米史観を廃せ」で論じている親米、媚米方針のことである。そこで、関係者の結束を図る意図もあって、中西輝政氏編集での「日本核武装の論点」(PHP研究所)、日本の主体性回復の実現は自主防衛でしかないと花火を打ち上げたというのが私の下種の勘繰りである。
「核武装宣言」の背景と経緯
そこで、安倍政権誕生の機に、「核武装宣言」の背景と経緯について述べてみる。
現在、世界の軍事的脅威の筆頭に上げられるのは、中国の軍事増強政策であり、日本にとっても回避できない外交上の問題になっている。既に米国にとっては友好、敵国何れの意味においても目の上の瘤で無視できない大国としての認識を持たざるを得ないというのが現実である。その注視力はもはやイスラエルを足手まとい、邪魔になってきていることからも推測される(決定的に表れたのが、今回のヒズボラ戦でのイスラエルの敗北という現実)。
さらに、米国の世界的軍事再編が中国に対するものでもあるとしたら、イスラエルと同様に同盟国である日本も厄介な国でしかなく、対中国包囲網の一環として「在日米軍再編」を日本は真剣に再考する必要がある。用心棒としての核抑止力下の従属に甘んじている訳にはいかないということだ。米国気質はアングロサクソン気質より以上にプラグマティズムの浸透そのものの国であることは、昨年から囁かれているイギリスとの別離からも窺い知ることができる。要するに、数十年後の世界勢力図はアメリカと中国の特化された帝国同士になり、中国とは戦争をしないという図式のことである。
現在、日本は憲法9条形骸化と安保条約形骸化が深刻な問題になっている。安保条約に関しては、長期的基地提供の条約以上の効果的評価を政府自体がこれも長期的に怠ってきた。現実路線として北朝鮮からの攻撃に対しては、アメリカは集団的自衛権を行使するが、中国からの攻撃に対しては行使しない選択肢にあるという付けの状況を生んでいる。
実は、この問題は昨年から日本の自主防衛論者が中国の台頭を最大の理由に一気に加速させた経緯がある。今年になり雑誌「正論」は、季刊誌別冊「正論」第1号タイトル「軍拡中国との対決」を出版している。巻頭を飾っているのが、「宣戦布告」でお馴染みの石原慎太郎氏である。タイトルは特集に相応しい「封じ込めの大戦略を持て」になっている。内容は冒頭に『新しい危機構造の到来の中、自らの「立国」のために我々は何をすべきか。米の「核の傘」に安逸を貪ってはならない』と書かれている。35年前からの持論「日本は核武装すべきである」の結論に至る訳である。
見解的な新見は「アメリカは中国に勝てない」と「日本のためにもインドの成長造成を援けよ」である。但し、石原氏はここでの論調が現況(7月5日、北朝鮮ミサイル発射訓練)で如何に重大な課題であるかを主張する為に、8月7日産経新聞エッセイ「日本よ」で同じ論調、内容文を書いている、タイトルは「いかに備えるか」。
中曽根氏の提案
ここで紹介している「日本核武装の論点」(編集中西輝政氏・PHP研究所)は、出版されたばかりで残念ながらいま私の手元にはなく、せいぜい出版元のPHP研究所のサイト案内しかみることができない。しかし、出筆している論客の諸氏の名前(「正論」を支える論陣達、桜井よし子、日下公人、伊藤貫、兵頭二十八諸氏)からは最近の主張からも内容が判断できるものである。多分中西輝政氏の解説だと思われるがサイトの紹介文は「現在の日本を取り巻く国際環境は90年代と比べて激変している。2006年7月5日に7発のミサイルを発射した北朝鮮にしても、今世紀に入ってから核兵器の開発・保有を宣言していることは周知の通りである。
核弾頭を搭載した北のミサイルが米国にも届くとなれば、犠牲を覚悟してまで米国は日本を守るだろうか。」になっている。正しく、この論考で問題にしている課題そのものを記述している。さらに驚くことは、販売に合わせたかの如く9月5日に中曽根氏の記者会見「米国の態度が必ずしも今まで通り続くか予断を許さない。核兵器問題も研究しておく必要がある」と発表されマスコミで話題になり出版に花を添えた形になった。ここで言う「研究しておく必要がある」は、即ち、あらゆる不測の事態に備えて日本が防衛力として核兵器を持つべきだという提案である。
また、この手の不吉な広がりは直ぐに増幅現象を起こすものだ。「核武装宣言」を裏付けるような国際的ニュースが20日東京新聞で報じられている。「核心」のコーナーで論じられている記事は、「ウィーンで十八日に開幕したIAEAの創設五十回目の記念総会。演壇に登った松田岩夫科学技術担当相は、核拡散抑止のための日本の新提案「IAEA燃料供給登録制度」を英語で力強く読み上げた。近い将来の核燃料や関連技術の輸出に向けて、日本が新たな一歩を踏み出した瞬間だ。」というもので「スタンバイ・アレンジメント・システム」というらしい。
そして、最後の下りは「日本は国内でウラン濃縮も核燃料製造もやっており、潜在的な能力はある。原子力技術で日本は世界のトップランナーだ。原子力委員会などでよく話し合う問題だ。」と結んでいる。もはや、日本の核開発は、国内は言う迄も無く国際的にタブーではなくなったと言える。
「核武装宣言」は、7月5日、国民に対してショック療法になったミサイル発射問題を機に、紹介した執拗な石原核武装論、中曽根氏提案、さらに「日本核武装の論点」出版と安倍政権誕生と同時多発的に沸騰した。北朝鮮のミサイル問題に対しては、ミサイル防衛(MD)システムの導入を現実路線として推進しているが、これは米軍指揮権の下での対抗策であり、且つその精度にやや疑問符の懸念が上がっている。それよりも何よりも自主防衛論者は、アメリカ的ミサイル防衛ではなく、核武装が唯一の先制攻撃的有効な防衛手段であると考えている。現実にテーブルに載せる段階はやはり北朝鮮が核実験を実施した時だろう。この意味で麻生氏発言は的を射たものである。
核ミサイルを使えない現代戦争
アメリカは、近年終始苦戦を強いられる戦争しかできない事由に、核爆弾を使用できないことが挙げられている。爆破規模の大きさが問題視されるからである。特に地理的な問題が最重要事項に考えられる。冷戦構造での大型原爆は現在全く意味のない木偶坊爆弾として埋蔵されているのが現実で、最近は軽量小型原爆の製作に余念がないといわれている。即ち、「張子の虎」も老衰の故に臨終したということだ。
北朝鮮の核の選択
北朝鮮が強行独自路線で核実験を行い、いわゆる核保有国の仲間入りすることは十分ありうることだ。そして、現在の構図としては、それを受けて日本も核武装する可能性は大だと仮定しよう。しかし、現在北朝鮮を取り巻く世界状況は、最終的に中国の指導もしくは6カ国協議の範疇であれ、北朝鮮の独自権限をも変えさせる外交手段をもっている。仮定として北朝鮮が一時的にしろ核保有を放棄した場合、日本はどうするのかということだ。北朝鮮は如何なる国家政策の変更もお構いなしの場当たり的政策を延長しても何ら不思議ではないし、国際世論の笑われ者にもならない。
しかし、日本は世界の世論の見守るなか戦後一貫して非核三原則を世界にアピール、核拡散防止条約(NPT)批准を遵守して外交政策を展開してきた先進国である。従って、外交政策を場当たり的に変更することは、形骸化した憲法9条を完全に放棄したことですと世界に知らしめることになり、戦後61年間培ってきた屁理屈解釈を全く無に帰すことになる。結果的には、安保条約の仮死状態を超えた外交政策の自殺である。
「核武装宣言」の現実
自主独立を獲得する為の「核武装」は、一時凌ぎの従来型外交手段の最たるもので、拙速論議の惰眠を貪る国の怠慢以外の何ものでもない。世界的、大局的見地から判断した場合、日本「核武装」の現実は、アジアとアメリカの関係を現在より以上に緊迫化した脅威の状況を自ら設定することになる。
従って、「核武装」は、日本の法治国家の否定、外交の自殺しかもたらさない。「日本核武装の論点」の出版、「正論」諸氏の願望は飽く迄も個人の範疇のもので、非現実の「核武装論」は国を脅威に晒す何ものでもない以上、それを国家の幻想に換えてはならない。言葉を最大の凶器にしない為に、これからも「正論」諸氏には、言葉は「破壊」ではなく「創造」であることを執拗に語っていかなければならない。
(平和の声 通信【格物致知】2006年9月23日)