戦死と靖国神社

4日産経新聞3面に『また1人の外交官が「戦死」した』とセンセーショナルな記事が掲載されている。元首相補佐官岡本行夫氏の杉本前上海総領事を悼む寄稿文である。また、5面に『外交官 プロ中のプロ』のタイトルで北京配属の記者が業績を称えている。
先に、この論考は元外交官杉山信行氏についてその人物、業績等に一切触れるものでないことを断っておく。杉本氏のご冥福を祈る許りだ。
論じたいのは、岡本氏がタイトルに「戦死」という言葉を使った理由である。戦後61年を迎え、日本人が「戦死」というかたちでの「死」を体現した人間は皆無である。一時流行した「企業戦士」という表現が使われたが、その死は過労死と言われた。現在日本のあらゆるジャンルでの凄まじい競争は戦争さながらに例えられることはあっても、決して「死」を迎えた時は、事故死、病死その他の順ずる言葉で「死」を表現しているのが一般である。
外交官の場合は往々にして国益を最重点に従事していると論じられる。確かにその面は否めないが、広範な意味で国民の労働力は、押し並べて程度の差こそあれ、国益に順ずるものである。

 記事の内容は、一人の外交官を通し、靖国問題を引き合いに出し日中関係のあり様を論じている。一部その文言を紹介する。『靖国神社の中にアジアの戦争犠牲者を祀る「鎮零社」が存在することを指摘し、総理大臣は本殿だけでなく鎮零社にも参拝すべきだと最初に説いたのも彼だ。靖国への総理参拝に違和感をもちつつも、そのような行動が日中に政治問題と化してしまった以上は総理は参拝をやめるべきではない、とも主張した。日中関係を長期的に考えれば、いま参拝をやめて「日本は圧力に屈する国だ」という印象を中国に与える弊害の方が大きいという理由だ。』と記述している。正に、元上海領事の言葉を借りて、岡本氏は敢えて問題になっている小泉首相の靖国参拝に言及したことは紛れもない、岡本氏の主張である。8月15日を控えて、小泉首相周辺ならびに関係者が言及を避けている最中、大胆な靖国賛美論である。

 最近、岡本氏の発言も然り、太平洋戦争を自衛戦争と開き直った論法が闊歩し始めた。さらに、シフト論考とも言える日中戦争までは「侵略戦争」で、太平洋戦争は「自衛」戦争であったというウルトラ変化球を繰り出す知識人といわれる、懲りない面々が憚ることなく主張し始めた。この「戦死」という言葉だ。完全に時代錯誤の意味を今日何の躊躇いも無く記事化した筆者と産経新聞は、既に、戦争を内在していると断言できる。そうでなければ「戦死」という言葉は出てこない。現実的に私の知るところでは、戦後、A級戦犯の合祀以後、靖国神社に「戦死者」として合祀された事実は無い。従って、現実に「戦死」という死に様は無いのである。にも関らず、敢えて「戦死」という言葉を実践するかということは、国、と国民にその準備を迫っているとしか考えられない。それだけ、岡本氏は自衛隊のイラク派遣の現状を十二分に認知しているということの裏返しでもある。いつ「戦死」という言葉が通常のマスコミ紙の表紙を飾っても可笑しくないということだろう。
 《また一人の自衛隊員が「戦死」した》との記事を目にするのも時間の問題である。
(平和の声 通信 【格物致知】2006年8月4日)