2007年03月14日
狂気が生み出した狂気の行方
ある新聞の文化欄で、ゴッホの「医師ガシェの肖像」についての記事を目にした。タイトルは「破産で再登場した「ガシェ」となっていて、名画取引の最近の高騰ぶりを懸念している記事である。
「ガシェ」は90年バブル時代に斉藤了英氏(旧・大昭和製紙)が125億円(8250万ドル)で日本に持ち込んだことが話題になった。その後、行方不明になっていた「ガシェ」はニューヨークの投資王ウォルフガング・フロットル氏の破産で17年ぶりに世に出てきたということである。今回の売買価格は、ポロックの1億4千万ドルから推測して値踏みできないかも知れない。
ゴッホは生前中に1枚の絵も売れていない。貧困を苦にせず自我をひたすらキャンバスに定着し続けた画家である。無一文の人間が描いた絵を世界一大金持ちがその絵を持つという歴史の悪戯を誰も想像しなかったことがこれまた歴史のなせる業といえる。
ゴッホは自己の存在に全てをかけて拘った人言だ。その意味で人生最後まで正気だったといえる。自己を見失う人間より誠実に生きたといえる。
巨額に対する拘りは凡人には理解できない。凡人にはゴッホの拘りは理解できない。そして、凡人にはゴッホの絵を手元におくことの理由が解らないのである。単なる所有欲の話ではない。ただし、美術館があるから話がややこしくなる。
芸術は狂気的業からなることは理解できなくも無い。そう考えると巨額に対しての狂気的な人間の考えも解らぬでもない。人言の業は、歴史に陰陽の曼荼羅を刻むものである。
ヘンリー・ミラーはゴッホに魅せられ画家を志すが、原画が人々に鑑賞され難い状況を考え残念して作家になったと叙述している。晩年、ゴッホ的手法で「ガシェ」的自画像を晩年のゴッホの思いに自らも耽る面持ちで描いている。自画像は、芸術家の思いは同じであることを表現したような絵に仕上がっていた。
存在の運命は、自らの行方を予測せず存在すると仮定すれば、「ガシェ」の行方を追跡することの必要もなくなるだろう。
「ガシェ」は90年バブル時代に斉藤了英氏(旧・大昭和製紙)が125億円(8250万ドル)で日本に持ち込んだことが話題になった。その後、行方不明になっていた「ガシェ」はニューヨークの投資王ウォルフガング・フロットル氏の破産で17年ぶりに世に出てきたということである。今回の売買価格は、ポロックの1億4千万ドルから推測して値踏みできないかも知れない。
ゴッホは生前中に1枚の絵も売れていない。貧困を苦にせず自我をひたすらキャンバスに定着し続けた画家である。無一文の人間が描いた絵を世界一大金持ちがその絵を持つという歴史の悪戯を誰も想像しなかったことがこれまた歴史のなせる業といえる。
ゴッホは自己の存在に全てをかけて拘った人言だ。その意味で人生最後まで正気だったといえる。自己を見失う人間より誠実に生きたといえる。
巨額に対する拘りは凡人には理解できない。凡人にはゴッホの拘りは理解できない。そして、凡人にはゴッホの絵を手元におくことの理由が解らないのである。単なる所有欲の話ではない。ただし、美術館があるから話がややこしくなる。
芸術は狂気的業からなることは理解できなくも無い。そう考えると巨額に対しての狂気的な人間の考えも解らぬでもない。人言の業は、歴史に陰陽の曼荼羅を刻むものである。
ヘンリー・ミラーはゴッホに魅せられ画家を志すが、原画が人々に鑑賞され難い状況を考え残念して作家になったと叙述している。晩年、ゴッホ的手法で「ガシェ」的自画像を晩年のゴッホの思いに自らも耽る面持ちで描いている。自画像は、芸術家の思いは同じであることを表現したような絵に仕上がっていた。
存在の運命は、自らの行方を予測せず存在すると仮定すれば、「ガシェ」の行方を追跡することの必要もなくなるだろう。