2005年12月12日
マスコミの終焉
朝日新聞の凋落がごく普通に論じられる昨今だが、少し元気振りを見せていた毎日新聞も、改憲論議が現実味を帯びてきて一気に失速気味になってしまった。
その半面、読売、産経新聞等がさらに追い風に乗って順風満帆の活況で論調も確りした感じを受ける。取分け、在日米軍再編問題、天皇継承問題の切り口が繊細である。産経新聞の親米路線が如何に「日本の文化を守れ」の主張と相反する論調であっても、国民の一般的志向性を持ちえている現実は否定できないところにきている。
既に、マスコミの機能不全を市民は共有している、戦後論じられてきた市民性は相変わらずの元の木阿弥ということだ。然らば、我々の自立した情報空間の確立しかない、何も新聞でなくてもよい。
平和の声・通信 NO220(05.12.12)
その半面、読売、産経新聞等がさらに追い風に乗って順風満帆の活況で論調も確りした感じを受ける。取分け、在日米軍再編問題、天皇継承問題の切り口が繊細である。産経新聞の親米路線が如何に「日本の文化を守れ」の主張と相反する論調であっても、国民の一般的志向性を持ちえている現実は否定できないところにきている。
既に、マスコミの機能不全を市民は共有している、戦後論じられてきた市民性は相変わらずの元の木阿弥ということだ。然らば、我々の自立した情報空間の確立しかない、何も新聞でなくてもよい。
平和の声・通信 NO220(05.12.12)