2004年08月23日
8月15日 全国紙社説にみる日本
8月15日、全国至る所で「平和を祈る」催しが例年通り行われた。
催しの精神は、終戦を振り返り二度と再び戦火に見舞われることのないように「平和を願う心」への回帰作用として継承されてきた。また、15日は日常では忘れがちになる自己の純粋精神に立ち返る時間軸として、ここそれぞれの記念日的な時間を共有する日にちでもある。
それは今日の日本の礎を考えさせる一瞬の儀式を物語ってきた。従って、59年前の「無言の声」を厳粛に聞くというのが国民の姿勢で、そこから喚起されて反省があるべき歴史時間、終戦記念日になっている。
15日各紙の論調は当然上記された情緒を基盤に書かれているものが例年通りと思いきや、実は意外な主張、驚きと落胆の社説があった。全体的には真摯な歴史時間を共有しようとする姿勢が窺われる。特に産経新聞主張は、8月15日からの教訓を真摯に学びとるとすれば、「必要な戦後の遺制清算」の調整と整理を行い、「日本の国益」を考えれば「憲法改正」しかなく、それは、「戦後不当に貶められてきた戦没者や自衛隊の名誉が担保される」ものでなくてはならないとあった。
一つの終戦記念日の教訓として、首尾一貫した産経新聞社の真摯な姿勢が窺われる。
15日の靖国神社には多様な記念日がある。また、傾聴に値する社説、日経新聞社の「敗戦の日 無言の声に耳を澄ませたい」がある。概略の必要がない表題そのものが内容である。そして表題からして「無言の声」を聞けとばかりに、東京新聞社社説「終戦記念日に考える 浅はか過ぎないか」は特に警鐘を込めた「声」になっている。
社説の最終語句は「身辺ばかり見ていず、目を上げよ。遠く広く時空をにらんで、じっくり考えてみよ。この国をおまえたちの代で壊すな」で結ばれている。さらに、「憲法改正」に熱心な読売新聞社も真摯な気持ちで終戦記念日を論じている。「先の大戦でなくなったすべての戦没者を追悼し、平和への誓いを新たにする日である。」から始まっている。これらから押し並べて8月15日は反省の歴史時間、純粋精神に一瞬身をおく各個人の厳粛な記念日になっている。
驚きと落胆の社説について
8月15日終戦記念日の社説としてこれほど支離滅裂な論調も珍しい。毎日新聞社の「世界の平和作りに参画しよう」がそれである。この表題から毎日新聞社の見識を疑う。表題は、15日全国戦没者追悼式で小泉首相が「世界の恒久平和の確立に積極的に貢献する。」と述べた式辞と全く一緒ではないか。何時から毎日新聞社は小泉首相の報道担当になったのか、正気を疑う。
先ず、落胆と書いたのは、日本の8月15日は終戦記念日であるという視点が全く欠落している点である。また、驚きは、毎日新聞社の理解能力の欠如が著しいことに対してである。世界の二極化現象、侵略戦争を仕掛けている「豊かな社会」と攻撃を受けている「貧しい社会」の二分化構図の実態を、「貧しい現実の放置がテロリズムと結びついて豊かな社会を危険に陥れる実質的な弊害が予知できそうになってきたからでもある。」(社説から) と括ってしまう発想のそれこそ貧困能力、偽装能力の表現としか読み取れない。さらに読み捨てならぬ文言「日本の平和と繁栄の陰に実際にははなはだ危険で貧しい同じ地球人がたくさんいる現実を放置できなくなった」(社説から)と書かれている。問い質すが、「危険で貧しい同じ地球人」とはアフガニスタン人とイラク人そして北朝鮮人を指しているのか。毎日新聞社は明確に答えなければならない。
支離滅裂、認識不足も甚だしい主張
『合意形成の過程が大事テロとの戦いは9・11事件からアフガン戦争、イラク戦争と続きこれで終結する保証はない。国家間の戦いを前提にした日本の平和主義体制にも修正の必要は出てきている。』(社説)
「合意形成の過程が大事」は民主主義の根幹のように言われて久しい。しかし清潔、美貌的形態、内的潔癖症を建前とする日本戦後民主主義は、合意さえ出来れば何でも良いという特効薬を服用しすぎた為に、「理念」が棚上げにされその挙句、建前と本音が転倒、混在する現実を招いてしまった。
今、私達は氾濫する情報、マスコミから明確に認識を新たにしなければならないことは、現状況のアフガン戦争、イラク戦争はレジスタンスであり、「テロとの戦い」ではないということだ。テロリストはアメリカであり多国籍軍はその取り巻き応援団である事実を曖昧さがなく正確に認識することである。しかし、毎日新聞社は現在のアフガン、イラクの状況を「テロとの戦い」継続と位置づけ、以ての外である憲法改正を睨んだ論評になっている。
「理念」が問われることがなく、「言葉」の意味を拡大解釈することにより国民との意識(合意)と異にする、遊離することを避けてきた現在のマスコミは、もはや修正が効かない体制代弁者に成り下がってしまった。現在のマスコミは組織の最大利益になる追求法則を認め、戦後の過ちを省みず、戦後誓った本来の業務を放棄した結果、自ら民主主義を葬る主役になっている。この所行は再度の歴史時間軸に因って糾弾されることを願うしかない。
もう一度外交努力を
世界の平和には貢献すべきなのである。その具体的方法として米国追随もひとつの考え方だが、国連安全保障理事会の常任理事国になって和平の枠組み作りに恒常的に関与する地位を真剣に求めていくべきではないだろうか。いつまでも国連分担金の2割近くを負担し続けるだけで、発言と意思決定への参画の場を持たないのは世界に対してかえって無責任ではないだろうか。
ドイツと共に連合軍の敵国として国連から監視対象に位置づけられた日本が60年近くを経て、平和憲法を持ったままで常任理事国に入ること自体、国連の歴史を変える。戦争を放棄した国が世界の平和に関与する新しい概念を人類史に送り込む意気込みが必要ではないか。当然それはイラク戦争で無力感を味わった国連の大改革に結びつく衝撃波になるだろう。米国の行動に振り回され戸惑う世界が次の時代への光明を見いだす契機にもなる。幸い12月には国連改革の有識者委員会が報告を出す。
国連安全保障理事会改革と日本の安保理常任理事国入りの議論が高まってきた。外務省は今月初め、「国連強化対策本部」(本部長・川口順子外相)を設置し、近く担当の大使も任命する。
これまで常任理事国入り問題には慎重だった小泉純一郎首相が九月下旬の国連総会に出席し、どのように訴えるかにも関心が集まっている。
催しの精神は、終戦を振り返り二度と再び戦火に見舞われることのないように「平和を願う心」への回帰作用として継承されてきた。また、15日は日常では忘れがちになる自己の純粋精神に立ち返る時間軸として、ここそれぞれの記念日的な時間を共有する日にちでもある。
それは今日の日本の礎を考えさせる一瞬の儀式を物語ってきた。従って、59年前の「無言の声」を厳粛に聞くというのが国民の姿勢で、そこから喚起されて反省があるべき歴史時間、終戦記念日になっている。
15日各紙の論調は当然上記された情緒を基盤に書かれているものが例年通りと思いきや、実は意外な主張、驚きと落胆の社説があった。全体的には真摯な歴史時間を共有しようとする姿勢が窺われる。特に産経新聞主張は、8月15日からの教訓を真摯に学びとるとすれば、「必要な戦後の遺制清算」の調整と整理を行い、「日本の国益」を考えれば「憲法改正」しかなく、それは、「戦後不当に貶められてきた戦没者や自衛隊の名誉が担保される」ものでなくてはならないとあった。
一つの終戦記念日の教訓として、首尾一貫した産経新聞社の真摯な姿勢が窺われる。
15日の靖国神社には多様な記念日がある。また、傾聴に値する社説、日経新聞社の「敗戦の日 無言の声に耳を澄ませたい」がある。概略の必要がない表題そのものが内容である。そして表題からして「無言の声」を聞けとばかりに、東京新聞社社説「終戦記念日に考える 浅はか過ぎないか」は特に警鐘を込めた「声」になっている。
社説の最終語句は「身辺ばかり見ていず、目を上げよ。遠く広く時空をにらんで、じっくり考えてみよ。この国をおまえたちの代で壊すな」で結ばれている。さらに、「憲法改正」に熱心な読売新聞社も真摯な気持ちで終戦記念日を論じている。「先の大戦でなくなったすべての戦没者を追悼し、平和への誓いを新たにする日である。」から始まっている。これらから押し並べて8月15日は反省の歴史時間、純粋精神に一瞬身をおく各個人の厳粛な記念日になっている。
驚きと落胆の社説について
8月15日終戦記念日の社説としてこれほど支離滅裂な論調も珍しい。毎日新聞社の「世界の平和作りに参画しよう」がそれである。この表題から毎日新聞社の見識を疑う。表題は、15日全国戦没者追悼式で小泉首相が「世界の恒久平和の確立に積極的に貢献する。」と述べた式辞と全く一緒ではないか。何時から毎日新聞社は小泉首相の報道担当になったのか、正気を疑う。
先ず、落胆と書いたのは、日本の8月15日は終戦記念日であるという視点が全く欠落している点である。また、驚きは、毎日新聞社の理解能力の欠如が著しいことに対してである。世界の二極化現象、侵略戦争を仕掛けている「豊かな社会」と攻撃を受けている「貧しい社会」の二分化構図の実態を、「貧しい現実の放置がテロリズムと結びついて豊かな社会を危険に陥れる実質的な弊害が予知できそうになってきたからでもある。」(社説から) と括ってしまう発想のそれこそ貧困能力、偽装能力の表現としか読み取れない。さらに読み捨てならぬ文言「日本の平和と繁栄の陰に実際にははなはだ危険で貧しい同じ地球人がたくさんいる現実を放置できなくなった」(社説から)と書かれている。問い質すが、「危険で貧しい同じ地球人」とはアフガニスタン人とイラク人そして北朝鮮人を指しているのか。毎日新聞社は明確に答えなければならない。
支離滅裂、認識不足も甚だしい主張
『合意形成の過程が大事テロとの戦いは9・11事件からアフガン戦争、イラク戦争と続きこれで終結する保証はない。国家間の戦いを前提にした日本の平和主義体制にも修正の必要は出てきている。』(社説)
「合意形成の過程が大事」は民主主義の根幹のように言われて久しい。しかし清潔、美貌的形態、内的潔癖症を建前とする日本戦後民主主義は、合意さえ出来れば何でも良いという特効薬を服用しすぎた為に、「理念」が棚上げにされその挙句、建前と本音が転倒、混在する現実を招いてしまった。
今、私達は氾濫する情報、マスコミから明確に認識を新たにしなければならないことは、現状況のアフガン戦争、イラク戦争はレジスタンスであり、「テロとの戦い」ではないということだ。テロリストはアメリカであり多国籍軍はその取り巻き応援団である事実を曖昧さがなく正確に認識することである。しかし、毎日新聞社は現在のアフガン、イラクの状況を「テロとの戦い」継続と位置づけ、以ての外である憲法改正を睨んだ論評になっている。
「理念」が問われることがなく、「言葉」の意味を拡大解釈することにより国民との意識(合意)と異にする、遊離することを避けてきた現在のマスコミは、もはや修正が効かない体制代弁者に成り下がってしまった。現在のマスコミは組織の最大利益になる追求法則を認め、戦後の過ちを省みず、戦後誓った本来の業務を放棄した結果、自ら民主主義を葬る主役になっている。この所行は再度の歴史時間軸に因って糾弾されることを願うしかない。
もう一度外交努力を
世界の平和には貢献すべきなのである。その具体的方法として米国追随もひとつの考え方だが、国連安全保障理事会の常任理事国になって和平の枠組み作りに恒常的に関与する地位を真剣に求めていくべきではないだろうか。いつまでも国連分担金の2割近くを負担し続けるだけで、発言と意思決定への参画の場を持たないのは世界に対してかえって無責任ではないだろうか。
ドイツと共に連合軍の敵国として国連から監視対象に位置づけられた日本が60年近くを経て、平和憲法を持ったままで常任理事国に入ること自体、国連の歴史を変える。戦争を放棄した国が世界の平和に関与する新しい概念を人類史に送り込む意気込みが必要ではないか。当然それはイラク戦争で無力感を味わった国連の大改革に結びつく衝撃波になるだろう。米国の行動に振り回され戸惑う世界が次の時代への光明を見いだす契機にもなる。幸い12月には国連改革の有識者委員会が報告を出す。
国連安全保障理事会改革と日本の安保理常任理事国入りの議論が高まってきた。外務省は今月初め、「国連強化対策本部」(本部長・川口順子外相)を設置し、近く担当の大使も任命する。
これまで常任理事国入り問題には慎重だった小泉純一郎首相が九月下旬の国連総会に出席し、どのように訴えるかにも関心が集まっている。