2004年10月20日
治水と住民参加 その幻想
「実効的な住民参加は可能か」 肱川流域委員会を巡って
新河川法に基づく「流域委員会」は住民参加の何を実現してきたか。
また、住民、市民の参加を担保できる改正であったのか。さらに公共事業への実効ある提言に今後なることが可能なのか。今回は三ヶ所における「流域委員会」を例に挙げてその方向性を摸索する、「流域委員会」を検証する為の指針に過ぎない論述である。
三通りの流域委員会
04年の3月に「紀ノ川流域委員会」が2年9ヶ月の審議を経て終了、また「肱川流域委員会」は6ヶ月で答申を出した。そして3年間の審議で終盤を迎えた「淀川流域委員会」、これらを比較しながら治水と住民参加を考える。
先ず、各流域委員会は、その性格、主旨が顕著に出ていることに注目しなければならない。「紀ノ川流域委員会」は「紀伊丹生川ダム」計画中止の舞台になった。また、「肱川流域委員会」はダム建設が妥当であると答申を出した。そして、審議、論議を重ねて、各問題の方向性を出さず悪戯気味に委員会、住民討論会を開催し続けている「淀川流域委員会」である。この三例の流域委員会をもって今日開催されている流域委員会の性格を断ずることは出来ないが、少なくとも概論にはなる。
両極端の性格をもった委員会が「紀ノ川流域委員会」と「肱川流域委員会」である。これほど明解な主旨の下で開催された委員会も珍しく、多分この手法は継承される。結論から言えば、国土省計画のデモンストレーションを実現させる為の最たる道具立てということである。
先例を開くという意味において、「紀ノ川流域委員会」は画期的な試みが随所に企画された。先ず、委員の選定において委員会で問題になるダム建設の是非について、地元ダム反対住民団体、同じく市民団体から選出したことである。これは人数の問題ではない。この選出から、「傍聴者発言」、「ダム建設予定地の見学」、「治水論の分科会」、「地元住民団体説明による遊水地見学会」、そして「水需要の精査」、「基本高水」に代わる「目標流量」等、現在各地で協議されている問題に対する指針が提示された。
それに比べ、「肱川流域委員会」の場合は、「ダム審議委員会」に代わる「肱川河川再構築計画案」の全面是認を目的にした、国土省計画承認委員会、旧建設省形式を踏襲した「流域委員会」であった。当然住民参加もなければ、河川整備の代替案協議もないものである。御負けに、住民の反発、抗議に対して強硬手段「公務失効妨害」を適用する、所謂「肱川流域委員会事件」が引き起こされる。伝家の宝刀の前に住民、市民はなす術も無く、委員会を唯傍観するしかなかった。そして、この事件を契機に、方向性が出来つつあった行政への住民参加の担保が一気に崩れてしまい、今後の住民、市民運動のあり方に決定的な猜疑心を増幅させる結果を招くことになった。
「淀川モデル」という流域委員会での新語を作り出した「淀川流域委員会」は上記の二例と違い、全面的な市民、住民参加、情報の全面公開と国民論議を促す徹底的な広報の下に開催されている。そして、この委員会は何らかの形で継承されるものと思われる。
「流域委員会」の方向性と課題
簡単に列記した三通りの流域委員会で提示された河川整備の方向性と課題について述べる。
先ず、「紀ノ川流域委員会」では、利水上の目的が無くなったとして、「水需要を精査して、必要がないと判断した場合は、ダム建設の中止も考えられる」との答弁を近畿地方整備局河川部長が明言したことである。これは画期的な発言であり、この答弁がその後あらゆるかたちで影響を及ぼす結果となった。また、治水論「「基本高水」が高すぎる論議も十分とまではいかなかったが、各委員に多少の共通認識が持てたことと、さらに何よりの成果は議論白熱中に委員長から「高過ぎる」発言が飛び出したことは驚異に値するものであった。そして「基本高水」に置き換えられた「目標流量」という言葉が定着する。
委員会の特徴としては「基本高水」の協議が本格的に論じられたことである。「肱川流域委員会」、「淀川流域委員会」も論議されなかった。「肱川」でのそれは理解できるが、「淀川」の場合は理不尽さが残る結果になっている。その点、「紀ノ川流域委員会」は河川整備計画の方向性として一応の議論を経て「目標流量」が提示されたことは、「これが高い、妥当である」ことを抜きにしても評価される。残念なことだが、方向性については、その他の委員会では出せず、課題が提示されている現状であることを認識しなければならない。
「淀川モデル」とは何か
「淀川モデル」を標榜する流域委員会が、実現できない問題を摸索する。もともとこの委員会は「モデル」を構想した近畿地方整備局の河川整備計画のソフト面と位置づけた事業の一環として出発している。その何よりの証拠は「淀川流域委員会」運営経費の桁違いの予算計上にある。年間、4億円近い運営経費は、各地の流域委員会の比でないことが物語っている。目的は「モデル」の構築であって、河川整備計画の協議、住民参加を担保する為に立ち上げられた委員会でないことである。
国土省の狙いは「琵琶湖」を水問題の標的に置き換えて、淀川水系で問題になっている整備計画を知ってもらう、そして論じてもらう為の場の設定を確保しただけであって、元から断じて協議による方向性を探る為の委員会ではなかった。それは、貝のような無口な専門家委員、整備局の説明を聞くだけで精一杯の市民の参加者を見れば納得できる。
委員長の「この流域委員会では基本高水のような専門的な論議をする場ではない」の発言を一言聴けばよく頷ける。
専門家の師弟関係、行政各機関関係者、利水、治水抜きの水辺環境を楽しむボランティア市民の参加で構成されている委員会に河川整備の指針を摸索せよと言っても所詮無理な話である。それを第三者が誇大広告に目が眩み、住民参加が開催している錯覚を市民に与えてしまっていることの現実を把握することなく、さらに第三者団体が追い討ちを掛ける結果になっている為、幻想を与えることになってしまった、というのが現実である。
国土省の狙いはどこまでいっても、自分たちが法律であると自負している限りにおいて計画された路線をいかなる方法を持して策を弄することしか考えないのである。同じテーブルに着いたということで議論の結果に何かを期待仕勝ちであるが、それは自惚れと幻想に過ぎない。従って、「淀川モデル」は国土省によって作られた委員会、疑似なるものと認識しなければならない。それを「実効的な住民参加の手法」と勘違いするほど危険度は増えることになる。
しかし、課題を残す結果となった「淀川モデル」が定着してきた背景に「流域委員会」ウオッチング市民団体の功績がある。淀川水系における現況の行政背景を徹底的に精査することによって、流域委員会の審議内容を専門的次元に拡張した。この動きは、整備局側も若干の考慮はあったものの、しかし、今日の委員会状況を想定はしていなかったと考える。その意味で、住民、市民運動は生きた力学を発揮することになり、整備局にとってある種の脅威にはなった。従って、その力学が「淀川モデル」を定着させる一因になったことも否めない側面ではある。
課題が残ったと言えるか「肱川流域委員会」
問答無用で始まった流域委員会では、審議内容はもとより、整備計画の課題、流域委員会のあり方等の何ものも残さず6ヶ月で終了した。山鳥坂ダム計画を策定する為のものでしかなかった流域委員会は、新河川法違反であるとの抗議、批判を意に介せず河川整備計画策定を実施した。
「肱川流域委員会事件」を受けて、日弁連が「肱川流域委員会」に異例の意見書を提出したが、猫にまたたび、お女郎に小判とは成らず、反って無視の立場を貫いた。地元住民団体は「水源連」に労を執って頂き、国土省本庁と直談判したが、全く新河川法に抵触するどころか、各整備局の地域的特性の何ものでもないと一蹴される始末であった。従って、「肱川流域委員会」がもたらしたものは、新河川法における「肱川方式」という方法を実現させる為のお献立に過ぎない結果となった。
しかし、残された課題が皆無かと言えばそうでもない、怪我の功名と言えば余りにもおこがましいが、如何に弁護士会が実効的な役割を担えないかのよい実例になったことである。弁護士が真摯に考えて黙視するしかない判断に私達が黙視するか、はたまた、違法は「運動の力関係」であるとの見解を素直に受け入れるかの課題が提示されたと理解するかである。
総論
各論の詳細が省略されている(各論において膨大な資料と貴重な発言録があり、上記の記述は全てこれに基づいている)が、これを前提にした総論は、「流域委員会」は各整備局の計画実現に向かっての手段であり、住民参加は飽く迄も国土省の手の平の域を出ないものと考えておいてよい。しかし、運動は生きものである、また、状況も予測以上の変化が起こりうるのが現実社会である。
飽く迄も、運動を実践することは、一つのステージ、運動の段階として捉え果敢に挑戦しなければダム中止の実現への何ものも得ることが出来ないことを念頭に置き、「流域委員会」が例え住民参加を担保してもそれに妄信せず、「実効力ある」とは、協議の方向性と各論の指針を担保することでしかないことをくれぐれも肝に銘じておく必要がある。
幻想に終らせない為にも、幻想を抱くことのないように地域での特性を生かした住民運動に徹することが問われている。整備局と真正面から対峙してこそ初めて住民参加という言葉、概念が生まれる。今日の状況において、国の法律による、住民が享受、担保されるものなど何もないことを運動の原点にもっていなければならないことは言うまでもないことである。
以上、紙面の関係上概略になったが、「実効的な住民参加」の内実と意義についての論考である。
2004年10月20日
岩畑 正行
新河川法に基づく「流域委員会」は住民参加の何を実現してきたか。
また、住民、市民の参加を担保できる改正であったのか。さらに公共事業への実効ある提言に今後なることが可能なのか。今回は三ヶ所における「流域委員会」を例に挙げてその方向性を摸索する、「流域委員会」を検証する為の指針に過ぎない論述である。
三通りの流域委員会
04年の3月に「紀ノ川流域委員会」が2年9ヶ月の審議を経て終了、また「肱川流域委員会」は6ヶ月で答申を出した。そして3年間の審議で終盤を迎えた「淀川流域委員会」、これらを比較しながら治水と住民参加を考える。
先ず、各流域委員会は、その性格、主旨が顕著に出ていることに注目しなければならない。「紀ノ川流域委員会」は「紀伊丹生川ダム」計画中止の舞台になった。また、「肱川流域委員会」はダム建設が妥当であると答申を出した。そして、審議、論議を重ねて、各問題の方向性を出さず悪戯気味に委員会、住民討論会を開催し続けている「淀川流域委員会」である。この三例の流域委員会をもって今日開催されている流域委員会の性格を断ずることは出来ないが、少なくとも概論にはなる。
両極端の性格をもった委員会が「紀ノ川流域委員会」と「肱川流域委員会」である。これほど明解な主旨の下で開催された委員会も珍しく、多分この手法は継承される。結論から言えば、国土省計画のデモンストレーションを実現させる為の最たる道具立てということである。
先例を開くという意味において、「紀ノ川流域委員会」は画期的な試みが随所に企画された。先ず、委員の選定において委員会で問題になるダム建設の是非について、地元ダム反対住民団体、同じく市民団体から選出したことである。これは人数の問題ではない。この選出から、「傍聴者発言」、「ダム建設予定地の見学」、「治水論の分科会」、「地元住民団体説明による遊水地見学会」、そして「水需要の精査」、「基本高水」に代わる「目標流量」等、現在各地で協議されている問題に対する指針が提示された。
それに比べ、「肱川流域委員会」の場合は、「ダム審議委員会」に代わる「肱川河川再構築計画案」の全面是認を目的にした、国土省計画承認委員会、旧建設省形式を踏襲した「流域委員会」であった。当然住民参加もなければ、河川整備の代替案協議もないものである。御負けに、住民の反発、抗議に対して強硬手段「公務失効妨害」を適用する、所謂「肱川流域委員会事件」が引き起こされる。伝家の宝刀の前に住民、市民はなす術も無く、委員会を唯傍観するしかなかった。そして、この事件を契機に、方向性が出来つつあった行政への住民参加の担保が一気に崩れてしまい、今後の住民、市民運動のあり方に決定的な猜疑心を増幅させる結果を招くことになった。
「淀川モデル」という流域委員会での新語を作り出した「淀川流域委員会」は上記の二例と違い、全面的な市民、住民参加、情報の全面公開と国民論議を促す徹底的な広報の下に開催されている。そして、この委員会は何らかの形で継承されるものと思われる。
「流域委員会」の方向性と課題
簡単に列記した三通りの流域委員会で提示された河川整備の方向性と課題について述べる。
先ず、「紀ノ川流域委員会」では、利水上の目的が無くなったとして、「水需要を精査して、必要がないと判断した場合は、ダム建設の中止も考えられる」との答弁を近畿地方整備局河川部長が明言したことである。これは画期的な発言であり、この答弁がその後あらゆるかたちで影響を及ぼす結果となった。また、治水論「「基本高水」が高すぎる論議も十分とまではいかなかったが、各委員に多少の共通認識が持てたことと、さらに何よりの成果は議論白熱中に委員長から「高過ぎる」発言が飛び出したことは驚異に値するものであった。そして「基本高水」に置き換えられた「目標流量」という言葉が定着する。
委員会の特徴としては「基本高水」の協議が本格的に論じられたことである。「肱川流域委員会」、「淀川流域委員会」も論議されなかった。「肱川」でのそれは理解できるが、「淀川」の場合は理不尽さが残る結果になっている。その点、「紀ノ川流域委員会」は河川整備計画の方向性として一応の議論を経て「目標流量」が提示されたことは、「これが高い、妥当である」ことを抜きにしても評価される。残念なことだが、方向性については、その他の委員会では出せず、課題が提示されている現状であることを認識しなければならない。
「淀川モデル」とは何か
「淀川モデル」を標榜する流域委員会が、実現できない問題を摸索する。もともとこの委員会は「モデル」を構想した近畿地方整備局の河川整備計画のソフト面と位置づけた事業の一環として出発している。その何よりの証拠は「淀川流域委員会」運営経費の桁違いの予算計上にある。年間、4億円近い運営経費は、各地の流域委員会の比でないことが物語っている。目的は「モデル」の構築であって、河川整備計画の協議、住民参加を担保する為に立ち上げられた委員会でないことである。
国土省の狙いは「琵琶湖」を水問題の標的に置き換えて、淀川水系で問題になっている整備計画を知ってもらう、そして論じてもらう為の場の設定を確保しただけであって、元から断じて協議による方向性を探る為の委員会ではなかった。それは、貝のような無口な専門家委員、整備局の説明を聞くだけで精一杯の市民の参加者を見れば納得できる。
委員長の「この流域委員会では基本高水のような専門的な論議をする場ではない」の発言を一言聴けばよく頷ける。
専門家の師弟関係、行政各機関関係者、利水、治水抜きの水辺環境を楽しむボランティア市民の参加で構成されている委員会に河川整備の指針を摸索せよと言っても所詮無理な話である。それを第三者が誇大広告に目が眩み、住民参加が開催している錯覚を市民に与えてしまっていることの現実を把握することなく、さらに第三者団体が追い討ちを掛ける結果になっている為、幻想を与えることになってしまった、というのが現実である。
国土省の狙いはどこまでいっても、自分たちが法律であると自負している限りにおいて計画された路線をいかなる方法を持して策を弄することしか考えないのである。同じテーブルに着いたということで議論の結果に何かを期待仕勝ちであるが、それは自惚れと幻想に過ぎない。従って、「淀川モデル」は国土省によって作られた委員会、疑似なるものと認識しなければならない。それを「実効的な住民参加の手法」と勘違いするほど危険度は増えることになる。
しかし、課題を残す結果となった「淀川モデル」が定着してきた背景に「流域委員会」ウオッチング市民団体の功績がある。淀川水系における現況の行政背景を徹底的に精査することによって、流域委員会の審議内容を専門的次元に拡張した。この動きは、整備局側も若干の考慮はあったものの、しかし、今日の委員会状況を想定はしていなかったと考える。その意味で、住民、市民運動は生きた力学を発揮することになり、整備局にとってある種の脅威にはなった。従って、その力学が「淀川モデル」を定着させる一因になったことも否めない側面ではある。
課題が残ったと言えるか「肱川流域委員会」
問答無用で始まった流域委員会では、審議内容はもとより、整備計画の課題、流域委員会のあり方等の何ものも残さず6ヶ月で終了した。山鳥坂ダム計画を策定する為のものでしかなかった流域委員会は、新河川法違反であるとの抗議、批判を意に介せず河川整備計画策定を実施した。
「肱川流域委員会事件」を受けて、日弁連が「肱川流域委員会」に異例の意見書を提出したが、猫にまたたび、お女郎に小判とは成らず、反って無視の立場を貫いた。地元住民団体は「水源連」に労を執って頂き、国土省本庁と直談判したが、全く新河川法に抵触するどころか、各整備局の地域的特性の何ものでもないと一蹴される始末であった。従って、「肱川流域委員会」がもたらしたものは、新河川法における「肱川方式」という方法を実現させる為のお献立に過ぎない結果となった。
しかし、残された課題が皆無かと言えばそうでもない、怪我の功名と言えば余りにもおこがましいが、如何に弁護士会が実効的な役割を担えないかのよい実例になったことである。弁護士が真摯に考えて黙視するしかない判断に私達が黙視するか、はたまた、違法は「運動の力関係」であるとの見解を素直に受け入れるかの課題が提示されたと理解するかである。
総論
各論の詳細が省略されている(各論において膨大な資料と貴重な発言録があり、上記の記述は全てこれに基づいている)が、これを前提にした総論は、「流域委員会」は各整備局の計画実現に向かっての手段であり、住民参加は飽く迄も国土省の手の平の域を出ないものと考えておいてよい。しかし、運動は生きものである、また、状況も予測以上の変化が起こりうるのが現実社会である。
飽く迄も、運動を実践することは、一つのステージ、運動の段階として捉え果敢に挑戦しなければダム中止の実現への何ものも得ることが出来ないことを念頭に置き、「流域委員会」が例え住民参加を担保してもそれに妄信せず、「実効力ある」とは、協議の方向性と各論の指針を担保することでしかないことをくれぐれも肝に銘じておく必要がある。
幻想に終らせない為にも、幻想を抱くことのないように地域での特性を生かした住民運動に徹することが問われている。整備局と真正面から対峙してこそ初めて住民参加という言葉、概念が生まれる。今日の状況において、国の法律による、住民が享受、担保されるものなど何もないことを運動の原点にもっていなければならないことは言うまでもないことである。
以上、紙面の関係上概略になったが、「実効的な住民参加」の内実と意義についての論考である。
2004年10月20日
岩畑 正行