2004年10月03日
9人の「九条の会」についての私語
8月24日、「九条の会」発足記念講演会が東京で開かれました。
この会は三つの提案を出しています。それは、各地、各分野で賛同する会を作る。全国的な講演会、学習会を開催する。講演会記録・ブックレット、ポスターを活用して全国に広げる、というものです。
「改憲」阻止に向けた運動は、今年に入り各地で新しい試みが急激に展開、選挙の背景も手伝って「護憲運動」が活発に行われてきています。「九条の会」は既に6月10日発足記者会見が行われていて、発起人9人の歴々の方々ということもあり、既に話題が全国的なものになっていた、そして記念講演会を前後して各地で「会」の結成が行われつつあると聞いていました。
昨日、知人からホームページアドレス付きの、戦中生まれの女たちによる「九条の会」結成のお知らせを頂きました。なかなか出来の良いHPです、という案内もありさっそく見ることにしました。
「護憲運動」は多様な形、内容で活動するのが最も好ましい市民的運動と常々理解しています。そして現在も私個人が出来る活動を状況に合わせて取り組む姿勢を維持しています。従って、活動の方法論を論議することは必要性のないことである。と敢えて断定しながらも、現状況で個人が取り組む、反省を踏まえて謙虚に方法を摸索する姿勢からホームページをみて、誘発された種々の思いの丈を記すことにしました。
先ず、「九条の会」が宗教化していく前兆が脳裏に浮かび、いよいよ深刻な事態を超えている、精神化しつつあると感じました。ホームページの額縁に飾られた9人の九条の眩しさは正に神々しさを連想させます。女性特有のご本尊信仰がトップページから窺えます。日本人の精神風土から、全国各地に「九条の会」が祭られ、(「こういう「9条の会」が無数に出来ると良いですね。」)、各家庭の仏壇の脇に金飾りの額縁にポスターが納められ、信仰としての地位を得ると思うだけで空恐ろしく展望なき日本の精神文化の奈落の底を想像しました。
欧米人は人殺しをする前、協会に出かけ懺悔をしてから戦地に出かける歴史的事実があります。この選択、判断は常に彼らにおいて歴史は自分たちのものであると言う誤解と錯覚に終始塗れてきたことから生じています。歴史は欧米人のものでないことを正確に認識しなければなりません。しかし、精神化する「九条」の運動は、日本人もこの誤解と錯覚に再度塗れる危険性を包含していると理解できます。
欧米日人による世界再編を連想させるに十分な要因をもっているということです。市民の運動に難癖を付けたくなる現況を理解して頂きたいことを前置きして、あえて言えば雲行きの悪い国民的運動になりかねない、ご本尊、お守り運動になる可能性、また歴史的にお守り信仰が「九条御本尊」になることに対しての懸念を抱かざるを得ません。
この場合、事務局の見識を問うよりも、9人の日本人に対する思い上がり、懐かしい階級意識の知識人根性が丸見えになっているところに起因します。それでも広がりがもてれば良いという意見が現在左翼的、より市民的路線の平和運動が今風であるとの主張になっています、ところが市民はここが岐路になっていることの理解が出来ないようです。つまり、掲げる、祭り上げる運動はお釈迦になることを恐れて巧妙な日本人は直ぐに額縁に入れた神格化運動に転化させてしまうところです。
聖徳太子の時代から、三つ子の魂、精神風土は変わっていない、本音、建前の二重構造混在型が主流なのです。直接対決の時期を察することもなく、お念仏を唱えて善人ぶる、正義感ぶることは金輪際止めないと、とても「九条を守ろう」最後の砦を死守できないことを学習する必要があると思います。また、その前座として、言葉の復権を目指すことが最重要課題であることを認識しなければならないでしょう。
既に死語になっている、なりつつある言葉、「変革」、「阻止」、「復権」、「蜂起」その他、特に「九条を守る」ことの現実可能性は、「蜂起する」、「阻止する」ことでしかないことが直言できます。現在私達が考えなければならないことは、言葉の復権(認識)を新たな出発とすることです。この推論は「九条を守ろう」から飛躍、次元が違うように思われますが、あえてこの機会に先物論として述べておきます。
現実的には日米地位協定の破棄という言葉の復権が出来ないとすれば、「見直し」、さらに今実践しなければならない「自衛隊法改正」、「恒久法制定」の反対運動を全国的に繰り広げること等が先決問題として挙げられます。今直ぐの問題を棚上げにしては何事も成形しません。9月は最重要月間です。
小泉首相の国連演説から一気に「自衛隊法」の改正、「恒久法」の論議が浮上します。この法案は来年の自民党による「憲法改正案」発表と緊密に関係して国会審議されます。これに私達がどう立ち向かうか、「改正」反対、阻止する為の要になります。徹底抗戦と呼ぶに相応しい状況であることをどれだけの私達市民が理解できるかに「九条を守る」運動は懸かっています。この状況だからこそ、現在、私は街頭に立ちちらし配布を個人の実践としています。
合言葉は、「皆で街角に立とう」これが実現できれば、世の中、何かおかしいぞ、何か変わりつつあるのかという空気が伝えられる可能性が出てきます。自民、公明、民主各党贔屓の市民に直接対決してこの空気、気配を伝えることが可能性につながると念じて、街角に立とう、決して直接対決を避けてはなりません。この指とまれでは、改憲への勢いはとまりません。私達運動をする実践人が「守る」ということは、この場合、戦争法を作らせない運動を実践することです。「新ガイドライン」、「周辺事態法」、「有事法制」、日本が戦争できる法律を私達は全て許してきました。
現実に先日の米軍ヘリ墜落事故の米軍、日本政府の対応を見て、戦争とその周辺では「人権は守られない」ということが証明されました。この明らかな歴史的事実を鑑みることなく、民主党は「国民の人権と財産の保護」を主張して「有事法制」に賛成しました。権力に目が眩み、思考停止になったのでしょう。よく考えればこの地点から思考停止が連続的なものになり、自民党のそれと変わらない現状になっています。岡田代表の訪米での会見では、国連決議の下では、多国籍軍の責任ある一員として「汗と血を流してでも」集団的自衛権の行使を明言しました。
第三権力者マスコミがこの民主党の思考停止による肥満現象を、「二大政党制」、近代化という日本人のコンプレックスをくすぐりその方向性を無責任に是認してしまいました。その結果は昨年と今年に実施された二回の選挙から現実のものとして始動したことを私達は再確認することになった訳です。これら全てを反省して、さらに過去の私達が無関心でいた自戒をこめて、一極集中、「恒久法」制定反対に立ち上がらなければ「九条」の明日はないと考えます。憲法、「憲法九条」を学習するとよく言います。
しかし、九条は学習するものではなく、判断するものです。市民は常に見てみぬ振りを決め込んでいるだけです。これを常に利用しているのが、政府の既成事実を積み重ねるという先手必勝策です。「自民党は日本人そのものです」と歴代首相が繰り返し述べるところにこの日本人気質を先読みしているのです。既成事実の積み重ね、現実を目の当りにして、いつも沈黙を金としてきた正直者がいつも悲劇をみるという構図は歴史的に引き継がれているのです。
最後に9人の「九条の会」に問い質したい。現況において旧来の「九条の会」は確かに老朽化した地域もあることは事実です。しかし、緻密に歳月を掛けた運動展開を現況繰り広げているのも事実であり、現在の状況に何らかの歯止め的運動を担ってきた歴史的事実、時間軸があったことも事実です。9人の「九条の会」の全国的な広がりを願っての運動であるとすれば、当然、市民の運動として、「横の連帯」を摸索できなかったのか不可思議です。
仁義なき戦いではないのですから、この機会に「声」を掛け合って全国的な運動に盛り上げる過程が担保されていて当然だと考えます。9人の「九条の会」と洒落込んでいる状況ではないと察するのは私だけでは無い筈です。この「九条の会」、御題目は「憲法9条、いまこそ旬」と言葉が掲げられています。歴々とした方々の文言には先程の洒落と同じく、気品ある洗練された言葉の格調を感じますが、「旬」という言葉が気になります。
私の浅知恵ですが、「旬」は政の儀式、状況の一番よい時期、さらに、季節で象徴されるように「変り目」を意識させます。所謂、この運動が儀式化しないか、「変り目」が「改正」にならないか、また、よい時期は自民党にとっても最もよい時期である訳です。これらが全て私だけの下種の勘繰りであることを祈るばかりです。
兎に角、市民の運動であるとすれば、「九条の会」の「横の連帯」は避けてはならないと考えます。
以上が、「憲法9条改正」反対に連帯する実践人から2004年8月25日現在における9人の「九条の会」について言及した私語です。
この会は三つの提案を出しています。それは、各地、各分野で賛同する会を作る。全国的な講演会、学習会を開催する。講演会記録・ブックレット、ポスターを活用して全国に広げる、というものです。
「改憲」阻止に向けた運動は、今年に入り各地で新しい試みが急激に展開、選挙の背景も手伝って「護憲運動」が活発に行われてきています。「九条の会」は既に6月10日発足記者会見が行われていて、発起人9人の歴々の方々ということもあり、既に話題が全国的なものになっていた、そして記念講演会を前後して各地で「会」の結成が行われつつあると聞いていました。
昨日、知人からホームページアドレス付きの、戦中生まれの女たちによる「九条の会」結成のお知らせを頂きました。なかなか出来の良いHPです、という案内もありさっそく見ることにしました。
「護憲運動」は多様な形、内容で活動するのが最も好ましい市民的運動と常々理解しています。そして現在も私個人が出来る活動を状況に合わせて取り組む姿勢を維持しています。従って、活動の方法論を論議することは必要性のないことである。と敢えて断定しながらも、現状況で個人が取り組む、反省を踏まえて謙虚に方法を摸索する姿勢からホームページをみて、誘発された種々の思いの丈を記すことにしました。
先ず、「九条の会」が宗教化していく前兆が脳裏に浮かび、いよいよ深刻な事態を超えている、精神化しつつあると感じました。ホームページの額縁に飾られた9人の九条の眩しさは正に神々しさを連想させます。女性特有のご本尊信仰がトップページから窺えます。日本人の精神風土から、全国各地に「九条の会」が祭られ、(「こういう「9条の会」が無数に出来ると良いですね。」)、各家庭の仏壇の脇に金飾りの額縁にポスターが納められ、信仰としての地位を得ると思うだけで空恐ろしく展望なき日本の精神文化の奈落の底を想像しました。
欧米人は人殺しをする前、協会に出かけ懺悔をしてから戦地に出かける歴史的事実があります。この選択、判断は常に彼らにおいて歴史は自分たちのものであると言う誤解と錯覚に終始塗れてきたことから生じています。歴史は欧米人のものでないことを正確に認識しなければなりません。しかし、精神化する「九条」の運動は、日本人もこの誤解と錯覚に再度塗れる危険性を包含していると理解できます。
欧米日人による世界再編を連想させるに十分な要因をもっているということです。市民の運動に難癖を付けたくなる現況を理解して頂きたいことを前置きして、あえて言えば雲行きの悪い国民的運動になりかねない、ご本尊、お守り運動になる可能性、また歴史的にお守り信仰が「九条御本尊」になることに対しての懸念を抱かざるを得ません。
この場合、事務局の見識を問うよりも、9人の日本人に対する思い上がり、懐かしい階級意識の知識人根性が丸見えになっているところに起因します。それでも広がりがもてれば良いという意見が現在左翼的、より市民的路線の平和運動が今風であるとの主張になっています、ところが市民はここが岐路になっていることの理解が出来ないようです。つまり、掲げる、祭り上げる運動はお釈迦になることを恐れて巧妙な日本人は直ぐに額縁に入れた神格化運動に転化させてしまうところです。
聖徳太子の時代から、三つ子の魂、精神風土は変わっていない、本音、建前の二重構造混在型が主流なのです。直接対決の時期を察することもなく、お念仏を唱えて善人ぶる、正義感ぶることは金輪際止めないと、とても「九条を守ろう」最後の砦を死守できないことを学習する必要があると思います。また、その前座として、言葉の復権を目指すことが最重要課題であることを認識しなければならないでしょう。
既に死語になっている、なりつつある言葉、「変革」、「阻止」、「復権」、「蜂起」その他、特に「九条を守る」ことの現実可能性は、「蜂起する」、「阻止する」ことでしかないことが直言できます。現在私達が考えなければならないことは、言葉の復権(認識)を新たな出発とすることです。この推論は「九条を守ろう」から飛躍、次元が違うように思われますが、あえてこの機会に先物論として述べておきます。
現実的には日米地位協定の破棄という言葉の復権が出来ないとすれば、「見直し」、さらに今実践しなければならない「自衛隊法改正」、「恒久法制定」の反対運動を全国的に繰り広げること等が先決問題として挙げられます。今直ぐの問題を棚上げにしては何事も成形しません。9月は最重要月間です。
小泉首相の国連演説から一気に「自衛隊法」の改正、「恒久法」の論議が浮上します。この法案は来年の自民党による「憲法改正案」発表と緊密に関係して国会審議されます。これに私達がどう立ち向かうか、「改正」反対、阻止する為の要になります。徹底抗戦と呼ぶに相応しい状況であることをどれだけの私達市民が理解できるかに「九条を守る」運動は懸かっています。この状況だからこそ、現在、私は街頭に立ちちらし配布を個人の実践としています。
合言葉は、「皆で街角に立とう」これが実現できれば、世の中、何かおかしいぞ、何か変わりつつあるのかという空気が伝えられる可能性が出てきます。自民、公明、民主各党贔屓の市民に直接対決してこの空気、気配を伝えることが可能性につながると念じて、街角に立とう、決して直接対決を避けてはなりません。この指とまれでは、改憲への勢いはとまりません。私達運動をする実践人が「守る」ということは、この場合、戦争法を作らせない運動を実践することです。「新ガイドライン」、「周辺事態法」、「有事法制」、日本が戦争できる法律を私達は全て許してきました。
現実に先日の米軍ヘリ墜落事故の米軍、日本政府の対応を見て、戦争とその周辺では「人権は守られない」ということが証明されました。この明らかな歴史的事実を鑑みることなく、民主党は「国民の人権と財産の保護」を主張して「有事法制」に賛成しました。権力に目が眩み、思考停止になったのでしょう。よく考えればこの地点から思考停止が連続的なものになり、自民党のそれと変わらない現状になっています。岡田代表の訪米での会見では、国連決議の下では、多国籍軍の責任ある一員として「汗と血を流してでも」集団的自衛権の行使を明言しました。
第三権力者マスコミがこの民主党の思考停止による肥満現象を、「二大政党制」、近代化という日本人のコンプレックスをくすぐりその方向性を無責任に是認してしまいました。その結果は昨年と今年に実施された二回の選挙から現実のものとして始動したことを私達は再確認することになった訳です。これら全てを反省して、さらに過去の私達が無関心でいた自戒をこめて、一極集中、「恒久法」制定反対に立ち上がらなければ「九条」の明日はないと考えます。憲法、「憲法九条」を学習するとよく言います。
しかし、九条は学習するものではなく、判断するものです。市民は常に見てみぬ振りを決め込んでいるだけです。これを常に利用しているのが、政府の既成事実を積み重ねるという先手必勝策です。「自民党は日本人そのものです」と歴代首相が繰り返し述べるところにこの日本人気質を先読みしているのです。既成事実の積み重ね、現実を目の当りにして、いつも沈黙を金としてきた正直者がいつも悲劇をみるという構図は歴史的に引き継がれているのです。
最後に9人の「九条の会」に問い質したい。現況において旧来の「九条の会」は確かに老朽化した地域もあることは事実です。しかし、緻密に歳月を掛けた運動展開を現況繰り広げているのも事実であり、現在の状況に何らかの歯止め的運動を担ってきた歴史的事実、時間軸があったことも事実です。9人の「九条の会」の全国的な広がりを願っての運動であるとすれば、当然、市民の運動として、「横の連帯」を摸索できなかったのか不可思議です。
仁義なき戦いではないのですから、この機会に「声」を掛け合って全国的な運動に盛り上げる過程が担保されていて当然だと考えます。9人の「九条の会」と洒落込んでいる状況ではないと察するのは私だけでは無い筈です。この「九条の会」、御題目は「憲法9条、いまこそ旬」と言葉が掲げられています。歴々とした方々の文言には先程の洒落と同じく、気品ある洗練された言葉の格調を感じますが、「旬」という言葉が気になります。
私の浅知恵ですが、「旬」は政の儀式、状況の一番よい時期、さらに、季節で象徴されるように「変り目」を意識させます。所謂、この運動が儀式化しないか、「変り目」が「改正」にならないか、また、よい時期は自民党にとっても最もよい時期である訳です。これらが全て私だけの下種の勘繰りであることを祈るばかりです。
兎に角、市民の運動であるとすれば、「九条の会」の「横の連帯」は避けてはならないと考えます。
以上が、「憲法9条改正」反対に連帯する実践人から2004年8月25日現在における9人の「九条の会」について言及した私語です。