イラク 「正しい変化」を奪った占領

1月13日毎日新聞夕刊に「立ち上がる女性たち」(1)の連載が始まった。見出しは「占領を監視する新聞人」とある。
イラクで今月初めに発行された新聞「占領下」の編集責任者の抱負を語った記事になっている。彼女はフセイン政権下では女性週刊誌の女性編集長、フセイン政権に反対の立場だったが、イラク戦争を正当化してもいない。そして「サダムはイラク人が倒すべきで、倒れるのは時間の問題だった。それこそが正しい変化だったのに、米国はイラク人からその権利も奪った」と力説している。
 
「米軍は解放軍である」との迷信じみた妄言があるが、この編集長の主張はこの迷信を真っ向から覆す歴史的真実を言い表している。民族による文化的社会秩序の構築は歴史的時間を共有して初めて彼女の言う「正しい変化」が歴史に刻まれて実施されるものでなければならない。民主主義が唯一正しいとの主張が時間を越えての縛りになっている事実、現状では形式論の先行が目立ち、テキストに民主主義を漫画風に諭しても所詮漫画であれば2度3度笑ってお終いということになりかねない。
 
最近忘れかけているアフガン占領下での復興ぶりを知らせるマスコミが少なくなっているが、イラク復興がゲリラ戦に阻まれ米国の計画が遂行できない現状にニュース性があるからだろう。9日アフガンのニュースでタリバンによる誤爆の為16人が爆死したと報じられている。占領地でのゲリラ戦が続いている証拠である。米国民主主義への取替え作業が上手く機能していないのだろう。しかし、原点に立ち考えれば、文化の取替えなど創造する方が茶番なのである。飛躍した話になるが、川端康成がノーベル賞を受賞した時の談話に、「翻訳者が半分貰ったようなものですよ」というのがあった。これこそ川端文学の真骨頂をよく表している本人の言葉だと思う。だから民族なのであって川端文学は文化なのである。話を戻すが、彼女は民族と文化を奪ったと主張して民族の尊厳を台無しにされたと抗議しているのである。

アフガンの次に今イラクが最大の問題になっている。マスコミは事件を掲載するのに躍起になり、また、国民全てがイラク復興に釘付けされている。ここで彼女のいう「正しい変化」について日本を考えてみたい。戦後米国民主主義が散布され日本民族特有の実利主義的効率化の実績のお陰で類を見ない戦後復興を成し遂げた。

それは「目を見張る変化」とでも言えるものである。しかし、私達もまたこのイラクの女性が主張する「正しい変化」を遂行する権利を米国から奪われたと考えられないか。結果的に私はそうなっていると考える。今回のイラク派兵は、平和より米国民主主義を優先させて再び約半世紀前の軍国主義日本になることを現実のものとした。

日米安保の床の間飾りを冷戦終結宣言後も埃払いすらせず、さらに自衛隊、天皇制について歴史的時間を暖めることをせず、ひたすら米国民主主義に追い越せとの暗黙の下に時間を先送りしての「正しい変化」を蔑ろにしてきた結果、折角多大な歴史的犠牲を払って得た平和を米国民主主義に返上するという、日本人の歴史的財産「平和」を手放してしまった。それこそ、日本人の尊厳を守る権利をレイプされるかたちで放棄してしまった。そのことについての怒りを誰も叫ばない日本は「正しい変化」を知覚する歴史的時間をもつことを将来に亘ってなくした。

13日共産党は綱領改定で自衛隊、天皇制を認めた「ソフト路線」資本主義の枠内の民主主義革命を目出す方針を打ち出した。また、民主党は自衛隊と別組織の「国連待機部隊」を創設し、国連による平和協力活動にあたるという恒久法を是認する憲法改正案を提起した。いずれも「正しい変化」どころか歴史的時間の理念が何処吹く風になってしまった。結論的には占領による民主主義は再び戦争への導引であり民族の文化破壊のなにものでもないことが歴史的事実として明らかになった。

米英日帝国民主主義の到来は、歴史は繰り返されるという記念すべき瞬間を私達に立ち会わせた。