反戦集会 日比谷野外音楽堂へ集まれですか

また、日比谷野外音楽堂へ集まれですか。

〈集会に100万人が集ろう〉随分威勢の良い掛け声ですね。
どうしてこうもアメリカからの呼びかけには敏感に反応するのでしょうか。アメリカのブッシュに誘われ、マメリカのアンサーに呼び掛けられ右往左往する日本人にはもういい加減げんなりしてきています。何もアメリカの州に編入記念お祭騒ぎでもないでしょうに。そうは言っても、スーダン・ソンタグのような馬鹿に大江健三郎氏が手玉に取られる精神文化状況です。アメリカの常識が日常化するのも無理からぬことになってきているのでしょう。

戦後、原子爆弾がもう一つ落ちていればと言ってフランスに逃亡した哲学者が居たが、今日になれば気持ちが解らないではない心境です。皇室の女帝論議が国民論議になった文化国家です。日本共産党もご本尊が完成して手入れに余念ない現況です。
今回呼び掛け頂いた文言

>「 この日3月20日はイラク戦争(攻撃)1周年の日で、世界中で集会やデモが開かれます。(全米では今から交通手段の確保、バスのチャーターなど、準備が進んでいるそうです。)世界中の一番最初が日本だそうです。」
よびかけの主旨は理解できます。しかし、何時もながら、お祭騒ぎで目的が具体化していない集会のように感じられます。昨年春のアンサー呼び掛けの「ピースアクション」は何だったのでしょうか。

「有事法制」、「イラク特措法案」を通す為の前夜祭としか思えない結果の線香花火だったとしか考えられません。アメリカ型反戦運動を展開しても日本の特性には馴染まないという表現は的を射ていないかもしれないが、一考に値すると考えます。昨年のチョムスキーの発言「アメリカの反戦運動に拘ってもらいたくない、放っておいてくれ。日本とは関係ないアメリカの問題である。」これはアメリカ人としてのせめてもの良心を語ったものと思います。

昨年「ピースアクションわかやま」では150人という大規模な市民デモが毎週連続して行われました。しかし、バクダットが陥落した4月以降はまた何時もの12人でデモを行うことになったのです。この経験を踏まえ、今日の精神的土壌からは厳しい状況を強いられるが、60年、70年安保の問題提起を踏襲しない日本での反戦市民運動にはやはり限界と無理があるとつくづく思い知りました。ただ、次世代の為に声を発信する場を提供することは大事なことです。

しかし、線香花火ではその後の反戦運動の力を継承させるには無理があります。夏場の花火大会と同じ徒の祭でしかありません。