小泉首相発言と米国の常識

日本の心を米国の常識が駆逐する

私は常々民主党菅代表の国会質疑能力に疑問を抱いている者の一人である。
18日の2大政党制党首討論幕開け第一弾は前回より迫力に欠ける凡庸な論戦に終りこれまたがっかりした。小泉節のリズムを崩す議論の噛み合いを菅代表が作れなかった、所謂突込みが足らないもしくは各論が互いに国民の平均的な政策しか持ち得ないところでの議論に終始してきていることに起因している。何れにせよ国民が物足らないとする内容であったことは事実であり、小泉首相のオウム返しの答弁もこれ以上頂けない。これが2大政党制の走りだとは考えたくはない。
 
小泉首相の雑な発言の乱発の背景にある自信は最近の米中央情報局のデビッド・ケイ前特別顧問の米議会証言が根拠にあるのではないかと考えられる。ご存知のように、博士の証言は「大量備蓄はなかった」、「大量破壊兵器が見つからなかった」が、「今でもブッシュ大統領と同じ結論(武力行使)に達しただろうと確信している」との内容である。

また、これを受けてどう逆作用したのか各紙の一部が大量破壊兵器だけが問題か「全体見ないのは短絡的」であるとの主張(2月13日毎日新聞論説「イラク戦争の大義」に変わってきた。各報道機関がケイ発言で「戦争の大義は崩れた」という主張は木を見て森を見ず、短絡過ぎると批判をしている。このケイ発言とマスコミ論評を真に喜んだのは他ならぬ小泉首相と石破防衛庁長官だろう。

小泉首相の「イラク戦争大義名分あった」ことの確信を強め、「近い将来私がイラク戦争支持を行ったことが評価されるであろう」とさらに自信を深めるに至った。従って菅代表との討論には落ち合うすきさえ与えないのである。米国においてもケイ発言が反ってブッシュ指示に傾いたのと同じ兆候になってきている。この社会背景が米国の常識、精神文化なのである。

思い出して頂きたい、米軍がコソボに民主主義と正義の為に攻撃を開始、それを受けてノーベル文学賞作家大江健三郎が〈平和について〉スーダン・ソンタグに語りかけ見事に手玉に取られた現実。また昨年12月15日米・スミソニアン航空宇宙博物館で原爆投下B29爆撃機「エノラ・ゲイ号」が一般公開された時の理由は「原爆投下は素晴らしいことであった」という米国の常識からである。列挙に暇がない米国の常識だが、ここに来てまた更なる決定的とも言える助っ人が現われた。

ソ連崩壊を予言した「最後の崩壊」の著者エマニュエル・トッド氏の毎日新聞への寄稿である。
― イラク戦争への日本の対応について。
「短期的にはあまり批判する点はないと思う。ブレア英首相は「有罪」だが、小泉純一郎首相は「無罪」だ。」
 
― 自国の安全を保障する手段について
「被爆国・日本として提起しにくいと思うが、核武装の選択肢だ。」、「もし、日本が核兵器を持っていたら、イラクへの自衛隊派遣の必要もなかっただろう。」というものである。小泉内閣にとっては願ったり叶ったりの論評となった。御負けに表題は「米の保護領に終止符を」がついている。石原都知事も喜ぶものであり、「日本万々歳」とはこのことであろう。確かにトッド氏の指摘は的を射た言説に終始なっている。

しかし、氏が日本を理解できないところからくる根本的な発想の違いは、日本は「被爆国・日本」であって、核武装の選択肢はないことである。それ以外の氏の論説は傾聴に値するところ大で事実である。根本的な発想で言及すれば、氏にとってまた私の個人的なところでもあるが、トッド氏の先祖から由来する透徹した思考回路は単なるユダヤ的に止まらないが、私には理解を超えたものである。氏の御祖父フランス戦後アール・ヌーボの旗手を担ったーポール・ニザンも私の理解を超えるものであったことを思い出した。

米国の常識はよく17世紀の英国哲学者ホッブズの理念「自由と平等を勝ち取る為には戦わなければならない」が脈々と生き続けている。米国のスタンダードになったグローバリズムが典型だろう。小泉首相発言はこの米国スタンダードの発言を繰り返すことで自由と正義を日本も持たなければならないと主張し始めた。正義とは、イラク派兵を決定した日本国憲法前文の詭弁解釈の披露がそれである。変節漢小泉首相の「有罪」は騙すに手無しの国民に詭弁の説明で憲法前文を披露したことによる、憲法侮辱罪に相当する。
 
この風潮、米国の常識が日本の歴史的体験(被爆国・日本)を駆逐しつつある。しかしこの恐ろしい傾向を逆手に取り、「恥の文化」の喪失と憂い、徴兵制を奨励する小泉共鳴者・森本敏氏なども同罪である。産経新聞の「正論」だけが筋の通った所論だと明言する時代錯誤者、「政府に反対し、米国に反対することが進歩的文化人の証しであるかのように信じて疑わない言論人がいるから日本人の思考基準が狂ってきたのである。」(産経新聞正論)と公言する森本氏自身が米国の常識に加担して本来の「恥の文化」を亡き者にしてきた張本人である。

その本人が「利己主義と拝金主義だけの社会は暗黒社会である。」その対策として日本社会の良き規律を取り戻すには、森本氏提唱の「徴兵制コース」を「企業が争ってこのコースを出た若者を採用したり、このコースを出ることを採用条件にする企業が増えれば問題は解決する。」(正論)と宣ふ。森本氏の「正論」足りうる根拠、基準思考回路は時代錯誤の常軌を逸している。森本氏の提唱は画一的監視社会と本来の自由主義の精神空洞化の到来を生むものであり、ブッシュ・グローバリズム、米国の常識そのものである。

最後に、私は一番恐ろしい事態を考えるのは、精神文化の変容、日本の心を米国の常識が駆逐することの進歩である。