2004年02月20日
「武庫川流域委員会」発足
18日兵庫県は武庫川流域の河川整備計画を検討する委員会を3月に設置する発表を行いました。武庫川流域委員会の発足です。
この委員会は実に1年余しの準備委員会を経て発足しています。その背景は武庫川ダム問題の県営ならではの特異性があります。もともと建設工事が決定している流れのなかで、新河川法の実施が義務付けられ、曲りなりの実施要綱を県が行ったところ地元流域団体の強い反発(1次準備書の段階で800通からの意見書があり、知事が腰砕けになったという経緯があります。私が初めて地元に入ったのはこの時で、丁度「紀ノ川流域委員会」が立ち上がる前でした。
環境アセスメントが頓挫してしまい、県に問い合わせても要領の得ない返答が繰り返され2001年に自然凍結になった。アセスの頓挫した背景には、強い反発と地元流域団体の県への円卓会議要請があった。私の当初の話は直ぐに国土省的な流域委員会の立ち上げは無理だから、住民団体との円卓会議から初めて流域委員会に持っていくという提案でした。「武庫川を愛する会」の方々の頑張りで2年の歳月をもって、やっと準備委員会が立ち上がった。
2002年の6,7月ごろの話で、私は9月に再度「紀ノ川流域委員会」についての話をする為「武庫川を愛する会」に行きました。それからが準備委員会を立ち上げるのに苦難の時間を費やした訳です。常に問題になる委員の選定問題、県の推薦はとんでもない先生方を準備していた訳です。一時は円卓会議をもっていた流域住民団体が棄権を考えるほどのものだと聞いています。
円卓会議への呼び込みから流域委員会の立ち上げは住民運動として理想的な展開で私も喜んでいたが、どうも最近の話、昨年暮にも連絡を頂いた内容から推測して心配していた予感が当るような気がしないでもない。準備委員会委員の内容から25人の委員構成は決して望ましい定数ではない。
新聞記事に「2001年に計画が白紙になった治水目的の武庫川ダム建設の必要性などを検討する」とある。要するに流域委員会の発足は県側の巻き返しに因る立ち上げで、完全に逆手に取られた訳です。各運動体において「白紙」、「凍結」の解釈は行政の正式な発表がない限り計画が継承していると理解するのが普通でついつい行政のお誘いに乗って決着をつけたいと思うのは運動展開として無理からぬところです。しかし何事においても諸刃の剣の認識が必要、よく使われている「見直し案」になりかねない。
以下、19日日経新聞
「武庫川流域整備を検討 兵庫県来月に委員会設置
兵庫県は18日、同県南東部を流れる武庫川流域の河川整備基本方針や整備計画を検討する委員会を3月に設置すると発表した。
2001年に計画が白紙になった治水目的の武庫川ダム建設の必要性などを検討する。2年後を目途に整備計画についての提言をまとめる方針。
委員会のあり方を検討してきた準備会議が18日、井戸敏三知事に
委員会設置を求める提言を提出した。名称は「武庫川流域委員会」とし、学識経験者や一般公募で選ばれた地域住民ら25人で構成する。整備計画の前段階となる整備基本方針の段階から、県が策定する原案などについて幅広い意見を反映させる。
武庫川ダムは1970年代以降、武庫川の洪水調整など治水を目的とした「穴あきダム」として計画された。だが環境への配慮などで地域住民の反対を受けて2001年に計画見直しが決まった。」
この委員会は実に1年余しの準備委員会を経て発足しています。その背景は武庫川ダム問題の県営ならではの特異性があります。もともと建設工事が決定している流れのなかで、新河川法の実施が義務付けられ、曲りなりの実施要綱を県が行ったところ地元流域団体の強い反発(1次準備書の段階で800通からの意見書があり、知事が腰砕けになったという経緯があります。私が初めて地元に入ったのはこの時で、丁度「紀ノ川流域委員会」が立ち上がる前でした。
環境アセスメントが頓挫してしまい、県に問い合わせても要領の得ない返答が繰り返され2001年に自然凍結になった。アセスの頓挫した背景には、強い反発と地元流域団体の県への円卓会議要請があった。私の当初の話は直ぐに国土省的な流域委員会の立ち上げは無理だから、住民団体との円卓会議から初めて流域委員会に持っていくという提案でした。「武庫川を愛する会」の方々の頑張りで2年の歳月をもって、やっと準備委員会が立ち上がった。
2002年の6,7月ごろの話で、私は9月に再度「紀ノ川流域委員会」についての話をする為「武庫川を愛する会」に行きました。それからが準備委員会を立ち上げるのに苦難の時間を費やした訳です。常に問題になる委員の選定問題、県の推薦はとんでもない先生方を準備していた訳です。一時は円卓会議をもっていた流域住民団体が棄権を考えるほどのものだと聞いています。
円卓会議への呼び込みから流域委員会の立ち上げは住民運動として理想的な展開で私も喜んでいたが、どうも最近の話、昨年暮にも連絡を頂いた内容から推測して心配していた予感が当るような気がしないでもない。準備委員会委員の内容から25人の委員構成は決して望ましい定数ではない。
新聞記事に「2001年に計画が白紙になった治水目的の武庫川ダム建設の必要性などを検討する」とある。要するに流域委員会の発足は県側の巻き返しに因る立ち上げで、完全に逆手に取られた訳です。各運動体において「白紙」、「凍結」の解釈は行政の正式な発表がない限り計画が継承していると理解するのが普通でついつい行政のお誘いに乗って決着をつけたいと思うのは運動展開として無理からぬところです。しかし何事においても諸刃の剣の認識が必要、よく使われている「見直し案」になりかねない。
以下、19日日経新聞
「武庫川流域整備を検討 兵庫県来月に委員会設置
兵庫県は18日、同県南東部を流れる武庫川流域の河川整備基本方針や整備計画を検討する委員会を3月に設置すると発表した。
2001年に計画が白紙になった治水目的の武庫川ダム建設の必要性などを検討する。2年後を目途に整備計画についての提言をまとめる方針。
委員会のあり方を検討してきた準備会議が18日、井戸敏三知事に
委員会設置を求める提言を提出した。名称は「武庫川流域委員会」とし、学識経験者や一般公募で選ばれた地域住民ら25人で構成する。整備計画の前段階となる整備基本方針の段階から、県が策定する原案などについて幅広い意見を反映させる。
武庫川ダムは1970年代以降、武庫川の洪水調整など治水を目的とした「穴あきダム」として計画された。だが環境への配慮などで地域住民の反対を受けて2001年に計画見直しが決まった。」