「みどりの会議」の失脚について

「みどりの会議」失脚について反省の弁が少し聞かれますが、反響的には想像より醒めた感触を持っています。というのは、昨年衆議院選挙後、「第3の声」が危ぶまれていながら、市民運動自体が何の対処もせずに参議院選挙に突入したきらいがあります。また、「みどりの会議」が自信を持っていたのか理解に苦しみますが、少なくとも、4年前から田中康夫、青山貞一、中村敦夫のトライアングルが崩れかかっていたことを陣営は知らない訳ではなかったと思います。

従って、当然の結果を招いた選挙だと指摘されても致し方ないと考えます。2年前から市民運動が完全に衰退してきている現実を認知できていなかったとは弁明にならないでしょう。また、政界における「人気」の動向を支える世相は、昔と違ったものになっている実態を私達ですら理解せざるを得ない状況は衆知の事実になっています。実は、昨年12月25日、内海ダムのヒアリングの後、石井君が中村さんと話し合いを持った。その夜、香川県出身の友人と3人で談義したが結果は「みどりの会議」ではなかった。

 ここで私個人の立場について述べます。先ず、中村さんには「一宿一飯の恩義」はありません。何かあるとすれば、約束を反故にされたことが2回あることです。一つは個人的な依頼の件、二つ目は苫田ダムシンポジウムの講演依頼の件です。
 問題は選挙に関して、今後の2大政党制の弾みが極めて戦前と類似した方向性になる(昭和28年から32年の4年間、立憲政友会と立憲民政党の起結)危機感から、市民運動としての取り組みを考えて、私は昨年暮から、新社会党と社民党、共産党の一部の方と運動体を立ち上げる企画を年初めから進めていたことです。

突然、石井さんが藤田さんの参謀を買って出て連絡があった訳だが、先ず3月27日、大阪のダムシンポジウムで紹介したのが始まりだったが。そして選挙戦に入る2週間前に再度連絡があったが、私の市民運動の立場上、メールとホームページでの紹介に止まらずを得ない状況で、しかし、現実は石井さんが産廃運動の知人に連絡を取って「みどりの会議」の認知が全くないことに落胆して、それでも広報することの意義を提案して、1日私と石井さんと街宣を実施することになった訳です。

私の判断は、和歌山選挙区で社民党が擁立できなかった票が、共産党アレルギーの為に民主党に投票しない選択肢を広報することも必要であると考えてのことでしたが、市民オンブズマンから軸足を明確にする必要を忠言された次第です。
 
結果的には、共産党が4万3千票で、自民党が全国一番の当選速報になったという笑えない現実でした。和歌山は「自民党の王国」の証明になった訳です。従って、国民が「みどりの会議」に関心薄になっていて、和歌山は当初から全く党名すら知らず関心を示さなかったということです。しかし、大事なことは和歌山の票率ではなくて、「みどりの会議」自体が選挙を戦う体制にあったかの問題です。