2002年08月15日
宮森 幹男 さん
突然の死に今でも唖然としていて、なかなか遺稿集に寄稿できなかったという現実感がいまも漂っている間に原稿締め切りが目前になってしまった。
世代的に変らない私は、近年、人間の死は突然自分には予測外のところで起こる可能性が大であることを認識するようになっていた。また、「老い」が始まる時から死を自分なりの予測圏内に持ち込むことが出来るようになる、それは、人体の部分死を自己確認しながら全体の死を徐々に自覚しながら生の時を刻む日常を過ごすというまさに死との暗黙の了解の下に生き続けられることも解ってきた。食欲がなくなった、老眼鏡がいる、これらのあらゆる老化現象は全て死の予兆である。
現代の社会機構は高齢者社会の実現をもたらした。人間の一生を形成する過去の年代区分は今日大きく変ろうとしている。従って、よく言われる厄年も50歳であってもなんら不思議な社会的判断ではない。
普遍的判断が全てを物語る訳ではないが、よくよく考えれば、この厄年が私達に内在する死を予感させる接点、または、通過点ではないかと思うこと然りである。
死の予兆を自覚することなく、突然死が目前に迫ったとしたらどうだろう。救いは、肉体と共にやってくる意識の衰えだけになり、朦朧とした自意識に不安は飛翔したかの錯覚になんとなく時間が経過する、不思議なことに。これからやらなければならないことは皆同じ普遍的なこと、また、これまでは自分ながら頑張ってやってきたと自己暗示に安堵して時の推移に任せる自分に、私の場合は安らかでいられるだろうか。
私にとって宮森幹男は、戦場で出会い、国家権力と戦うことが人間の尊厳であることを確認しあうことなく姿を消した同志である。
岩畑 正行
2002年8月15日
世代的に変らない私は、近年、人間の死は突然自分には予測外のところで起こる可能性が大であることを認識するようになっていた。また、「老い」が始まる時から死を自分なりの予測圏内に持ち込むことが出来るようになる、それは、人体の部分死を自己確認しながら全体の死を徐々に自覚しながら生の時を刻む日常を過ごすというまさに死との暗黙の了解の下に生き続けられることも解ってきた。食欲がなくなった、老眼鏡がいる、これらのあらゆる老化現象は全て死の予兆である。
現代の社会機構は高齢者社会の実現をもたらした。人間の一生を形成する過去の年代区分は今日大きく変ろうとしている。従って、よく言われる厄年も50歳であってもなんら不思議な社会的判断ではない。
普遍的判断が全てを物語る訳ではないが、よくよく考えれば、この厄年が私達に内在する死を予感させる接点、または、通過点ではないかと思うこと然りである。
死の予兆を自覚することなく、突然死が目前に迫ったとしたらどうだろう。救いは、肉体と共にやってくる意識の衰えだけになり、朦朧とした自意識に不安は飛翔したかの錯覚になんとなく時間が経過する、不思議なことに。これからやらなければならないことは皆同じ普遍的なこと、また、これまでは自分ながら頑張ってやってきたと自己暗示に安堵して時の推移に任せる自分に、私の場合は安らかでいられるだろうか。
私にとって宮森幹男は、戦場で出会い、国家権力と戦うことが人間の尊厳であることを確認しあうことなく姿を消した同志である。
岩畑 正行
2002年8月15日