2003年 水源連世話人会

水源連世話人会への呼びかけをさせて頂いた皆様へ
 
水源連関係者の皆さんへ
7月10日の事務局会議において、水源連のあり方について検討しました。以下、事務局の考え方を載せます。ご意見、よろしくお願いいたします。
2003/7/15遠藤保男(水源連 事務局担当)

上記の案内を頂いてから10日間が経ちましたが、遠藤氏から「水源連ML」に流された事務局案内について何ら案内以上の連絡等を頂いていません。そこで、私なりの今日までの水源連に対しての取り組み(世話人会)について説明、遠藤氏の報告書についての意見を述べさせて頂きます。

 先ず、この通達を受け取られる殆どの方々はご承知のことですが。
そもそも、「世話人会」なるものが公になった経緯として、昨年11月30日、苫田ダムにおける「全国ダム交流会」が発端にあります。このシンポジウムの昼食会の時に参加団体の代表並びに水源連関係者の間で地方の運動とのより緊密な連携の下に有効且つ実践的な運動の展開が出来ないものかとの協議から出発しました。この場での案は「幹事会」のようなものという定義でした。

現実的には、「水源連だより」22号の5ページに「拡大事務局会議の開催について」というタイトルで紹介されています。また、1月4日に遠藤氏からメールでの呼びかけ「拡大事務局会議をもつための構成員を募集しております。」が水源連関係者に送信されています。そして、2月22日第1回拡大事務局会議(仮称)が東京水道会館で行われました。この時の詳細な議事録は「水源連だより」23号7ページに掲載されています。

会議での合意事項、第2回として「ダム問題全国交流会in大阪」を5月17日に開催することを決めました。この企画は盛況のうちに終わり、「世話人会」の名称が定着した会でもありました。これ以前の遠藤氏のメールは、「水源連世話人・事務局の皆さまへ」、もしくは「水源連世話人会の皆様へ」と発信されていたものが初めて実態を帯びる形になった訳です。すくなくとも私はそう認識していました。

水源連世話人会のもう一つの運動にMLを活性化して情報交換を進め実践的な働きかけをすることが挙げられていました。しかし、「水源連ML」での取り組みは先月の「松原申入書」で事務局体制ならびにMLのあり方に大いに問題があることを露呈して、これまで抱えていた事務局の諸問題が一気に噴出した容になりました。そこで私は、この件は今後の水源連の運動を展開していくうえで払拭しなければならない問題と考え、世話人会の呼びかけ人の一人として各世話人の方と電話での話し合いを進め、さらに7月5日、岡山駅で矢山代表と遠藤氏、私とで話し合いを持つことにしました。また、この話し合いは、積極的に提言されていた近藤さんの意見を十分反映した容で行われることになりました。

ここで説明しておかなければならない重要なことがあります。「世話人会」の呼びかけの推進になった経緯に、矢山氏の代表辞退問題がそれです。この代表辞退を巡っては、2回の爆弾発言があります。5月17日は多くの世話人、事務局関係者の方が周知していることです。これらの背景から、矢山氏自身も積極的に今後の水源連ないしはダム反対運動のあり方をめぐって、なんとか運動理念を継承できないものかとの苦心の試みであった訳です。そして、一つでも多くダムを中止させる為にダム問題に取り組む皆さんの総力を結集することが望まれ「世話人会」に発展したということです。従って、一人の呼びかけ人云々ということではなく、これは水源連の歴史的な歩みでもあったということです。

7月5日、6日は岡山での3者協議以外に、世話人有友氏の地元山鳥坂ダムでの勉強会、そして6日は石井氏の小豆島内海ダムでの勉強会がありました。この両日を通じて矢山氏の提言、さらに私と遠藤氏において具体的な運動体制についての話し合いができたと思っていましたが。

地域住民運動と東京市民運動について

ここで先ず冒頭に述べて置きたいことは、日本にはいわゆる市民運動なるものがない。よく論議される「市民」のお話だが、せいぜい、民族性から言って「住民」が適切な言葉であると思われます。
中央的理念運動の限界は、権力側は理念の破綻を来し、市民運動は理念に埋没して辛うじて権力に寄り添う、もたれ掛かる、役所的窓口、牙を抜かれた運動に終始するところが見え隠れしています。

何れにせよ、住民、市民であれ運動は個人が担うものです。運動の温度差は各自を如何に認め合うかの尺度であり最大限尊重しなければなりません。今日の運動は多様性を如何に認め合うことから始め、どのように表現するかを確認することが求められています。
しかし、国土省とは段違いの平行棒であっても、運動団体とはそうであってはならない。

話を7月15日の事務局会議の報告に戻します。
「水源連のあり方について検討した。」から始まる報告を読むにつけ、「世話人会」を呼びかけさせて頂いていた私達との空間軸が違っていたとしか理解できない報告書になっていることにいまさらながら愕然とせざるを得ません。ボタンの掛け違いとよく言われますが、そのようなものではありません。また、平行棒というのでもありません。
私が事務局会議の報告書を精読して、尚、疑問が残るのは、終始文言に「要請に応じて」、「要請がある場合」、「必要に応じて」が全て網羅されていることです。空間軸の違いを今更ながら思い知らされた観がします。
この報告書について、関係した世話人の方々の同じ意見は「世話人の世の字もない」との言葉でした。残念の極みです。

個人的な釈明になりますが、この半年間機会あるごとに水源連ということを広報し、よりダム反対運動が活性化する為の「世話人会」の呼びかけをしてきました。しかし、遠藤アドレスから漏れ、水源連MLからも漏れ、ここにきて報告書からも漏れている現実を目の当りにしては、運動家岩畑正行の面目次第もありません。
呼びかけをさせて頂いた方々には申し訳ありませんが、水源連としてこれ以上運動を云々することが出来ません。しかし、私個人が皆様に一つでも多くのダムを止める為に呼びかけさせて頂いたことには変わりがありません。今後ともダム中止の運動を呼びかけさせて頂きます。
よろしくお願い致します。

上記をもって遠藤氏の報告書に対する私の意見とさせて頂きます。