2003年08月28日
「憲法改正案」と「国民投票法案」
山崎幹事長の進言によりいよいよ「憲法改正案」が現実のものとして動き出した。山崎幹事長の政治生命(注1)、自らのポストを賭けての大仕事に取り掛かった。なるほど、次期総選挙の争点にすれば、結成された民主党への揺さぶり効果がてき面であることは事実であるだけに長けた戦略と言える。また、掛け声でないことの証明に「国民投票法案」を来年の通常国会にも提出することを決めたといわれる。
民主党のアキレス腱である改憲論議だが、自由党との政策合意に国民の前での乱れを演じてはならない土壇場の決断を迫られるものと思われる。しかし、野党連立政権構想に対しては、社民党党首が「連立政権を組む時は、憲法を尊重する政権を作るべきだ」と声高に主張していることから益々権力志向ボケしての迷走が始まらないか懸念される。
何れにせよ、昨年からテロ、北朝鮮の脅威が舞台背景として整った
この状況を千載一遇と判断しての「憲法改正案」の小泉首相指示は民主党の政争の具に使うなという以前の問題として認識しておかねばならない。既に、一ケ月前の24日、自民党憲法調査会が憲法改正要項案を公表している。自衛隊を軍隊として位置付け「自衛軍」と名付ける。また、国家防衛の国民義務化、天皇の元首化と具体的に明記されている。さらに、9条第2項を削除・修正することが与野党で合意されている。即ち、集団的自衛権行使を容認することが明文化されている。これだけのお献立が揃って改憲をしないのは反って国民の意思(注2)を無視することになると政府が判断するのも無理からぬことであると言わざるを得ない。
憲法と現実の乖離を今日ほど明確なかたちで国民が共有させられている状況はなかった。しかしこの矛盾を生み出してきた責任は、脅威に対する不安があると叫んだ国民にあるのではなく、7割近い国民の反対があった数々の法案を通してきた野党が生み出したねじれからくる予測結果がもたらした現実ということを再認識する必要がある。また、この現実を国民の意思であるかの認知を与えたマスコミの責任も忘れてはならない。
更に、看過できない小泉首相の個人的性格を言及しなければならない国民の責任が今回の総裁選、総選挙にあることを肝に銘じておく必要がある。首相の立場での公約に等しい発言に対して不言実行した試しがないという希代の首相でもある。見っとも無い常套句「自民党の皆さんが、国民の皆さんが望んだことなんでしょう」という責任転嫁をいとも容易く言ってのける無神経さに翻弄されっぱなしできている事実をどうするのか。この問題を我が身も同じとの何時ものかくれんぼで済ませられる状況にないことは、薄々先刻ご承知の私達である。従って、今回真正面から考えることが改憲論以前の争点に成らなければならない。マニフェスト何とやらではなく、嘘つきを如何に裁くかの簡単な話にしなければならない。これが今回の争点である。
民主党のアキレス腱である改憲論議だが、自由党との政策合意に国民の前での乱れを演じてはならない土壇場の決断を迫られるものと思われる。しかし、野党連立政権構想に対しては、社民党党首が「連立政権を組む時は、憲法を尊重する政権を作るべきだ」と声高に主張していることから益々権力志向ボケしての迷走が始まらないか懸念される。
何れにせよ、昨年からテロ、北朝鮮の脅威が舞台背景として整った
この状況を千載一遇と判断しての「憲法改正案」の小泉首相指示は民主党の政争の具に使うなという以前の問題として認識しておかねばならない。既に、一ケ月前の24日、自民党憲法調査会が憲法改正要項案を公表している。自衛隊を軍隊として位置付け「自衛軍」と名付ける。また、国家防衛の国民義務化、天皇の元首化と具体的に明記されている。さらに、9条第2項を削除・修正することが与野党で合意されている。即ち、集団的自衛権行使を容認することが明文化されている。これだけのお献立が揃って改憲をしないのは反って国民の意思(注2)を無視することになると政府が判断するのも無理からぬことであると言わざるを得ない。
憲法と現実の乖離を今日ほど明確なかたちで国民が共有させられている状況はなかった。しかしこの矛盾を生み出してきた責任は、脅威に対する不安があると叫んだ国民にあるのではなく、7割近い国民の反対があった数々の法案を通してきた野党が生み出したねじれからくる予測結果がもたらした現実ということを再認識する必要がある。また、この現実を国民の意思であるかの認知を与えたマスコミの責任も忘れてはならない。
更に、看過できない小泉首相の個人的性格を言及しなければならない国民の責任が今回の総裁選、総選挙にあることを肝に銘じておく必要がある。首相の立場での公約に等しい発言に対して不言実行した試しがないという希代の首相でもある。見っとも無い常套句「自民党の皆さんが、国民の皆さんが望んだことなんでしょう」という責任転嫁をいとも容易く言ってのける無神経さに翻弄されっぱなしできている事実をどうするのか。この問題を我が身も同じとの何時ものかくれんぼで済ませられる状況にないことは、薄々先刻ご承知の私達である。従って、今回真正面から考えることが改憲論以前の争点に成らなければならない。マニフェスト何とやらではなく、嘘つきを如何に裁くかの簡単な話にしなければならない。これが今回の争点である。