「マスコミよ、石原発言に騒ぐな」

応戦布告「NET」で発信岩畑正行
下記サイトによる石原慎太郎氏に対して応戦する。

2003年9月19日発行
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宣戦布告「NET」で発信石原慎太郎            更新情報 No.42
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「名古屋市内での街頭演説の本意について」
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2003年9月10日、石原慎太郎が自民党総裁選候補の亀井静香前政調会長の応援のため、名古屋市内での街頭演説をした際に、外務省の田中均外務審議官の自宅で発火物とみられる不審物が見つかった事件について発言した。一部マスコミでは、『問題発言』として、まるで鬼の首でもとったかのように取り上げた。この件について石原は同年
9月12日に行われた定例記者会見で自らの本意を説明した。
ウェブで見る場合は以下のアドレスから。
http://www.sensenfukoku.net/policy/nagoya/index.html
9月10日、名古屋市での街頭演説全文 ▽下記サイト
http://www.jsssw.jp/TWWWA_bbs/394396346136094.html

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「マスコミよ、石原発言に騒ぐな」

9月12日の定例記者会見で行われた「問題発言」の本意を上記サイトで読んだ。石原氏が自らの本意を説明したかの記者会見は襷が長すぎて全く説明には至っていない。これから読まれる方は飛ばし読みもしくはななめ読みをお勧めする。但し、質疑応答は丁寧にお読み頂きたい。この会話に病根の一端が窺い知れる。
 
既に新聞報道で周知されていることに尽きますが、慣例化してのことか、まさかと思うが本人の自戒あってのことか、さらにマスコミでの反響を考慮してか、遺憾に思ってか石原氏は長々と説明を行っている。
 
今回の街頭演説を要約するまでもなく、石原氏のテロに対する見解はこれまでも場所を問わず繰り返されてきている。ただ、今回は固有名詞での嘲りが鮮明な分より挑発的であったと言える。さらに、実行犯を容認した発言になっていることが「これはまずい」と石原発言に不感症気味な身内(世論、政界)が怖れた、テロ容認はいくらなんでも暴言だと取り繕う為の記者会見になったというのが筋書きだろう。

記者会見は本人が街頭演説という状況での発言に説明不足があったとの理由で本意を述べれば元の鞘に納まるとの狙いがありありの不本意が伝わる何ものでもない会見内容である。従って、ななめ読みで良い。あくまでも説明であって釈明ではない。石原氏は自らが「日本国民の現在的ナショナリズム」と自負している延長で、説明によって十分支持が得られるとの自信がある。事実「爆弾発言」直後の世論は5パーセント強の反対票でしかなかった。従って説明後は元通りの支持率になっているとの計算がしっかり出来ていた訳である。言語同断と識者が「刈り取るべきテロの芽」と力説しても大衆迎合社会は他人を許せなくても自分のことは許してしまうのである。

問題は石原発言にあるのではなく、マスコミの対応と世論の関心事が何処にあるのか。テロと兵糧攻めのどれだけの国家間戦略の違いがあるのか。また、因果関係を考慮しての社会性ある記事なのかを窺い知ることが問われるべきなのだ。この本来の問題については記者と質疑応答での石原氏の答弁が具体的に語られている。即ち、日本の世論が何に関心を抱いているか。そして、マスコミが今日の危機的状況と乖離した次元での客観的報道に埋没しているかが。飛躍かもしれないが、マスコミが石原氏を容認する方向の現実を窺い知る応答になっているのかが解る。

マスコミが検証しなければならないのは、石原氏の片言隻語ではなく、拉致問題と外務省さらに日本政府の姿勢のはずである。「テロ容認発言」があったということで石原氏を重箱の隅の例えにする各記者の質疑は、アイドルの追っかけ記事と同じである。質疑は発言の暴走に歯止めを掛けることによって世論にゆり戻し的効果をもたらす結果でしかないことを理解できていない。各記者は読者市民に提供するべき真実の視点が欠如していることに全く気づいていない。

各記者の自戒自粛が求められる。日頃から北朝鮮に向けてのミサイル配備を主張している石原氏に発言撤回を求める質疑は意味をもたない。質疑は日本国民がテロを容認、望んでいるかの論議に焦点を向けなければならない。これが出来ない理由は各社の諸事情にもある。石原氏の発言が「爆弾」、「過激」発言扱いするが、ここ1年振り返ってみても、同じ拉致問題でも「拉致被害者家族を支援する会」周辺からの「過激」発言についてはマスコミ紙上皆無に等しい現状を私達も含め十二分に認識すべきことである。「拉致はテロだ」との定義を誰がしたのかよく考えれば自ずと問題にしなければならない質疑が見えてくるというものである。そうなれば、石原氏から侮られるような応答が出てこないで済む。

このへんが問題である。新聞界そのものの今日的限界を敢えて露呈している。それを自覚して一歩前での質疑にならなければ石原氏の言動を反動、逆行と批判するまでには至らない。残念ながら、質疑応答は問題意識の低下と限界をまざまざ思い知らされた結果のものでしかなかった。
私達は石原氏の発言を封じ込める力量を未だ持ち合わせていないということだ。「日本の現在的ナショナリズム」を自負できている限り応戦が難航するのを覚悟しなければならない。