「8月15日」についての論評

「日本の正式国名」の募集結果を見て、1位が「日本皇国」というのは驚きより以上に自己暗示の擬似承認させられる説得力のある命名になっている。小渕、森、小泉内閣の法整備は正に「皇国」を彷彿とさせられるものを物語っている。共産党が「皇国」を認めつつある国民の精神状況の背景から押し並べて、小泉首相が使う言葉「普通」に発想すれば「皇国」に行き当たるというのが最近の世間相場ということになってきたのか。今回の命名は、「有事法制」が内閣の9割の賛成で成立したこと、石原都知事を圧倒的多数で都民が支持したこと等を考えると「普通」以上に当たり前の候補名だといえる。

8月15日は中西輝政氏にとって「国辱記念日」だそうだ。
本日の産経新聞主張「押し返す保守主義」を読めば、憲法改正論が明らかな潮流の変化として国民の無意識的な常識世界に向かう精神風景が戻ってきた、次第に加速してきたということらしい。

 先日からの新聞、テレビを見れば、反戦体制一色の国民意識が読み取れる状況に包まれる。先月の末に「イラク特措法」が成立したばかりだが。この二極精神状況は、いみじくもイラク攻撃、戦争反対を訴えたその後の「有事関連3法」成立と全く同じ相関図を提示している。
 
両極を揺れ動くかに見える風潮は何もこの時代の特徴ではないことは、歴史は繰り返されるという歴史自体の呼吸がある訳でその勢いを変えたり止めたり出来るものではない。
 
私達が生きてきた時間軸においては、迷走政策は全て「皇国」の名に責任を転居する、継承するのが最良の手段と暗黙の了解でしかなかったということか。
いつもの事ながら「戦前回帰」、「日本ナショナリズム」と短絡的に片付けられない日本の「癌」が常に発生している状況を認識しつつ摸索の一途をたどるしかないだろう。