2008年06月12日
自公 自衛隊派遣延長 了承
せめてもう少し大きな扱いにならないものでしょうか。
新テロ、イラク特措法の自衛隊派遣延長が了承されたことに対し、ネットへ『せめてもう少し大きな扱いにならないものでしょうか。』というため息の書き込みがあった。
「イラク派兵差止請求控訴判決」が紙面の話題冷めやらぬ状況であると思うが、残念ながらサイト記事では毎日新聞しか掲載されていない。しかし、その毎日新聞も大阪本社版紙面の掲載がない、これはどうしたことか。言わずと知れたことだ、規定路線については、特に今回のようにミシン縫い特措法の傷口を開けられる判決が出た後とあってみれば尚更のことだといえるだろう。
マスコミは今日完全に事件屋家業になってしまった。何かが消滅、破綻、壊れる、作りかえられることの目新しさがニュースの最前線として、日々一刻の賞味期限が短縮される、全てがテロップ化された雰囲気で私たちを包み込んでは、削除の連続で注意力を散漫に仕立て上げる。
それは私たちに対する、近代の何ものかのある種恐ろしい復讐かもしれない。
『せめてもう少し大きな扱いにならないものでしょうか。』
「イラク派兵差し止め訴訟」、名古屋高裁の判決から、国家に対する予想外の一撃ならびに市民に対して素朴な正義感を久々に感じさせた雰囲気も冷めやらぬ状況で、最も打撃を受けたであろう特措法自体が全く知らんぷりを装う事態は、今日風政治ねじれ現象といって終える、しかし、一番困ったことでもある。
雑誌「世界」7月に憲法学者奥平康弘氏が、『名古屋高裁の「自衛隊イラク派兵差止請求控訴事件」判決について』を寄稿している。主タイトルは「違憲判決の意義」となっている。奥平氏は画期的判決と了解して、今後の「国際貢献」立法案のハードルが高くなることを評価している。
しかし、奥平氏は、今回マスコミならびに訴訟原告さらに9条護憲の人々の「違憲」判決了解は、糠喜びにならないかの疑問を呈している、少なくともそのような見解に私は読んだ。というのもこの論考は、次号に続くとなっているので奥平氏の主張は次回でなければきっちりした認識にはいたらない。そこで参考に奥平氏の次号の論考展開の元になっていると思われる文言を紹介しておこう。
『高裁の判決には「傍論」の部分と「本案」の部分とのあいだに ― いま流行中の言葉を借りることになるが ― 「ねじれ」があるのである。・・・・・「ねじれ」の介在をあえて無視し、「違憲判決万歳」とだけ謳歌することをもって好しとすべきだという立場があるだろう。実際、マスメディアの扱いは大体においてそうした流れに与している。』(47頁)
ネットに書き込まれた『せめてもう少し大きな扱いにならないものでしょうか。』というため息の背容は、恐らくこの辺の雰囲気にあるのではないかと私は密かに思うのだが、私の今回の名古屋高裁判決に対する見解、段違い平行棒的判決と前提して政治的論議でない、素朴な心情論議の側面から述べてみたいと考えている。兎に角は奥平氏の次号の展開を楽しみに待つとしよう。
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自衛隊派遣延長:自公が了承 インド洋・イラク(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/today/news/20080611k0000m010129000c.html
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新テロ、イラク特措法の自衛隊派遣延長が了承されたことに対し、ネットへ『せめてもう少し大きな扱いにならないものでしょうか。』というため息の書き込みがあった。
「イラク派兵差止請求控訴判決」が紙面の話題冷めやらぬ状況であると思うが、残念ながらサイト記事では毎日新聞しか掲載されていない。しかし、その毎日新聞も大阪本社版紙面の掲載がない、これはどうしたことか。言わずと知れたことだ、規定路線については、特に今回のようにミシン縫い特措法の傷口を開けられる判決が出た後とあってみれば尚更のことだといえるだろう。
マスコミは今日完全に事件屋家業になってしまった。何かが消滅、破綻、壊れる、作りかえられることの目新しさがニュースの最前線として、日々一刻の賞味期限が短縮される、全てがテロップ化された雰囲気で私たちを包み込んでは、削除の連続で注意力を散漫に仕立て上げる。
それは私たちに対する、近代の何ものかのある種恐ろしい復讐かもしれない。
『せめてもう少し大きな扱いにならないものでしょうか。』
「イラク派兵差し止め訴訟」、名古屋高裁の判決から、国家に対する予想外の一撃ならびに市民に対して素朴な正義感を久々に感じさせた雰囲気も冷めやらぬ状況で、最も打撃を受けたであろう特措法自体が全く知らんぷりを装う事態は、今日風政治ねじれ現象といって終える、しかし、一番困ったことでもある。
雑誌「世界」7月に憲法学者奥平康弘氏が、『名古屋高裁の「自衛隊イラク派兵差止請求控訴事件」判決について』を寄稿している。主タイトルは「違憲判決の意義」となっている。奥平氏は画期的判決と了解して、今後の「国際貢献」立法案のハードルが高くなることを評価している。
しかし、奥平氏は、今回マスコミならびに訴訟原告さらに9条護憲の人々の「違憲」判決了解は、糠喜びにならないかの疑問を呈している、少なくともそのような見解に私は読んだ。というのもこの論考は、次号に続くとなっているので奥平氏の主張は次回でなければきっちりした認識にはいたらない。そこで参考に奥平氏の次号の論考展開の元になっていると思われる文言を紹介しておこう。
『高裁の判決には「傍論」の部分と「本案」の部分とのあいだに ― いま流行中の言葉を借りることになるが ― 「ねじれ」があるのである。・・・・・「ねじれ」の介在をあえて無視し、「違憲判決万歳」とだけ謳歌することをもって好しとすべきだという立場があるだろう。実際、マスメディアの扱いは大体においてそうした流れに与している。』(47頁)
ネットに書き込まれた『せめてもう少し大きな扱いにならないものでしょうか。』というため息の背容は、恐らくこの辺の雰囲気にあるのではないかと私は密かに思うのだが、私の今回の名古屋高裁判決に対する見解、段違い平行棒的判決と前提して政治的論議でない、素朴な心情論議の側面から述べてみたいと考えている。兎に角は奥平氏の次号の展開を楽しみに待つとしよう。
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自衛隊派遣延長:自公が了承 インド洋・イラク(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/today/news/20080611k0000m010129000c.html
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