第8回 日本の医師不足〜第三回 大学医学部定員削減の閣議決定撤回の裏側
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 『絶望の中の希望〜現場からの医療改革レポート』 上 昌広 第8回
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「日本の医師不足〜第三回 大学医学部定員削減の閣議決定撤回の裏側」
前回の配信で、次は医師の偏在問題を取り上げると書きました。しかしながら医師
不足問題に関して、医師定員削減の閣議決定撤回という大きな動きがありましたので、
今回の配信ではこの動きとその背景を解説させていただきます。
■ 25年ぶりの医師定数削減の閣議決定撤回
6月17日、政府は1997年の医師定数削減の閣議決定を、事実上撤回しました。
同日の記者会見で舛添要一厚生労働大臣は、「(政府は従来)医師数は十分だ、偏在
が問題だと言ってきたが、現実はそうではない。週80−90時間の医師の勤務を普
通の労働時間に戻すだけで、勤務医は倍必要だ」と、必要な医師数に関する具体的な
数字を挙げました。また翌日には、超党派の「医療現場の危機打開と再建をめざす国
会議員連盟」(会長・尾辻秀久参院議員)が、舛添要一厚生労働相と大田弘子経済財
政担当相を訪問し、医学部定員を毎年400人ずつ増やし、現在の8000人を10
年後に1万2000人にまで増やすことを提案しました。
医師数削減の閣議決定が25年ぶりに変更されたことは、マスメディアでも広く報
道され、医療界にも大きな衝撃を与えました。しかしながら、医師を増やすのには財
源を要しますし、医師が増えると医療費が増えると思っている人々が大勢います(こ
れは「医師誘発需要学説」といいますが、多くの医療経済専門家は誤りであると考え
ています)。
このため、医学部の定員増について関係者の間で激しく意見が対立し、調整にかな
り手間取っているようです。総じて、舛添厚生労働大臣や尾辻議連のように病院や勤
務医の実情に詳しい議員は、医学部定員の大幅増員に肯定的です。しかしながら、政
府筋、国会筋、一部の医師からは、医学部定員数を8360人に戻すだけで「骨抜き
にしてしまおう」という意見もあるようです。今回、政府は医師数を増やすこと、つ
まり医学部の定員数を増やすことで合意しましたが、その具体的な数字については
まったくコンセンサスが得られていません。以下、この問題について考えてみたいと
思います。
■ 日本の医師不足に対する厚労省の従来の見解
前回もご紹介させていただきましたが、他の先進国と比較して我が国の単位人口あ
たりの医師数は少なく、OECD諸国の3分の2です。
http://kousatsu.umin.jp/files/sankou1.jpg
特に、産婦人科、小児科、内科、外科等の勤務医の数は減少しつつあります。
http://kousatsu.umin.jp/files/sankou2.jpg
地方での医師不足は言うまでもありませんが、東京築地の国立がんセンター中央病院
でさえも麻酔医不足のため、手術数を減らしています。このように、医師不足は地方
だけでなく全国的な問題となっています。
ところが厚生労働省は、毎年7700人が医師の資格を取得し、退職者を差し引い
ても年間3500人から4000人が増加しているため、近い将来、医師は過剰な状
態になると主張しつづけてきました。この理屈を信じれば、「現在でも医師数は毎年
4000人ほど増えているが、それでも地方の医師不足が深刻化しているのは、医師
が都会に集中するためだ」「医師が病院勤務をやめ、開業してしまうので勤務医が
減っている」という医師偏在説も納得がいきます。しかしながら、この説明は現在の
医師不足を説明するには不十分で、正確な情報を提供していません。なぜなら、我が
国で不足しているのは勤務医であり、開業医は増加しているからなのです。
■ 医師のキャリアパス
この問題を考えるためには、開業医と勤務医の関係、つまり医師のキャリアパスを
ご理解いただく必要があります。
多くの医師は、20代中盤で大学医学部を卒業したあと、40−50才くらいまで
勤務医として働きます。医師は大学を卒業すると、大学医局や先輩の紹介で幾つかの
病院や研究機関をまわり、診療や研究の腕を磨きます。この期間はいわば医師の修行
期間ですから、ハードな勤務を強いられます。先輩医師や患者さんに叱られながらも、
歯を食いしばって頑張るわけです。まさに職人が修行するのと同じようなイメージを
持っていただければいいでしょう。実際、私も研修医時代には何日も家に帰らないこ
とが日常的でしたし、大学院生として分子生物学の研究をしているときは、連日、深
夜まで働きました。また、大学院を卒業すると、研修医を指導する指導医になること
が多いのですが、多数の新米医師を抱え、部長・教授や看護師、患者さんの間に入っ
て色々と苦労するものです。
しかしながら、40才も半ばを超えてくると、このような仕事ぶりを続けることは
肉体的に難しくなります。するとその頃から、市中病院の管理職になったり、あるい
は開業して第二のキャリアパスを歩みはじめる人がでてきます。このようにして、医
師は徐々に勤務医を卒業していきます。医師といえば、山崎豊子さんが「白い巨塔」
で描いたような教授を目指した熾烈な競争をイメージされる方が多いかもしれません
が、大学教授になる人は絶対数としては少ないのです。多くの医師はこのような経過
をたどり、市中病院の管理職や開業医となって地道に地域医療に貢献するようになり
ます。医師会というのは、このような段階に到達した医師の集まりという意味合いを
もっています。
かつて、大学の医局制度が機能していた頃は、勤務医を終えて開業し、地域医療を
守っている先輩医師が後輩の勤務医を応援するという構造がありました。様々なメ
ディアで絶対権力を持つと描かれている教授といえども、地元に多数の先輩が開業し
ているため、彼らのチェックを受ける立場でした。
■ 医療の高度化と専門医
ところで、近代医学は急速な進歩を遂げ、高度化しつつあることに異論を挟む人は
いないでしょう。ただ多くの人は、医療の高度化というとCTスキャンやMRIなど
の医療機器、あるいは遺伝子診断や臓器移植などを思い浮かべるのではないでしょう
か? 確かに、このような新規医療技術の登場は医療の高度化の一側面ではあるので
すが、それだけでは不十分です。実は医療の高度化は、医療者の専門分化と密接に関
係するのです。例えば、かつて外科手術は、麻酔、手術、術後管理、輸血などを外科
医が一人で全て行っていました。しかしながら各分野の研究が進むと、一人の医師が
全ての分野の最先端を身につけることはできなくなりました。この結果、全ての分野
に専門家が登場し、社会は高度医療を求めるようになりました。こうして総合医より
専門医が高く評価されるようになったのです。ちなみに、これは日本だけではなく欧
米でも見られる普遍的な現象です。
さてここで注意していただきたいのは、高度医療を担ったのは、診療所(開業医)
というよりもっぱら病院(勤務医)だったということです。すると臨床検査など一部
の分野では機械化・自動化が進みましたが、多くの診療分野では専門医の労働に依存
したため、病院は多数の専門家を揃えざるを得なくなりました。このため、我が国は
高度医療を担う若い専門医を多数養成せざるを得なくなったのです。
■ 一県一医大制度が勤務医不足を緩和してきた
このような専門医の大量養成を可能にしたのは一県一医大制度です。この制度によ
り、昭和40年代から50年代半ばにかけて全国に37の医学部が新設され、医学部
定員数、つまり年間の医師養成数は4000人増加しました。このような新設医大の
卒業生はもっぱら勤務医として働いたため、勤務医の絶対数は毎年4000人ずつ増
加し、病院での高度医療を担いました。
ところが、平成10年代の半ばになると、新設医大の卒業生が40代中盤にさしか
かり、勤務医を卒業するようになりました。卒業生と同数が引退するわけですから、
勤務医の総数は増加せず、勤務医を終える世代だけが増加するようになるわけです。
当研究室のHPをご覧いただければ、既に44歳以下の医師数は定常状態に達し、壮
年期以降の医師が増加していることがわかります。
http://kousatsu.umin.jp/files/sankou3.jpg
http://kousatsu.umin.jp/files/sankou4.jpg
このように考えれば、厚労省の「医師は毎年4000人増えているため、将来的に
は医師不足は解消する」という説明は不適切と言わざるを得ません。正確には「壮年
以降の医師が毎年4000人ずつ増えており、この状況では勤務医不足は解決する目
処がない」というべきところなのです。
このような勤務医数の絶対的不足の状況下では、病院を受診する国民のニーズに応
えるために、勤務医は週平均70.6時間、若い世代では週平均80時間もの過剰な
勤務を強いられています。
http://kousatsu.umin.jp/files/sankou6.jpg
これは欧米における医師の週平均労働時間30−55時間の約2倍で、少なからぬ医
師が過労死の危険域に入っています。一方、国民の医療ニーズは今後も増加を続け、
http://kousatsu.umin.jp/files/sankou5.jpg
かつ多様化する傾向にあります。すなわち今後も需給バランスは乖離を続け、この状
態が続けば勤務医不足は益々悪化し、医療崩壊は加速せざるを得ません。このような
背景を理解すれば、政府が検討している医学部定員の最大8.6%増しでは焼け石に
水であることがお分かりいただけるでしょう。確かに医師の養成には時間がかかりま
す。しかしながら、この問題については、出来るだけ早く手をうたなければ、取り返
しのつかない事態に陥ることが明らかです。
次回、医師不足問題に関する具体的な解決法について幾つかの案を紹介すると同時
に、私たちの考えを述べさせていただきます。
----------------------------------------------------------------------------
第7回 日本の医師不足〜第二回 一県一医大構想と医師誘発需要
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■『絶望の中の希望〜現場からの医療改革レポート』 第7回
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「日本の医師不足〜第二回 一県一医大構想と医師誘発需要」
昨日(6月17日)、舛添要一厚生労働大臣が、閣議後の記者会見で医学部の定員削
減を決めた97年の閣議決定を見直し、医師の養成数を増やす方針に転換する考えを
明らかにしました。「いまは医療崩壊の状態で、(97年の)閣議決定を見直す方向
で調整すべきだということで、福田首相の了解をいただいた」と語ったようです。こ
のニュースは、医療界にとって画期的なものであり、舛添厚労大臣の粘り強い努力に
敬意を払います。
我が国では医師不足問題が連日のようにマスメディアで報道されています。未曾有
の高齢化を迎える我が国において、多くの国民は必要な医療を受けることができない
ことに対する漠然とした不安を感じておられると思います。なぜ、医師不足問題の解
決が、こんなに困難なのでしょうか? 今回は、医師不足問題の議論の歴史的変遷を
ご紹介します。
■ 日本の医師数は世界最低水準にある
日本の医師不足問題を議論するためには、その正確な状況を把握する必要がありま
す。厚労省の医療動態調査によれば、2005年現在、我が国には29万人の医師免
許取得者がいて、人口1000人あたり2.0人となります。人口10万程度の地方
都市には、200人程度の医者がいるとイメージしていただけるといいでしょう。ち
なみに、これは大学卒業直後の若者から、高齢者まで全てをふくむ数字です。
適切な医師数を議論する上で、同じような発展段階にある外国との比較は有用で
す。OECDの調査によれば、我が国はもっとも医師数が少ないグループに属しま
す。ちなみに、日本より少ない国は、メキシコ (1.7)、韓国 (1.6)、トルコ
(1.5)だけで、先進国首脳会議に参加する国に限定すれば、イタリア4.2、フ
ランス3.4、ドイツ3.4、オーストラリア2.7、米国2.4、イギリス2.
3、カナダ2.1となり、日本は最低です(括弧内の数字は人口1000人あたりの
医師数)。米国やイギリスなどのアングロサクソン系の国々で、コメディカルが発達
しているのは、医師数と併せて考えれば理解しやすくなります。ちなみに、日本はコ
メディカルも医師も両方とも不足していると言うことができます。
■ 医師の過重労働
医師の絶対数不足は、医師の過剰残業で代償されてきました。医師が少なければ、
長時間働かざるを得ないのは自明です。
2003年に厚労省が作成した「医師需給に関する検討会報告書」では、医師の労
働時間は週平均で63.3時間、院外での勤務時間7.3時間を含めると、週平均の
労働時間は70.6時間です。このデータに基づけば、1ヶ月あたりの時間外労働時
間の平均は131時間になり、労働基準法の規定を大きく逸脱します。また、月の時
間外労働時間が45時間を超えた場合、過労死の原因になりやすいため、極めて危険
な状態とも言えます。実際に、これまでに多くの医師が過労死で亡くなっており、過
労死認定を求め裁判で争われています(http://www5f.biglobe.ne.jp/~nakahara/)。
このような裁判では、医師の過剰労働問題は医師の労働条件改善という側面以外に、
患者が安全な医療を受けるためには、医師の残業を制限しなければならないという観
点からも議論が行われています。
ちなみに、医師過剰労働問題に対する厚労省の見解は、「休憩時間や自己研修は、
通常は勤務時間とはみなされない時間であり、これらを含んだ時間を全て勤務時間と
考えることは適切でない(2005年 医師需給に関する検討会報告書)」として、
医師の労働時間を週48時間と解釈しました。この解釈は、医療現場の実感と著しく
乖離したものであり、またデータの解釈が恣意的であったため、医療者に厚労省に対
する不満が溜まりました。
■ 医師不足はいつから議論されたか?
医師不足問題が社会の関心を集めるようになったのは、いつの頃からでしょうか。
実は、そんなに古い話ではありません。
医師不足問題が、主要新聞で取り上げられ始めたのは2003年です。以前、ご紹
介させていただいた「医師名義貸し」報道と同じ頃です。医療界では「医師名義貸し
報道」事件を契機に、医学部卒業生の研修必修化という制度改正、小泉政権による診
療報酬引き下げにより、病院閉鎖が増加していくわけですが、時期を同じくして、マ
スメディアでの「医師不足」報道数は増加しました。主要5新聞の「医師不足」報道
数は、2004年約556件、2005年約690件、2006年約1485件、2
007年約3103件に達しました。ちなみに、2008年は、ほぼ毎日、大量に医
師不足問題が報道されています。
このようなマスメディアを通じた大量の「医師不足」報道を通じて、この数年の間
に医師が足りないことが国民的コンセンサスとなりました。
■ 医師過剰と言われた時代があった:一県一医大構想
では、2003年以前は、国民・医療界は医師数をどのように考えていたのでしょ
うか。前回の配信でも書かせていただきましたが、明治維新以降一貫して、医師不足
は我が国の課題でした。しかしながら、過去に一度だけ、医師過剰の可能性が議論さ
れた時期がありました。それは、1970年代中盤から2000年くらいまでの25
年間です。
少子高齢化が進み、医師不足による医療崩壊が喧伝されている現在から振り返れ
ば、馬鹿げているかと思うかもしれませんが、当時は多くの医療関係者が将来的には
医師は余るのでないかと真剣に心配しました。当時の風潮を考える上で参考になる事
実を紹介させていただきます。
まず、1970年代の大量の医学部新設が挙げられます。戦後の人口増や無医村の
解消を目的として、政府は1970年から1979年までの間に34の医学部を新設
しました。この時期に設立された医学部は、前身の医師養成機関をもたないことが特
徴で、人材を全面的に他大学に依存せざるを得ませんでした。医学部設立は順調に進
み、1974年までに8つの国立大学医学部、14の私立大学医学部、2つの大学校
(防衛医大、産業医大)が新設されました。
しかしながら、この頃になって医療業界には「医師過剰」を指摘する声が強くなっ
てきたため、1974年以降、医学部新設のスピードは減速しました。具体的には新
規の私立大学医学部の開設は政府から許可されなくなりました。振り返れば、197
4年には既に医師過剰が議論されていたことは、興味深いことです。ところが、19
74年には当時の田中角栄内閣が一県一医大構想を発表し、世間の強い支持を集めま
した。このため、政府は、国立大学医学部に限って毎年二つ程度作り続けました。そ
して、最終的には1979年に琉球大学に医学部が創設され、一県一医大構想が実現
します。
このような急速な医学部開設による急速な医師増は、既に医師として働いている人
々に大きな不安を与えたことは想像に難くありません。丁度、現在の弁護士業界と同
じような雰囲気だったのでしょうか。当時、「イタリアでは、医者では食べていけな
いのでタクシーの運転手をしている」という噂がまことしやかに話されました。
■ 医師誘発需要と医療費亡国論
ついで、医者が増えると医療費が増加するという医師誘発需要説が、もっともらし
く議論されたことが挙げられます。1983年に米国の医療経済研究者である
Rossiterたちのグループは、米国での実証研究の結果にもとづき、医師が増えると医
療費が増加する学説を発表しました。この研究を詳細に読めばわかりますが、この研
究では医師数が10%増加しても、外来受診の頻度の上昇はわずか0.6%でした。
このように、医療需要喚起説は科学的には妥当であるものの、社会的に与える影響に
ついては疑問の余地があったのですが、多くの医療関係者の間では「医師を増やす
と、医療費が増える」というコンセンサスができあがりました。これは、「医師の売
り上げは、一人あたり1億円くらいはあるだろうから、人数が増えれば、それだけ医
療費がふえるだろう」という医療者・厚生官僚の感覚ともマッチしたものだったので
しょう。
1983年には、吉村仁厚生省保険局長(後の事務次官)が論文や講演・国会答弁
などで「医療費亡国論」を主張します。ちなみに、吉村仁さんという人は、「ミスタ
ー官僚」や「厚生省の歴史を変えた男」などと呼ばれる伝説的人物です。「医療費の
現状を正すためには、私は鬼にも蛇にもなる」と言い切り、医師優遇税制改革やサラ
リーマンの二割自己負担などの制度改正を行い、医療費の膨張に歯止めをかけようと
しました。吉村氏は、広島県出身の被爆者で肝臓癌のため56歳の若さで亡くなりま
す。吉村氏を中心とした厚生官僚は、医療費亡国論という学説に基づき、当時の中曽
根内閣の増税なき財政再建路線、武見太郎氏退陣(1983年)による日本医師会の影
響力低下などもあり、公的保険医療政策を医療費抑制方針に転換させました。医療費
を減らすには医師数を増やしてはいけないと考え、1984年以降、医学部の定員を
最大時に比べて7%削減しました。
その後、1995年村山内閣の少子高齢化対策、1997年の医学部定員の削減に
関する閣議決定、2002年から小泉内閣によって実施された骨太の改革へと繋がっ
ていきます。
■ 医師誘発需要学説は否定された
このように、1983年以来、政府は医師数削減政策の学術的根拠として「医師誘
発需要学説」を挙げています。
しかしながら、学問の分野は日進月歩であり、過去の学説がいつまでも支持される
とは限りません。医療経済学分野でも、様々なグループにより医師誘発需要学説につ
いての追加研究が行われました。この結果は、驚くべきことに、1990年以降に米
国や北欧で行われた全ての実証研究は「医師数を増やしても医療費は増加しない」と
医師誘発需要説を否定したのです。
1990年以降、情報工学の発達や米国医療界における情報開示が促進されたた
め、医療経済研究者の多くは、1990年以降の研究は、それ以前のものと比較して
遙かに信頼できると考えました。彼らは、新しい研究の結果にもとづき、一部の医師
は自らの収入を増やすため、不要な医療行為を行うが、その絶対数は少なく、国家レ
ベルでは問題にならない、および、医療では医師と患者の間に情報の非対称が存在し
ても、患者の医療知識が増加するにつれ、医師が医療サービスを100%決定でき
ず、患者の決定権が大きくなってきていると考えるようになりました。複雑さやスケ
ールが増した系では、独自の理論体系が必要になるわけで、医師の一人あたりの稼ぎ
を根拠に医師誘発需要説を支持するのは暴論のようです。
このように、医師誘発需要学説は、医療経済学の専門家の間では完全に否定されま
した。しかしながら、現在でも、一般社会は勿論、医療経済学者以外の医療者、厚労
省の官僚の中には「医師が増えると医療費が増える」と信じている人が多いようで
す。もし、国民が「医者を増やしても医療費の増加は僅かである」と考えれば、医師
不足の日本で大学医学部の定員を増やす合意を得ることは容易でしょう。現にアメリ
カでは、財政赤字にもかかわらず、医師の数を大胆に増やしています。
この事実は、アカデミズムが探求した事実・真理を、業界全体や社会全体に広め
て、コンセンサスを形成することが如何に難しいかを示しています。言い換えれば、
これまでの日本では専門家集団(この場合は、医療経済研究者)と業界(医療業界)
や社会(一般国民)を繋ぐ、情報伝達手段が有効に働いていなかったということにも
なります。医師誘発需要学説のような専門性が高い話題は、テレビや一般紙のような
マスメディアでは扱いにくいのでしょう。事実、これまでに医師誘発需要学説の問題
点を指摘した記事は殆どありません。私は、このようなマスメディアが取り扱いづら
い情報の普及に、JMMのようなメールマガジンやオンラインメディアの果たす役割
に大きな期待を抱いています。
現在の我が国において、国民への情報開示に反対する人はいないでしょう。しかし
ながら、問題は「いかに情報を開示して、伝え、コンセンサスを得るか」なのです。
この「如何に」という部分に関しての議論はまだまだ足りないと感じています。
次回、近年、我が国の医療界で巻き起こった「医師絶対数不足と医師偏在をめぐる
論争」を紹介させていただきます。
第5回 日本の医師不足〜第一回 医師養成の歴史
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 『絶望の中の希望〜現場からの医療改革レポート』 第5回
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「日本の医師不足〜第一回 医師養成の歴史」
前回は看護師・薬剤師不足についてご紹介させていただきました。その原因は、看
護師と薬剤師で異なっており、日本のキャリアウーマンが抱える問題を代表している
ことがご理解いただけたかと思います。これから数回にわたり医師不足問題について
議論させていただきたいと考えています。まず、今回は我が国の医師の養成システム
の歴史的な経緯をご紹介させていただきます。
■ 医師供給数は医学部定員数によりコントロールされている
我が国で医師になるためには大学医学部を卒業し、医師国家試験に合格しなければ
なりません。現在、我が国には80の大学医学部が存在し、毎年約8000人の卒業
生を世間に送り出しています。このうち、約90%の学生が医師国家試験に合格し、
医師としての活動を始めます。このように医師の供給は、医学部の定員と国家試験の
合格率という二つの方法で国家によりコントロールされています。
このうち、医師の供給数に直接的に影響するのは医学部の定員数です。医師国家試
験合格率は長年90%程度で横ばいであり、医師数の供給には実質的に影響していま
せん。この特異性は他学部の卒業生と比較すれば、理解しやすくなります。例えば、
法学部の卒業生は全てが法曹界に進むわけではなく、法曹界の人材供給量をコントロ
ールしているのは、法学部の定員数ではなく、司法試験や国家公務員試験の合格率で
す。司法試験に合格することは極めて難しく、このような難関を課すことで、司法界
の人材のレベルを維持してきたと考えられます。
■ 医師国家試験の合格率により医師数をコントロールすることは可能か?
もし、医学部の定員を増やし、医師国家試験の合格率を下げれば、どのようなこと
が起るでしょうか。医学部学生の養成コストは他学部よりも高いと言われており、こ
のような政策を実行する社会的コストは極めて高いと思いますが、仮定の話として議
論してきましょう。
医学部の定員を増やし、国家試験の合格率を下げれば、医学部を卒業しても、医師
にならない(なれない?)人が増えます。「医師浪人」も出てくるでしょうが、多く
の人は医学部を卒業して、医師以外の職業を選択せざるを得ないでしょう。このよう
な人たちは、社会にどのような影響を与えるでしょうか。
多くの人々は医学部卒業=医師と考えていますが、現在でも医学部の卒業生の進路
は結構、多岐にわたります。例えば、製薬企業に努める人や研究者は多数いますし、
弁護士、コンサルタント、作家、国会議員などもいます。実は、医学の素養をもった
社会人が医療以外の分野で活躍することは、我が国全体にとっては、良い面も多数あ
るのです。このような人たちが増えれば、日本の製薬企業や医療機器メーカーの国際
競争力が高まる可能性もあり得ますし、医療界と司法界の架け橋になるかもしれませ
ん。医学部の定員を増やせば、失業する医師が出てくる可能性もありますが、逆に、
これまで医学専門家がいなかった分野に進出することになるかもしれないのです。こ
の可能性は、これまであまり議論されてきませんでした。
現在、医師数のコントロールには二つの方法があり、それをどのように組み合わせ
るかは、国民が柔軟に決めるべきですが、我が国では、伝統的に医師の供給を医学部
に定員数だけに依存してきました。つまり、医学部の設置数=医師数という時代が長
年続いた訳です。医学部とは何か、国家試験とは何かという問題をじっくり考え直し
てもいい時期に来ているのではないでしょうか。
■ 医学部設立の歴史
では、我が国で医学部はどのような経緯で作られてきたのでしょうか。実は、国家
が医師の養成をコントロールするようになったのは、そんなに古い話ではありませ
ん。明治初期までは、医師養成には多様な過程がありました。例えば、江戸時代の漢
方医や蘭方医には国家資格はなく、職人の世界の師弟関係と同じ方法で医師が養成さ
れました。明治になって医師国家試験の制度が創立されても、その初期には野口英世
博士のように大学に通わず、開業医の元で住み込んで修業し、医師試験を受けて医師
資格をとったものも存在しました。このような制度の下では大量の医師の養成は難し
く、また、医師の品質管理も困難でした。明治政府は富国強兵を目的として大学医学
部を卒業し、医師の大量養成に踏み切りました。この過程で、医師養成が国家の管理
下に置かれるようになりました。
明治維新以降、大学医学部が設置されたのは、明治、大正10年頃、昭和20年
頃、昭和50年頃です。まず、明治期には東大、京大、東北大、九州大に帝国大学医
学部が設置されます。ついで、大正10年に大学令が改正され、明治36年に設立さ
れた9つの医学専門学校(旧制9医科大学)が大学医学部へと昇格します。また、同
時期に北海道大学、慶応大学、東京慈恵会医科大学、日本医科大学に医学部が創設さ
れます。この時点で、大学医学部数は17になります。その後、第二次世界大戦中に
8つの旧制医科専門学校が設立され、戦後、医科大学に昇格します。また、戦中、戦
後を通じ、11の国公立医科大学、10の私立医科大学が創設されます。この時点
で、大学医学部は46になります。最後は、一県一医大構想に基づき、昭和45−5
4年にかけて18の国公立大学医学部、16の私立大学医学部が創設され、医学部数
は現在の80になります。
■ 医師不足は我が国の近代史の鏡である
このような医学部創設の歴史を振り返れば、様々な問題点が見えてきます。まず、
医療は戦争と密接な連携があることがわかります。明治、大正10年頃、昭和20年
頃の医学部増設時期は、いずれも戦争、あるいは軍備増強の時期です。戦争と医療の
密接な関連については、我が国だけでなく、世界の全ての国に当てはまる現象です。
近代戦争が外科学と細菌学の進歩に貢献したことは有名ですし、ベトナム戦争はヘリ
搬送、湾岸戦争は兵士の外傷後ストレス性精神障害(PTSD)、イラク戦争は医療
機器・チーム搬送の研究の発展のきっかけとなりました。
ちなみに、厚生省の前身には陸軍省が含まれます。東京の戸山にある国立国際医療
センターは旧陸軍病院ですし、築地の国立がんセンターは旧海軍兵学校、旧海軍病院
です。都内の便利なところに、広い敷地をもつ病院の前身は軍隊と関係があるという
のは、近代医学のあり方について示唆に富みます。
ついで、大正時代まで創立された大学が、西日本に偏っていることが挙げられま
す。この時期に創設された全17大学は、金沢・名古屋以西に9つ,東京に4つ存在
し、残りは北海道、東北、千葉、新潟に一つずつです。九州には福岡、長崎、熊本県
に一つずつ設置したこととは対照的です。地域の医師数は、地元の大学医学部の卒業
生数と密接に関係しますから、東北、関東が医師不足になるのは明治以来の政策の結
果なのでしょう。現に我が国の人口あたりの医師数は西高東低で、もっとも医師が足
りない県は千葉、埼玉など関東に存在します。このような偏りが生じたことに、薩長
が明治政府を打ち立て、西日本に重点的に教育投資を行ったことと無関係ではないで
しょう。筆者は、江戸時代の先進藩であった会津に大学医学部が設置されなかったこ
とは、単なる偶然ではないと考えています。
第三に医学部数は約30年ごとに倍増しています。30年というのは一人の医師
が、在職中に一度は医学部の教官数が倍増するのを経験してきたことを意味します。
このため、我が国の医師の人事制度は右肩上がりの成長を前提として形作られまし
た。具体的に言うと、帝大や慶應大学など中核大学の卒業生は、若いうちから地方病
院や大学の主要ポジションを歴任し、40代で新設医大の教授に就任し、その場で成
功したものが母校の大学の教授に戻るような「競争システム」ができあがったので
す。これは、旧大蔵省のキャリア官僚が、若いうちから税務署長になるような慣行と
類似しています。この制度は様々な評価がなされていますが、エリートが若いうちに
地方をまわり、様々な現場の問題に接するため、地方での人脈や現場感覚を身につけ
ることが出来たことも事実です。ところが、このような人事制度は、今や医学界では
行われていません。それは、世間の非難があったからではなく、医学部が新設されな
くなったからです。医学部は「低成長時代」の管理職養成制度の確立に試行錯誤して
います。現在、一県一医大制度が提唱されてから、約30年がたちます。この時期に
医師不足が社会的問題になっていることは、何か運命的なものを感じます。
次回、日本の医師不足の実情について、紹介させていただきます。
------------------------------------------------------------------------
上 昌広(かみ・まさひろ)
東京大学医科学研究所 探索医療ヒューマンネットワークシステム部門:客員准教授
Home Page:
帝京大学医療情報システム研究センター:客員教授
「現場からの医療改革推進協議会」
「周産期医療の崩壊をくい止める会」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 『絶望の中の希望〜現場からの医療改革レポート』 上 昌広 第8回
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「日本の医師不足〜第三回 大学医学部定員削減の閣議決定撤回の裏側」
前回の配信で、次は医師の偏在問題を取り上げると書きました。しかしながら医師
不足問題に関して、医師定員削減の閣議決定撤回という大きな動きがありましたので、
今回の配信ではこの動きとその背景を解説させていただきます。
■ 25年ぶりの医師定数削減の閣議決定撤回
6月17日、政府は1997年の医師定数削減の閣議決定を、事実上撤回しました。
同日の記者会見で舛添要一厚生労働大臣は、「(政府は従来)医師数は十分だ、偏在
が問題だと言ってきたが、現実はそうではない。週80−90時間の医師の勤務を普
通の労働時間に戻すだけで、勤務医は倍必要だ」と、必要な医師数に関する具体的な
数字を挙げました。また翌日には、超党派の「医療現場の危機打開と再建をめざす国
会議員連盟」(会長・尾辻秀久参院議員)が、舛添要一厚生労働相と大田弘子経済財
政担当相を訪問し、医学部定員を毎年400人ずつ増やし、現在の8000人を10
年後に1万2000人にまで増やすことを提案しました。
医師数削減の閣議決定が25年ぶりに変更されたことは、マスメディアでも広く報
道され、医療界にも大きな衝撃を与えました。しかしながら、医師を増やすのには財
源を要しますし、医師が増えると医療費が増えると思っている人々が大勢います(こ
れは「医師誘発需要学説」といいますが、多くの医療経済専門家は誤りであると考え
ています)。
このため、医学部の定員増について関係者の間で激しく意見が対立し、調整にかな
り手間取っているようです。総じて、舛添厚生労働大臣や尾辻議連のように病院や勤
務医の実情に詳しい議員は、医学部定員の大幅増員に肯定的です。しかしながら、政
府筋、国会筋、一部の医師からは、医学部定員数を8360人に戻すだけで「骨抜き
にしてしまおう」という意見もあるようです。今回、政府は医師数を増やすこと、つ
まり医学部の定員数を増やすことで合意しましたが、その具体的な数字については
まったくコンセンサスが得られていません。以下、この問題について考えてみたいと
思います。
■ 日本の医師不足に対する厚労省の従来の見解
前回もご紹介させていただきましたが、他の先進国と比較して我が国の単位人口あ
たりの医師数は少なく、OECD諸国の3分の2です。
http://kousatsu.umin.jp/files/sankou1.jpg
特に、産婦人科、小児科、内科、外科等の勤務医の数は減少しつつあります。
http://kousatsu.umin.jp/files/sankou2.jpg
地方での医師不足は言うまでもありませんが、東京築地の国立がんセンター中央病院
でさえも麻酔医不足のため、手術数を減らしています。このように、医師不足は地方
だけでなく全国的な問題となっています。
ところが厚生労働省は、毎年7700人が医師の資格を取得し、退職者を差し引い
ても年間3500人から4000人が増加しているため、近い将来、医師は過剰な状
態になると主張しつづけてきました。この理屈を信じれば、「現在でも医師数は毎年
4000人ほど増えているが、それでも地方の医師不足が深刻化しているのは、医師
が都会に集中するためだ」「医師が病院勤務をやめ、開業してしまうので勤務医が
減っている」という医師偏在説も納得がいきます。しかしながら、この説明は現在の
医師不足を説明するには不十分で、正確な情報を提供していません。なぜなら、我が
国で不足しているのは勤務医であり、開業医は増加しているからなのです。
■ 医師のキャリアパス
この問題を考えるためには、開業医と勤務医の関係、つまり医師のキャリアパスを
ご理解いただく必要があります。
多くの医師は、20代中盤で大学医学部を卒業したあと、40−50才くらいまで
勤務医として働きます。医師は大学を卒業すると、大学医局や先輩の紹介で幾つかの
病院や研究機関をまわり、診療や研究の腕を磨きます。この期間はいわば医師の修行
期間ですから、ハードな勤務を強いられます。先輩医師や患者さんに叱られながらも、
歯を食いしばって頑張るわけです。まさに職人が修行するのと同じようなイメージを
持っていただければいいでしょう。実際、私も研修医時代には何日も家に帰らないこ
とが日常的でしたし、大学院生として分子生物学の研究をしているときは、連日、深
夜まで働きました。また、大学院を卒業すると、研修医を指導する指導医になること
が多いのですが、多数の新米医師を抱え、部長・教授や看護師、患者さんの間に入っ
て色々と苦労するものです。
しかしながら、40才も半ばを超えてくると、このような仕事ぶりを続けることは
肉体的に難しくなります。するとその頃から、市中病院の管理職になったり、あるい
は開業して第二のキャリアパスを歩みはじめる人がでてきます。このようにして、医
師は徐々に勤務医を卒業していきます。医師といえば、山崎豊子さんが「白い巨塔」
で描いたような教授を目指した熾烈な競争をイメージされる方が多いかもしれません
が、大学教授になる人は絶対数としては少ないのです。多くの医師はこのような経過
をたどり、市中病院の管理職や開業医となって地道に地域医療に貢献するようになり
ます。医師会というのは、このような段階に到達した医師の集まりという意味合いを
もっています。
かつて、大学の医局制度が機能していた頃は、勤務医を終えて開業し、地域医療を
守っている先輩医師が後輩の勤務医を応援するという構造がありました。様々なメ
ディアで絶対権力を持つと描かれている教授といえども、地元に多数の先輩が開業し
ているため、彼らのチェックを受ける立場でした。
■ 医療の高度化と専門医
ところで、近代医学は急速な進歩を遂げ、高度化しつつあることに異論を挟む人は
いないでしょう。ただ多くの人は、医療の高度化というとCTスキャンやMRIなど
の医療機器、あるいは遺伝子診断や臓器移植などを思い浮かべるのではないでしょう
か? 確かに、このような新規医療技術の登場は医療の高度化の一側面ではあるので
すが、それだけでは不十分です。実は医療の高度化は、医療者の専門分化と密接に関
係するのです。例えば、かつて外科手術は、麻酔、手術、術後管理、輸血などを外科
医が一人で全て行っていました。しかしながら各分野の研究が進むと、一人の医師が
全ての分野の最先端を身につけることはできなくなりました。この結果、全ての分野
に専門家が登場し、社会は高度医療を求めるようになりました。こうして総合医より
専門医が高く評価されるようになったのです。ちなみに、これは日本だけではなく欧
米でも見られる普遍的な現象です。
さてここで注意していただきたいのは、高度医療を担ったのは、診療所(開業医)
というよりもっぱら病院(勤務医)だったということです。すると臨床検査など一部
の分野では機械化・自動化が進みましたが、多くの診療分野では専門医の労働に依存
したため、病院は多数の専門家を揃えざるを得なくなりました。このため、我が国は
高度医療を担う若い専門医を多数養成せざるを得なくなったのです。
■ 一県一医大制度が勤務医不足を緩和してきた
このような専門医の大量養成を可能にしたのは一県一医大制度です。この制度によ
り、昭和40年代から50年代半ばにかけて全国に37の医学部が新設され、医学部
定員数、つまり年間の医師養成数は4000人増加しました。このような新設医大の
卒業生はもっぱら勤務医として働いたため、勤務医の絶対数は毎年4000人ずつ増
加し、病院での高度医療を担いました。
ところが、平成10年代の半ばになると、新設医大の卒業生が40代中盤にさしか
かり、勤務医を卒業するようになりました。卒業生と同数が引退するわけですから、
勤務医の総数は増加せず、勤務医を終える世代だけが増加するようになるわけです。
当研究室のHPをご覧いただければ、既に44歳以下の医師数は定常状態に達し、壮
年期以降の医師が増加していることがわかります。
http://kousatsu.umin.jp/files/sankou3.jpg
http://kousatsu.umin.jp/files/sankou4.jpg
このように考えれば、厚労省の「医師は毎年4000人増えているため、将来的に
は医師不足は解消する」という説明は不適切と言わざるを得ません。正確には「壮年
以降の医師が毎年4000人ずつ増えており、この状況では勤務医不足は解決する目
処がない」というべきところなのです。
このような勤務医数の絶対的不足の状況下では、病院を受診する国民のニーズに応
えるために、勤務医は週平均70.6時間、若い世代では週平均80時間もの過剰な
勤務を強いられています。
http://kousatsu.umin.jp/files/sankou6.jpg
これは欧米における医師の週平均労働時間30−55時間の約2倍で、少なからぬ医
師が過労死の危険域に入っています。一方、国民の医療ニーズは今後も増加を続け、
http://kousatsu.umin.jp/files/sankou5.jpg
かつ多様化する傾向にあります。すなわち今後も需給バランスは乖離を続け、この状
態が続けば勤務医不足は益々悪化し、医療崩壊は加速せざるを得ません。このような
背景を理解すれば、政府が検討している医学部定員の最大8.6%増しでは焼け石に
水であることがお分かりいただけるでしょう。確かに医師の養成には時間がかかりま
す。しかしながら、この問題については、出来るだけ早く手をうたなければ、取り返
しのつかない事態に陥ることが明らかです。
次回、医師不足問題に関する具体的な解決法について幾つかの案を紹介すると同時
に、私たちの考えを述べさせていただきます。
----------------------------------------------------------------------------
第7回 日本の医師不足〜第二回 一県一医大構想と医師誘発需要
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■『絶望の中の希望〜現場からの医療改革レポート』 第7回
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「日本の医師不足〜第二回 一県一医大構想と医師誘発需要」
昨日(6月17日)、舛添要一厚生労働大臣が、閣議後の記者会見で医学部の定員削
減を決めた97年の閣議決定を見直し、医師の養成数を増やす方針に転換する考えを
明らかにしました。「いまは医療崩壊の状態で、(97年の)閣議決定を見直す方向
で調整すべきだということで、福田首相の了解をいただいた」と語ったようです。こ
のニュースは、医療界にとって画期的なものであり、舛添厚労大臣の粘り強い努力に
敬意を払います。
我が国では医師不足問題が連日のようにマスメディアで報道されています。未曾有
の高齢化を迎える我が国において、多くの国民は必要な医療を受けることができない
ことに対する漠然とした不安を感じておられると思います。なぜ、医師不足問題の解
決が、こんなに困難なのでしょうか? 今回は、医師不足問題の議論の歴史的変遷を
ご紹介します。
■ 日本の医師数は世界最低水準にある
日本の医師不足問題を議論するためには、その正確な状況を把握する必要がありま
す。厚労省の医療動態調査によれば、2005年現在、我が国には29万人の医師免
許取得者がいて、人口1000人あたり2.0人となります。人口10万程度の地方
都市には、200人程度の医者がいるとイメージしていただけるといいでしょう。ち
なみに、これは大学卒業直後の若者から、高齢者まで全てをふくむ数字です。
適切な医師数を議論する上で、同じような発展段階にある外国との比較は有用で
す。OECDの調査によれば、我が国はもっとも医師数が少ないグループに属しま
す。ちなみに、日本より少ない国は、メキシコ (1.7)、韓国 (1.6)、トルコ
(1.5)だけで、先進国首脳会議に参加する国に限定すれば、イタリア4.2、フ
ランス3.4、ドイツ3.4、オーストラリア2.7、米国2.4、イギリス2.
3、カナダ2.1となり、日本は最低です(括弧内の数字は人口1000人あたりの
医師数)。米国やイギリスなどのアングロサクソン系の国々で、コメディカルが発達
しているのは、医師数と併せて考えれば理解しやすくなります。ちなみに、日本はコ
メディカルも医師も両方とも不足していると言うことができます。
■ 医師の過重労働
医師の絶対数不足は、医師の過剰残業で代償されてきました。医師が少なければ、
長時間働かざるを得ないのは自明です。
2003年に厚労省が作成した「医師需給に関する検討会報告書」では、医師の労
働時間は週平均で63.3時間、院外での勤務時間7.3時間を含めると、週平均の
労働時間は70.6時間です。このデータに基づけば、1ヶ月あたりの時間外労働時
間の平均は131時間になり、労働基準法の規定を大きく逸脱します。また、月の時
間外労働時間が45時間を超えた場合、過労死の原因になりやすいため、極めて危険
な状態とも言えます。実際に、これまでに多くの医師が過労死で亡くなっており、過
労死認定を求め裁判で争われています(http://www5f.biglobe.ne.jp/~nakahara/)。
このような裁判では、医師の過剰労働問題は医師の労働条件改善という側面以外に、
患者が安全な医療を受けるためには、医師の残業を制限しなければならないという観
点からも議論が行われています。
ちなみに、医師過剰労働問題に対する厚労省の見解は、「休憩時間や自己研修は、
通常は勤務時間とはみなされない時間であり、これらを含んだ時間を全て勤務時間と
考えることは適切でない(2005年 医師需給に関する検討会報告書)」として、
医師の労働時間を週48時間と解釈しました。この解釈は、医療現場の実感と著しく
乖離したものであり、またデータの解釈が恣意的であったため、医療者に厚労省に対
する不満が溜まりました。
■ 医師不足はいつから議論されたか?
医師不足問題が社会の関心を集めるようになったのは、いつの頃からでしょうか。
実は、そんなに古い話ではありません。
医師不足問題が、主要新聞で取り上げられ始めたのは2003年です。以前、ご紹
介させていただいた「医師名義貸し」報道と同じ頃です。医療界では「医師名義貸し
報道」事件を契機に、医学部卒業生の研修必修化という制度改正、小泉政権による診
療報酬引き下げにより、病院閉鎖が増加していくわけですが、時期を同じくして、マ
スメディアでの「医師不足」報道数は増加しました。主要5新聞の「医師不足」報道
数は、2004年約556件、2005年約690件、2006年約1485件、2
007年約3103件に達しました。ちなみに、2008年は、ほぼ毎日、大量に医
師不足問題が報道されています。
このようなマスメディアを通じた大量の「医師不足」報道を通じて、この数年の間
に医師が足りないことが国民的コンセンサスとなりました。
■ 医師過剰と言われた時代があった:一県一医大構想
では、2003年以前は、国民・医療界は医師数をどのように考えていたのでしょ
うか。前回の配信でも書かせていただきましたが、明治維新以降一貫して、医師不足
は我が国の課題でした。しかしながら、過去に一度だけ、医師過剰の可能性が議論さ
れた時期がありました。それは、1970年代中盤から2000年くらいまでの25
年間です。
少子高齢化が進み、医師不足による医療崩壊が喧伝されている現在から振り返れ
ば、馬鹿げているかと思うかもしれませんが、当時は多くの医療関係者が将来的には
医師は余るのでないかと真剣に心配しました。当時の風潮を考える上で参考になる事
実を紹介させていただきます。
まず、1970年代の大量の医学部新設が挙げられます。戦後の人口増や無医村の
解消を目的として、政府は1970年から1979年までの間に34の医学部を新設
しました。この時期に設立された医学部は、前身の医師養成機関をもたないことが特
徴で、人材を全面的に他大学に依存せざるを得ませんでした。医学部設立は順調に進
み、1974年までに8つの国立大学医学部、14の私立大学医学部、2つの大学校
(防衛医大、産業医大)が新設されました。
しかしながら、この頃になって医療業界には「医師過剰」を指摘する声が強くなっ
てきたため、1974年以降、医学部新設のスピードは減速しました。具体的には新
規の私立大学医学部の開設は政府から許可されなくなりました。振り返れば、197
4年には既に医師過剰が議論されていたことは、興味深いことです。ところが、19
74年には当時の田中角栄内閣が一県一医大構想を発表し、世間の強い支持を集めま
した。このため、政府は、国立大学医学部に限って毎年二つ程度作り続けました。そ
して、最終的には1979年に琉球大学に医学部が創設され、一県一医大構想が実現
します。
このような急速な医学部開設による急速な医師増は、既に医師として働いている人
々に大きな不安を与えたことは想像に難くありません。丁度、現在の弁護士業界と同
じような雰囲気だったのでしょうか。当時、「イタリアでは、医者では食べていけな
いのでタクシーの運転手をしている」という噂がまことしやかに話されました。
■ 医師誘発需要と医療費亡国論
ついで、医者が増えると医療費が増加するという医師誘発需要説が、もっともらし
く議論されたことが挙げられます。1983年に米国の医療経済研究者である
Rossiterたちのグループは、米国での実証研究の結果にもとづき、医師が増えると医
療費が増加する学説を発表しました。この研究を詳細に読めばわかりますが、この研
究では医師数が10%増加しても、外来受診の頻度の上昇はわずか0.6%でした。
このように、医療需要喚起説は科学的には妥当であるものの、社会的に与える影響に
ついては疑問の余地があったのですが、多くの医療関係者の間では「医師を増やす
と、医療費が増える」というコンセンサスができあがりました。これは、「医師の売
り上げは、一人あたり1億円くらいはあるだろうから、人数が増えれば、それだけ医
療費がふえるだろう」という医療者・厚生官僚の感覚ともマッチしたものだったので
しょう。
1983年には、吉村仁厚生省保険局長(後の事務次官)が論文や講演・国会答弁
などで「医療費亡国論」を主張します。ちなみに、吉村仁さんという人は、「ミスタ
ー官僚」や「厚生省の歴史を変えた男」などと呼ばれる伝説的人物です。「医療費の
現状を正すためには、私は鬼にも蛇にもなる」と言い切り、医師優遇税制改革やサラ
リーマンの二割自己負担などの制度改正を行い、医療費の膨張に歯止めをかけようと
しました。吉村氏は、広島県出身の被爆者で肝臓癌のため56歳の若さで亡くなりま
す。吉村氏を中心とした厚生官僚は、医療費亡国論という学説に基づき、当時の中曽
根内閣の増税なき財政再建路線、武見太郎氏退陣(1983年)による日本医師会の影
響力低下などもあり、公的保険医療政策を医療費抑制方針に転換させました。医療費
を減らすには医師数を増やしてはいけないと考え、1984年以降、医学部の定員を
最大時に比べて7%削減しました。
その後、1995年村山内閣の少子高齢化対策、1997年の医学部定員の削減に
関する閣議決定、2002年から小泉内閣によって実施された骨太の改革へと繋がっ
ていきます。
■ 医師誘発需要学説は否定された
このように、1983年以来、政府は医師数削減政策の学術的根拠として「医師誘
発需要学説」を挙げています。
しかしながら、学問の分野は日進月歩であり、過去の学説がいつまでも支持される
とは限りません。医療経済学分野でも、様々なグループにより医師誘発需要学説につ
いての追加研究が行われました。この結果は、驚くべきことに、1990年以降に米
国や北欧で行われた全ての実証研究は「医師数を増やしても医療費は増加しない」と
医師誘発需要説を否定したのです。
1990年以降、情報工学の発達や米国医療界における情報開示が促進されたた
め、医療経済研究者の多くは、1990年以降の研究は、それ以前のものと比較して
遙かに信頼できると考えました。彼らは、新しい研究の結果にもとづき、一部の医師
は自らの収入を増やすため、不要な医療行為を行うが、その絶対数は少なく、国家レ
ベルでは問題にならない、および、医療では医師と患者の間に情報の非対称が存在し
ても、患者の医療知識が増加するにつれ、医師が医療サービスを100%決定でき
ず、患者の決定権が大きくなってきていると考えるようになりました。複雑さやスケ
ールが増した系では、独自の理論体系が必要になるわけで、医師の一人あたりの稼ぎ
を根拠に医師誘発需要説を支持するのは暴論のようです。
このように、医師誘発需要学説は、医療経済学の専門家の間では完全に否定されま
した。しかしながら、現在でも、一般社会は勿論、医療経済学者以外の医療者、厚労
省の官僚の中には「医師が増えると医療費が増える」と信じている人が多いようで
す。もし、国民が「医者を増やしても医療費の増加は僅かである」と考えれば、医師
不足の日本で大学医学部の定員を増やす合意を得ることは容易でしょう。現にアメリ
カでは、財政赤字にもかかわらず、医師の数を大胆に増やしています。
この事実は、アカデミズムが探求した事実・真理を、業界全体や社会全体に広め
て、コンセンサスを形成することが如何に難しいかを示しています。言い換えれば、
これまでの日本では専門家集団(この場合は、医療経済研究者)と業界(医療業界)
や社会(一般国民)を繋ぐ、情報伝達手段が有効に働いていなかったということにも
なります。医師誘発需要学説のような専門性が高い話題は、テレビや一般紙のような
マスメディアでは扱いにくいのでしょう。事実、これまでに医師誘発需要学説の問題
点を指摘した記事は殆どありません。私は、このようなマスメディアが取り扱いづら
い情報の普及に、JMMのようなメールマガジンやオンラインメディアの果たす役割
に大きな期待を抱いています。
現在の我が国において、国民への情報開示に反対する人はいないでしょう。しかし
ながら、問題は「いかに情報を開示して、伝え、コンセンサスを得るか」なのです。
この「如何に」という部分に関しての議論はまだまだ足りないと感じています。
次回、近年、我が国の医療界で巻き起こった「医師絶対数不足と医師偏在をめぐる
論争」を紹介させていただきます。
第5回 日本の医師不足〜第一回 医師養成の歴史
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 『絶望の中の希望〜現場からの医療改革レポート』 第5回
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「日本の医師不足〜第一回 医師養成の歴史」
前回は看護師・薬剤師不足についてご紹介させていただきました。その原因は、看
護師と薬剤師で異なっており、日本のキャリアウーマンが抱える問題を代表している
ことがご理解いただけたかと思います。これから数回にわたり医師不足問題について
議論させていただきたいと考えています。まず、今回は我が国の医師の養成システム
の歴史的な経緯をご紹介させていただきます。
■ 医師供給数は医学部定員数によりコントロールされている
我が国で医師になるためには大学医学部を卒業し、医師国家試験に合格しなければ
なりません。現在、我が国には80の大学医学部が存在し、毎年約8000人の卒業
生を世間に送り出しています。このうち、約90%の学生が医師国家試験に合格し、
医師としての活動を始めます。このように医師の供給は、医学部の定員と国家試験の
合格率という二つの方法で国家によりコントロールされています。
このうち、医師の供給数に直接的に影響するのは医学部の定員数です。医師国家試
験合格率は長年90%程度で横ばいであり、医師数の供給には実質的に影響していま
せん。この特異性は他学部の卒業生と比較すれば、理解しやすくなります。例えば、
法学部の卒業生は全てが法曹界に進むわけではなく、法曹界の人材供給量をコントロ
ールしているのは、法学部の定員数ではなく、司法試験や国家公務員試験の合格率で
す。司法試験に合格することは極めて難しく、このような難関を課すことで、司法界
の人材のレベルを維持してきたと考えられます。
■ 医師国家試験の合格率により医師数をコントロールすることは可能か?
もし、医学部の定員を増やし、医師国家試験の合格率を下げれば、どのようなこと
が起るでしょうか。医学部学生の養成コストは他学部よりも高いと言われており、こ
のような政策を実行する社会的コストは極めて高いと思いますが、仮定の話として議
論してきましょう。
医学部の定員を増やし、国家試験の合格率を下げれば、医学部を卒業しても、医師
にならない(なれない?)人が増えます。「医師浪人」も出てくるでしょうが、多く
の人は医学部を卒業して、医師以外の職業を選択せざるを得ないでしょう。このよう
な人たちは、社会にどのような影響を与えるでしょうか。
多くの人々は医学部卒業=医師と考えていますが、現在でも医学部の卒業生の進路
は結構、多岐にわたります。例えば、製薬企業に努める人や研究者は多数いますし、
弁護士、コンサルタント、作家、国会議員などもいます。実は、医学の素養をもった
社会人が医療以外の分野で活躍することは、我が国全体にとっては、良い面も多数あ
るのです。このような人たちが増えれば、日本の製薬企業や医療機器メーカーの国際
競争力が高まる可能性もあり得ますし、医療界と司法界の架け橋になるかもしれませ
ん。医学部の定員を増やせば、失業する医師が出てくる可能性もありますが、逆に、
これまで医学専門家がいなかった分野に進出することになるかもしれないのです。こ
の可能性は、これまであまり議論されてきませんでした。
現在、医師数のコントロールには二つの方法があり、それをどのように組み合わせ
るかは、国民が柔軟に決めるべきですが、我が国では、伝統的に医師の供給を医学部
に定員数だけに依存してきました。つまり、医学部の設置数=医師数という時代が長
年続いた訳です。医学部とは何か、国家試験とは何かという問題をじっくり考え直し
てもいい時期に来ているのではないでしょうか。
■ 医学部設立の歴史
では、我が国で医学部はどのような経緯で作られてきたのでしょうか。実は、国家
が医師の養成をコントロールするようになったのは、そんなに古い話ではありませ
ん。明治初期までは、医師養成には多様な過程がありました。例えば、江戸時代の漢
方医や蘭方医には国家資格はなく、職人の世界の師弟関係と同じ方法で医師が養成さ
れました。明治になって医師国家試験の制度が創立されても、その初期には野口英世
博士のように大学に通わず、開業医の元で住み込んで修業し、医師試験を受けて医師
資格をとったものも存在しました。このような制度の下では大量の医師の養成は難し
く、また、医師の品質管理も困難でした。明治政府は富国強兵を目的として大学医学
部を卒業し、医師の大量養成に踏み切りました。この過程で、医師養成が国家の管理
下に置かれるようになりました。
明治維新以降、大学医学部が設置されたのは、明治、大正10年頃、昭和20年
頃、昭和50年頃です。まず、明治期には東大、京大、東北大、九州大に帝国大学医
学部が設置されます。ついで、大正10年に大学令が改正され、明治36年に設立さ
れた9つの医学専門学校(旧制9医科大学)が大学医学部へと昇格します。また、同
時期に北海道大学、慶応大学、東京慈恵会医科大学、日本医科大学に医学部が創設さ
れます。この時点で、大学医学部数は17になります。その後、第二次世界大戦中に
8つの旧制医科専門学校が設立され、戦後、医科大学に昇格します。また、戦中、戦
後を通じ、11の国公立医科大学、10の私立医科大学が創設されます。この時点
で、大学医学部は46になります。最後は、一県一医大構想に基づき、昭和45−5
4年にかけて18の国公立大学医学部、16の私立大学医学部が創設され、医学部数
は現在の80になります。
■ 医師不足は我が国の近代史の鏡である
このような医学部創設の歴史を振り返れば、様々な問題点が見えてきます。まず、
医療は戦争と密接な連携があることがわかります。明治、大正10年頃、昭和20年
頃の医学部増設時期は、いずれも戦争、あるいは軍備増強の時期です。戦争と医療の
密接な関連については、我が国だけでなく、世界の全ての国に当てはまる現象です。
近代戦争が外科学と細菌学の進歩に貢献したことは有名ですし、ベトナム戦争はヘリ
搬送、湾岸戦争は兵士の外傷後ストレス性精神障害(PTSD)、イラク戦争は医療
機器・チーム搬送の研究の発展のきっかけとなりました。
ちなみに、厚生省の前身には陸軍省が含まれます。東京の戸山にある国立国際医療
センターは旧陸軍病院ですし、築地の国立がんセンターは旧海軍兵学校、旧海軍病院
です。都内の便利なところに、広い敷地をもつ病院の前身は軍隊と関係があるという
のは、近代医学のあり方について示唆に富みます。
ついで、大正時代まで創立された大学が、西日本に偏っていることが挙げられま
す。この時期に創設された全17大学は、金沢・名古屋以西に9つ,東京に4つ存在
し、残りは北海道、東北、千葉、新潟に一つずつです。九州には福岡、長崎、熊本県
に一つずつ設置したこととは対照的です。地域の医師数は、地元の大学医学部の卒業
生数と密接に関係しますから、東北、関東が医師不足になるのは明治以来の政策の結
果なのでしょう。現に我が国の人口あたりの医師数は西高東低で、もっとも医師が足
りない県は千葉、埼玉など関東に存在します。このような偏りが生じたことに、薩長
が明治政府を打ち立て、西日本に重点的に教育投資を行ったことと無関係ではないで
しょう。筆者は、江戸時代の先進藩であった会津に大学医学部が設置されなかったこ
とは、単なる偶然ではないと考えています。
第三に医学部数は約30年ごとに倍増しています。30年というのは一人の医師
が、在職中に一度は医学部の教官数が倍増するのを経験してきたことを意味します。
このため、我が国の医師の人事制度は右肩上がりの成長を前提として形作られまし
た。具体的に言うと、帝大や慶應大学など中核大学の卒業生は、若いうちから地方病
院や大学の主要ポジションを歴任し、40代で新設医大の教授に就任し、その場で成
功したものが母校の大学の教授に戻るような「競争システム」ができあがったので
す。これは、旧大蔵省のキャリア官僚が、若いうちから税務署長になるような慣行と
類似しています。この制度は様々な評価がなされていますが、エリートが若いうちに
地方をまわり、様々な現場の問題に接するため、地方での人脈や現場感覚を身につけ
ることが出来たことも事実です。ところが、このような人事制度は、今や医学界では
行われていません。それは、世間の非難があったからではなく、医学部が新設されな
くなったからです。医学部は「低成長時代」の管理職養成制度の確立に試行錯誤して
います。現在、一県一医大制度が提唱されてから、約30年がたちます。この時期に
医師不足が社会的問題になっていることは、何か運命的なものを感じます。
次回、日本の医師不足の実情について、紹介させていただきます。
------------------------------------------------------------------------
上 昌広(かみ・まさひろ)
東京大学医科学研究所 探索医療ヒューマンネットワークシステム部門:客員准教授
Home Page:
帝京大学医療情報システム研究センター:客員教授
「現場からの医療改革推進協議会」
「周産期医療の崩壊をくい止める会」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
