2008年12月06日
田母神俊雄氏の独り勝ち
人生にはハプニングがつきものだ
田母神俊雄氏、前空幕長は、昨日、約7千万円の退職金を手にして、今後は「田母神発言」を発条に安全保障国防論講演に活動の場を移す。当然、退職後は講演活動などの予定を計画していただろうが、今回の件で少し早まったかたちになった。本人も思わぬ展開に当初は複雑な思いをもっただろう。それというのも、常日頃主張していた国家論を付き合いのつもりで出した投稿文がマスコミの格好の餌食になり、何よりも政府そのものが敏感に動いた為、本人も腹を括らざるを得ない状況で、それならばそれで、ここで一席ぶっておこうかと話題性そのものに便乗して、退職というハプニングはあったものの、退職金を受け取り言いたい放題で、最近にない爽快感あふれる満面の気持ちを抑えるのに嬉苦労しているというのが実情だろう。そして、さぞかし美酒に浸っていることだろう。
歴史認識などかんけいねぇ
それにしても、一応、田母神論文ということになっているが、その内容は、日常茶飯事の仲間話の延長程度の内容にどうしてこうも政治家、知識人、市民団体、右翼に至るまで騒ぐのか理解に窮する。そもそも論で言っても、自衛隊最高幹部は、旧日本軍の思想、信条を確実に受け継ぐことを至上の上官命令として脈々と受け継がれてきているのが現実の真実である。これは、ある種当然と理解を示しえる歴史的背景がある。軍隊でもありえる自衛隊は、その指揮系統において、死を覚悟しての仕事に従事している状況においては、人を殺すことを仕事にする覚悟をもっている集団ということであり、一般人とは一線を画した精神社会にある。
又、自衛隊幹部は、世界史は戦争の勝ち負けでしかないという認識のもとで、民族自決権は先ず「国家の独立」があっての物種だと至上に考えている。即ち、独立を守ることは主権を維持することであり、その為には戦争という手段を選ぶことが正当だと真っ当に考えている。その為には、今の日本を真の独立国とするためには、自国の核武装を実現することだと信じている。いつまでも、米国の核の庇護の下では、日本人による日本の独立はないと考えている。また、非核三原則のもとでは、有事の際に日米安全保障が機能しない、従って、集団的自衛権と核持込の認可は常識的軍事戦略の基本であると信じている。この自衛隊幹部の主張からすれば、戦後の日米同盟における日本政府の国防論は基本的に間違っていると幹部全員が考えている。そして、「世界史は戦争の勝ち負け」だとする、また、将来的にもそうでしかないと考えれば自衛隊幹部の主張も尤もだと肯ける。
敗戦国の日本の戦後は、米国の都合でもあったが、文民統制のもとで軍備拡張路線を展開してきた。戦後の50年は、復興と経済発展と横這いを経験しながら、日米同盟の御蔭を体現しながら、国民総じて御蔭に甘んじてきた経緯が真実としてある。しかし、その後の10年で世界は急速に価値の変貌を体験することになる。一つにはインターネットに象徴される情報革命がある。そこで、日本人もその価値の異変にどうやら気づき始めたようだ。不平等日米同盟のその形跡があちこちで散見される、露呈する現実に直面するようになった。そして、この10月の世界金融恐慌がその現実を証明することになり、さらに、米国の北朝鮮の拉致指定国家解除が宣言された。即ち、国民総じて、米国の御蔭をいつまでも頼りにできないという現実を目の当たりに体現することになったのである。評論家的指摘は、世界は多極化になった、次期オバマ政権は、多極化政策に終始するという判断である。従って、世界の多極化と田母神発言は必然性をもっている。
自衛隊幹部は、米国はもはや日本を利用することはあっても守ることにはならないという認識で一致している。その為には、核武装が唯一「国家の独立」を担保する手段であると主張するのだ。その根拠はイラクがその経験則を証明していると主張する。確かに、核を保有している北朝鮮は、イラクの二の舞にならず米国と対等にテーブルにふてぶてしく就いている。
国民もある程度の理解と同歩調だ
田母神発言に対する国民の6割が賛同しているという世論調査も以上のような自衛隊幹部のご尤もな肯ける主張があるからであろう。そして、その一部賛同者は、38年後の三島由紀夫の人魂発言だと驚嘆する賛美までしている。ある種過熱気味な社会現象になりつつある。それを如実に示しているのが、連日連夜の全国的な講演キャンペーン(1)である。政府もこの講演での発言に神経を尖らせているという記事(2)もでている。今や、テレビ出演もこなす多忙なタレントといえる活躍ぶりである。
田母神発言の信憑性について
殆んど全面的に賞賛する論評、WILL1月号に発表された中西輝政氏の「田母神論文の歴史的意義」が発言を支持する人たちの間で話題になっている。タイトルに歴史的意義とあるように極めて高い評価を与えている。それは問題になっている歴史認識においても主張の正当性を検証している。また、不思議なことにそれを裏打ちする資料が12月3日の産経新聞に掲載(3)されたりもしている。戦勝国の極秘文書の開示は最近、日を追うごとに増えその研究成果が発表されつつある。11月28日の「朝まで生テレビ」の「田母神問題と自衛隊」での出席者、西尾幹二氏はそのWILL1月号を持参しながら、中西輝政氏の歴史認識における解釈論を、ご高齢のためか興奮気味で神がかり発言の嫌いになり説得力もつ発言につながらなかった。それに対して、第三者的立場(学術的ともいう)に徹しているかにみえる姜尚中氏の批判が的を射た発言になっていた。
同じく冷静な対応に終始した森本敏氏は、さすが古巣の事件で、当事者が教え子ときている関係上、明確な見解を避けた発言に終始していた。しかし、12月5日産経新聞【正論】「田母神論文の意味するところ」(4)の論評で森本敏氏は明晰な毅然とした見解を披露している。即ち、張作霖爆破事件を契機に日本は侵略国家の道にすすんだ、『これは日本が近代国家を建設する過程での重大な過誤』であると指摘している。また、発言については『政治感覚の著しい欠如』と厳しく糾弾し、『今回の論文によって文民統制への信頼性を失ったとすればその責任は大きい。』と嘆いている。
森本敏氏の「田母神発言」批判には氏の信条がかなり影響している。ご存知のように、日米同盟信奉者ぶりに徹している氏は、今後の防衛費や自衛隊の海外派遣(恒久法)問題に少なからず影響があると考えている、「なんということをしでかしてくれたのだ」というわけだ。自衛隊の恒久化を実現させて多国籍軍と対等の軍備、実践力をもつまでは、何があっても日米同盟にしがみついてじっと我慢の子でいろというのが氏の信条である。
ボタンの掛け違い論争
マスコミも政治家、評論家、識者に至るまで、喧々諤々の論争の呈を顕にしているが、そもそも論で言えば、原則的に言論の自由は保障されているのだから、田母神氏自身は何をいっても問題ではない。これは政府も認めているところである。しかし、現職の自衛隊空幕長が政府見解を否定する見解を世間に吹聴すれば、更迭ないし罷免は当然である。この規約を担保に行政府というものが成り立っている、それだけのことだ。現実に、田母神氏は現職時代に田母神学校といわれる講義、雑誌で自己主張を繰り返しているし、幹部仲間同士の酒の摘みに「北朝鮮にミサイルをぶち込んでやる」、はたまた嫁さん相手に酔った勢いで「政府はなっていない、村山談話などかんけいねぇ、いざ鎌倉の時は、戦争だ」と息巻いてもそれこそ勝手にしてくれということだ。但し、世間に触れ回っては、その人格が疑われるというだけである。
それを民主党が、政府の任命責任という政局にしたがるものだからマスコミが飛びついてしまい、反って田母神氏に棚から牡丹餅になる結果をもたらすことになっている。よく観察すれば、田母神氏は現職当時よりも、今の方が緊張した日々になっているのではないかと思われる。要するに、政局のお陰で、反って田母神氏に多額の資金提供をしてその活躍の場を提供したようなものだ。田母神発言がパンドラの箱を開けたと諸手を挙げて喜んでいる連中に市民権を与えてしまったということではあるが、それは、世界の多極化と狭義の意味で「日本の独立」を考えた場合は、起こるべし成り行きと考えるのが妥当である。いつまでも、天皇制と自衛隊論議はタブー視され続けられるとは考えられない。核武装論だけで国防、「日本の独立、主権」を担保できると考えるのは大層な勘違いである。
心地好いイデオロギーも賞味期限切れ
田母神発言を単なるロッカー談義で終わらせることもできるが、しかし、これからの日本の状況を真摯に展望すれば、このへんで日本人としての思考形態、こころのありようを各自点検してみるのも必要かと思う。将来的には、日米同盟の傘の下で矛盾イデオロギーに安堵していられないことはみえている。先ず、天皇制と自衛隊、そして日米安全保障を認め、且つ憲法を認めることの矛盾を心地好いイデオロギーとする体質から脱皮できるかを各自問うてみることだ。自衛隊を軍隊として憲法に組み入れる戦争への明解さを各個人が選択するのか、そして被爆国である日本人が核武装の最終兵器をもつ決意ができるのか、さらにその時の天皇制の在りようを考えればなかなか戦後60数年の歳月では決断できないと考える。
「田母神発言」と関係なく済し崩しはすすむ
然らば、相変らず米国の従属国家として、矛盾イデオロギーに浸り、ひたすら日米同盟外交周辺でちんたら外交を続け、わずかな改善をよしとするかである。しかし、それとて意欲的な質的変革を目指さないと、それこそちんたら外交が外交でなくなる日がくることは間違いない。マスコミ、保守派、右翼も左翼も、天皇制と自衛隊そして日米安全保障についての劇的な質的転換を図る議論を起こさなければならない。質的変革が方向性をもったならば自ずと憲法論議が粛々と進められるだろう。何れにせよこの状態の維持ということは、ますます独立から済し崩し的に遠のくこと必至である。
参考資料
(1)講演キャンペーン
WILL創刊4周年記念大講演会(12月20日・東京・東商ホール)
田母神発言と言論の自由を考える市民の会(12月21日・名古屋・桜華会館)
(2)毎日新聞 2008年11月30日
防衛省:田母神・前空幕長講演に戦々恐々 来月立て続け「批判再燃も」
http://mainichi.jp/select/seiji/mod/news/20081130ddm002010141000c.html
政府の歴史認識に反する懸賞論文を公表して更迭された田母神(たもがみ)俊雄・前航空幕僚長は12月、講演などを立て続けに行う予定で、防衛省が神経をとがらせている。1カ月前まで航空自衛隊トップだった人物が、政府見解から逸脱する発言を公然と繰り返せば政府や自衛隊への世論の批判が収まらない、と警戒感を強める。同省は田母神氏の活動日程や発言をつかもうと躍起だが「退職で民間人になっており、手の打ちようがない」(幹部)。
退職後、11月中から雑誌への寄稿やテレビ収録を済ませた田母神氏は、12月1日に外国特派員協会で記者会見するほか、8日に問題の懸賞論文の表彰式に出席。下旬まで各地での講演が予定されている。
田母神氏が公職にないため同省幹部は接触を控えているが「誰も一民間人の話とは受け取らず、発言のたびに政権批判が再燃する」(内局幹部)。このため同省は、田母神氏の日程リストをまとめ浜田靖一防衛相にも報告した。【松尾良】
(3)時事通信社2008年12月3日
開戦5年前に日系人収容を検討=F・ルーズベルト大統領覚書
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/world/jiji-081202X824.html
【ワシントン2日時事】1941年(昭和16年)12月8日(米時間7日)の日米開戦に先立つ5年前の36年(昭和11年)、フランクリン・D・ルーズベルト米大統領が対日有事を想定し、ハワイの日系人を強制収容所に収監する計画を検討していたことが2日までに、ニューヨーク州ハイドパークの同大統領図書館に保管されていた極秘の覚書から分かった。
日系人強制収容は、日本海軍機動部隊によるハワイ・オアフ島パールハーバー(真珠湾)奇襲攻撃に衝撃を受けたルーズベルト政権が「戦争ヒステリー」という異常な心理状態で、軍主導で急きょ実施したとするのが通説だが、同大統領は極めて早い段階で対日戦争を意識し、日系人隔離を自ら構想していたことが判明した。
覚書は海軍作戦部長にあてられたもので、36年8月10日付。関西学院大学非常勤講師の藤岡由佳氏(日米政治外交史)が入手した。同氏によれば、覚書は80年代に米国研究者によって発見されていたが、これまで日本の研究者には知られていなかった。
この中で、ルーズベルト大統領はハワイにおける日本側の秘密情報活動への危機感を背景に、「わたしに明確な考えが浮かんだ。日本船舶・乗組員に接触するオアフ島の日系人の身元を極秘に洗い出し、有事に際して強制収容所に最初に送り込む特別リストに氏名を記載しておくべきだ」と提案している。藤岡氏は「日系人収容は大統領自身が主導した可能性が出てきた」と話している。
(4)産経新聞12月5日
【正論】拓殖大学大学院教授・森本敏「田母神論文の意味するところ」
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/081205/stt0812050323000-n1.htm
≪侵略でないといえない≫
歴史や戦争は人間社会の複合された所産であり、日本が先の大戦に至るまでにたどった道を省みれば、明らかに「自衛」と「侵略」の両面がある。歴史を論じる際、これらをトータルに観察し分析すべきである。田母神俊雄・前航空幕僚長の論文を読んで感じるのは、証拠や分析に基づく新たな視点を展開するならともかく、他人の論評の中から都合の良いところを引用して、バランスに欠ける論旨を展開している点である。あの程度の歴史認識では、複雑な国際環境下での国家防衛を全うできない。
大戦に至る歴史の中で日本が道を誤る転換点となった張作霖爆破事件は、満州権益の保護拡大のため関東軍が独断専行の結果引きおこしたものであることは各種証拠からほとんど間違いない。このときの処置のあいまいさや満州での激しい抗日運動、関東軍の独断がその後の満州事変の引き金になり、満州国建国、上海事変、シナ事変へと続いていったのである。この歴史的事実をもって日本は侵略国家でないというのはあまりに偏った見方である。
我々が心得べきことは、大戦に至る数十年、日清・日露戦争で勝利した奢(おご)りから軍の独善が進み、国家は「軍の使用」を誤ってアジア諸国に軍を進め、多くの尊い人命を失い、国益を損なったことである。これは日本が近代国家を建設する過程での重大な過誤であり、責任は軍人はもとより国家・国民が等しく負うべきである。この過誤を決して繰り返してはならない。
≪政治感覚の著しい欠如≫
ところで、田母神氏は自衛隊員として論文の部外発表手続きを踏んでいない。それを十分承知の上で、日常の不満・鬱憤(うっぷん)をこういう形で、一石を投じる目的をもって公表したのであれば、それによってもたらされる影響についても責任を有する。政府の村山談話がおかしいと思うなら防衛省内で大臣相手に堂々と議論すべきであり、懸賞論文に出すなどと言う行為は政府高官のすべきことではない。
さらにこれによって防衛省改革や防衛大綱の見直し、防衛費や自衛隊の海外派遣問題などにマイナス影響を与えかねない。それが分かっていて発表したというなら政治的な背信行為であり、分からなかったというなら、幕僚長がその程度の政治感覚もなかったのかと言うことになる。
自衛隊員は呼称は何であれ、武力行使できる実行組織を指揮するのであるから、いわゆる「軍人」である。一般市民が自衛隊員をどう見ているかを、高官になれば分かっていなければならない。田母神氏は、日本の自衛隊はいかなる国より文民統制がしっかりしていると国会答弁しているが、自衛隊員がこれを言っても説得力はない。
国民には、文民統制は自衛隊員に意図があれば機能しなくなると考えている人がいる。しかし戦後半世紀、文民統制に大きな疑惑が起きなかったのは、この間の先人の自己抑制努力によるものである。今回の論文によって文民統制への信頼性を失ったとすればその責任は大きい。
≪防衛省の対応には疑問≫
他方、防衛省の対応措置には納得がいかない。田母神氏を懲戒処分にする手続きをとらずに解任し、空幕付きにして退職させた。懲戒にしなかった理由を防衛省は、審理に通常10カ月近くかかり、その間に本人が定年を迎えるので、と説明した。懲戒処分といっても実際には、個人の表現の自由が認められている限り、懲戒免職にはできず、それより軽い処分ですむ。1日も早く防衛省から辞めさせてしまいたい、審理に入ることにより省内で歴史論争がおこるのを防ぎたいという事情が合わさったのであろう。
幕僚長という地位にあるのであるから、大臣は本人に面談のうえ身の処し方を協議すべきであった。国会も参考人質疑で歴史認識論議を避けたが、立法府こそ堂々と歴史認識を論議すべきである。
今後、部外発表をチェックする制度を強化すると、自衛隊員は部外に個人の思想・信条を吐露しなくなる。何を考えているか分からない23万人もの実力部隊が存在することの方が不健全である。文民統制の本義を履き違えた議論は戒めるべきであり、自衛隊員の部外発表を規制することは論外である。
一方で、自衛隊も人材育成や教育を見直す必要がある。自衛官が政治の場を体験する機会を増やすことも考えるべきだ。幕僚長以上を国会の同意人事にすることは違和感があるが、そうするのであれば、彼らを国会審議に引き出す制度を作る必要があろう。
今回は国内世論が左右にはっきり分かれた。これは歴史認識が確立していないからであり、近代史に関する歴史教育の重要性を痛感させられる。(もりもと さとし)
田母神俊雄氏、前空幕長は、昨日、約7千万円の退職金を手にして、今後は「田母神発言」を発条に安全保障国防論講演に活動の場を移す。当然、退職後は講演活動などの予定を計画していただろうが、今回の件で少し早まったかたちになった。本人も思わぬ展開に当初は複雑な思いをもっただろう。それというのも、常日頃主張していた国家論を付き合いのつもりで出した投稿文がマスコミの格好の餌食になり、何よりも政府そのものが敏感に動いた為、本人も腹を括らざるを得ない状況で、それならばそれで、ここで一席ぶっておこうかと話題性そのものに便乗して、退職というハプニングはあったものの、退職金を受け取り言いたい放題で、最近にない爽快感あふれる満面の気持ちを抑えるのに嬉苦労しているというのが実情だろう。そして、さぞかし美酒に浸っていることだろう。
歴史認識などかんけいねぇ
それにしても、一応、田母神論文ということになっているが、その内容は、日常茶飯事の仲間話の延長程度の内容にどうしてこうも政治家、知識人、市民団体、右翼に至るまで騒ぐのか理解に窮する。そもそも論で言っても、自衛隊最高幹部は、旧日本軍の思想、信条を確実に受け継ぐことを至上の上官命令として脈々と受け継がれてきているのが現実の真実である。これは、ある種当然と理解を示しえる歴史的背景がある。軍隊でもありえる自衛隊は、その指揮系統において、死を覚悟しての仕事に従事している状況においては、人を殺すことを仕事にする覚悟をもっている集団ということであり、一般人とは一線を画した精神社会にある。
又、自衛隊幹部は、世界史は戦争の勝ち負けでしかないという認識のもとで、民族自決権は先ず「国家の独立」があっての物種だと至上に考えている。即ち、独立を守ることは主権を維持することであり、その為には戦争という手段を選ぶことが正当だと真っ当に考えている。その為には、今の日本を真の独立国とするためには、自国の核武装を実現することだと信じている。いつまでも、米国の核の庇護の下では、日本人による日本の独立はないと考えている。また、非核三原則のもとでは、有事の際に日米安全保障が機能しない、従って、集団的自衛権と核持込の認可は常識的軍事戦略の基本であると信じている。この自衛隊幹部の主張からすれば、戦後の日米同盟における日本政府の国防論は基本的に間違っていると幹部全員が考えている。そして、「世界史は戦争の勝ち負け」だとする、また、将来的にもそうでしかないと考えれば自衛隊幹部の主張も尤もだと肯ける。
敗戦国の日本の戦後は、米国の都合でもあったが、文民統制のもとで軍備拡張路線を展開してきた。戦後の50年は、復興と経済発展と横這いを経験しながら、日米同盟の御蔭を体現しながら、国民総じて御蔭に甘んじてきた経緯が真実としてある。しかし、その後の10年で世界は急速に価値の変貌を体験することになる。一つにはインターネットに象徴される情報革命がある。そこで、日本人もその価値の異変にどうやら気づき始めたようだ。不平等日米同盟のその形跡があちこちで散見される、露呈する現実に直面するようになった。そして、この10月の世界金融恐慌がその現実を証明することになり、さらに、米国の北朝鮮の拉致指定国家解除が宣言された。即ち、国民総じて、米国の御蔭をいつまでも頼りにできないという現実を目の当たりに体現することになったのである。評論家的指摘は、世界は多極化になった、次期オバマ政権は、多極化政策に終始するという判断である。従って、世界の多極化と田母神発言は必然性をもっている。
自衛隊幹部は、米国はもはや日本を利用することはあっても守ることにはならないという認識で一致している。その為には、核武装が唯一「国家の独立」を担保する手段であると主張するのだ。その根拠はイラクがその経験則を証明していると主張する。確かに、核を保有している北朝鮮は、イラクの二の舞にならず米国と対等にテーブルにふてぶてしく就いている。
国民もある程度の理解と同歩調だ
田母神発言に対する国民の6割が賛同しているという世論調査も以上のような自衛隊幹部のご尤もな肯ける主張があるからであろう。そして、その一部賛同者は、38年後の三島由紀夫の人魂発言だと驚嘆する賛美までしている。ある種過熱気味な社会現象になりつつある。それを如実に示しているのが、連日連夜の全国的な講演キャンペーン(1)である。政府もこの講演での発言に神経を尖らせているという記事(2)もでている。今や、テレビ出演もこなす多忙なタレントといえる活躍ぶりである。
田母神発言の信憑性について
殆んど全面的に賞賛する論評、WILL1月号に発表された中西輝政氏の「田母神論文の歴史的意義」が発言を支持する人たちの間で話題になっている。タイトルに歴史的意義とあるように極めて高い評価を与えている。それは問題になっている歴史認識においても主張の正当性を検証している。また、不思議なことにそれを裏打ちする資料が12月3日の産経新聞に掲載(3)されたりもしている。戦勝国の極秘文書の開示は最近、日を追うごとに増えその研究成果が発表されつつある。11月28日の「朝まで生テレビ」の「田母神問題と自衛隊」での出席者、西尾幹二氏はそのWILL1月号を持参しながら、中西輝政氏の歴史認識における解釈論を、ご高齢のためか興奮気味で神がかり発言の嫌いになり説得力もつ発言につながらなかった。それに対して、第三者的立場(学術的ともいう)に徹しているかにみえる姜尚中氏の批判が的を射た発言になっていた。
同じく冷静な対応に終始した森本敏氏は、さすが古巣の事件で、当事者が教え子ときている関係上、明確な見解を避けた発言に終始していた。しかし、12月5日産経新聞【正論】「田母神論文の意味するところ」(4)の論評で森本敏氏は明晰な毅然とした見解を披露している。即ち、張作霖爆破事件を契機に日本は侵略国家の道にすすんだ、『これは日本が近代国家を建設する過程での重大な過誤』であると指摘している。また、発言については『政治感覚の著しい欠如』と厳しく糾弾し、『今回の論文によって文民統制への信頼性を失ったとすればその責任は大きい。』と嘆いている。
森本敏氏の「田母神発言」批判には氏の信条がかなり影響している。ご存知のように、日米同盟信奉者ぶりに徹している氏は、今後の防衛費や自衛隊の海外派遣(恒久法)問題に少なからず影響があると考えている、「なんということをしでかしてくれたのだ」というわけだ。自衛隊の恒久化を実現させて多国籍軍と対等の軍備、実践力をもつまでは、何があっても日米同盟にしがみついてじっと我慢の子でいろというのが氏の信条である。
ボタンの掛け違い論争
マスコミも政治家、評論家、識者に至るまで、喧々諤々の論争の呈を顕にしているが、そもそも論で言えば、原則的に言論の自由は保障されているのだから、田母神氏自身は何をいっても問題ではない。これは政府も認めているところである。しかし、現職の自衛隊空幕長が政府見解を否定する見解を世間に吹聴すれば、更迭ないし罷免は当然である。この規約を担保に行政府というものが成り立っている、それだけのことだ。現実に、田母神氏は現職時代に田母神学校といわれる講義、雑誌で自己主張を繰り返しているし、幹部仲間同士の酒の摘みに「北朝鮮にミサイルをぶち込んでやる」、はたまた嫁さん相手に酔った勢いで「政府はなっていない、村山談話などかんけいねぇ、いざ鎌倉の時は、戦争だ」と息巻いてもそれこそ勝手にしてくれということだ。但し、世間に触れ回っては、その人格が疑われるというだけである。
それを民主党が、政府の任命責任という政局にしたがるものだからマスコミが飛びついてしまい、反って田母神氏に棚から牡丹餅になる結果をもたらすことになっている。よく観察すれば、田母神氏は現職当時よりも、今の方が緊張した日々になっているのではないかと思われる。要するに、政局のお陰で、反って田母神氏に多額の資金提供をしてその活躍の場を提供したようなものだ。田母神発言がパンドラの箱を開けたと諸手を挙げて喜んでいる連中に市民権を与えてしまったということではあるが、それは、世界の多極化と狭義の意味で「日本の独立」を考えた場合は、起こるべし成り行きと考えるのが妥当である。いつまでも、天皇制と自衛隊論議はタブー視され続けられるとは考えられない。核武装論だけで国防、「日本の独立、主権」を担保できると考えるのは大層な勘違いである。
心地好いイデオロギーも賞味期限切れ
田母神発言を単なるロッカー談義で終わらせることもできるが、しかし、これからの日本の状況を真摯に展望すれば、このへんで日本人としての思考形態、こころのありようを各自点検してみるのも必要かと思う。将来的には、日米同盟の傘の下で矛盾イデオロギーに安堵していられないことはみえている。先ず、天皇制と自衛隊、そして日米安全保障を認め、且つ憲法を認めることの矛盾を心地好いイデオロギーとする体質から脱皮できるかを各自問うてみることだ。自衛隊を軍隊として憲法に組み入れる戦争への明解さを各個人が選択するのか、そして被爆国である日本人が核武装の最終兵器をもつ決意ができるのか、さらにその時の天皇制の在りようを考えればなかなか戦後60数年の歳月では決断できないと考える。
「田母神発言」と関係なく済し崩しはすすむ
然らば、相変らず米国の従属国家として、矛盾イデオロギーに浸り、ひたすら日米同盟外交周辺でちんたら外交を続け、わずかな改善をよしとするかである。しかし、それとて意欲的な質的変革を目指さないと、それこそちんたら外交が外交でなくなる日がくることは間違いない。マスコミ、保守派、右翼も左翼も、天皇制と自衛隊そして日米安全保障についての劇的な質的転換を図る議論を起こさなければならない。質的変革が方向性をもったならば自ずと憲法論議が粛々と進められるだろう。何れにせよこの状態の維持ということは、ますます独立から済し崩し的に遠のくこと必至である。
参考資料
(1)講演キャンペーン
WILL創刊4周年記念大講演会(12月20日・東京・東商ホール)
田母神発言と言論の自由を考える市民の会(12月21日・名古屋・桜華会館)
(2)毎日新聞 2008年11月30日
防衛省:田母神・前空幕長講演に戦々恐々 来月立て続け「批判再燃も」
http://mainichi.jp/select/seiji/mod/news/20081130ddm002010141000c.html
政府の歴史認識に反する懸賞論文を公表して更迭された田母神(たもがみ)俊雄・前航空幕僚長は12月、講演などを立て続けに行う予定で、防衛省が神経をとがらせている。1カ月前まで航空自衛隊トップだった人物が、政府見解から逸脱する発言を公然と繰り返せば政府や自衛隊への世論の批判が収まらない、と警戒感を強める。同省は田母神氏の活動日程や発言をつかもうと躍起だが「退職で民間人になっており、手の打ちようがない」(幹部)。
退職後、11月中から雑誌への寄稿やテレビ収録を済ませた田母神氏は、12月1日に外国特派員協会で記者会見するほか、8日に問題の懸賞論文の表彰式に出席。下旬まで各地での講演が予定されている。
田母神氏が公職にないため同省幹部は接触を控えているが「誰も一民間人の話とは受け取らず、発言のたびに政権批判が再燃する」(内局幹部)。このため同省は、田母神氏の日程リストをまとめ浜田靖一防衛相にも報告した。【松尾良】
(3)時事通信社2008年12月3日
開戦5年前に日系人収容を検討=F・ルーズベルト大統領覚書
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/world/jiji-081202X824.html
【ワシントン2日時事】1941年(昭和16年)12月8日(米時間7日)の日米開戦に先立つ5年前の36年(昭和11年)、フランクリン・D・ルーズベルト米大統領が対日有事を想定し、ハワイの日系人を強制収容所に収監する計画を検討していたことが2日までに、ニューヨーク州ハイドパークの同大統領図書館に保管されていた極秘の覚書から分かった。
日系人強制収容は、日本海軍機動部隊によるハワイ・オアフ島パールハーバー(真珠湾)奇襲攻撃に衝撃を受けたルーズベルト政権が「戦争ヒステリー」という異常な心理状態で、軍主導で急きょ実施したとするのが通説だが、同大統領は極めて早い段階で対日戦争を意識し、日系人隔離を自ら構想していたことが判明した。
覚書は海軍作戦部長にあてられたもので、36年8月10日付。関西学院大学非常勤講師の藤岡由佳氏(日米政治外交史)が入手した。同氏によれば、覚書は80年代に米国研究者によって発見されていたが、これまで日本の研究者には知られていなかった。
この中で、ルーズベルト大統領はハワイにおける日本側の秘密情報活動への危機感を背景に、「わたしに明確な考えが浮かんだ。日本船舶・乗組員に接触するオアフ島の日系人の身元を極秘に洗い出し、有事に際して強制収容所に最初に送り込む特別リストに氏名を記載しておくべきだ」と提案している。藤岡氏は「日系人収容は大統領自身が主導した可能性が出てきた」と話している。
(4)産経新聞12月5日
【正論】拓殖大学大学院教授・森本敏「田母神論文の意味するところ」
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/081205/stt0812050323000-n1.htm
≪侵略でないといえない≫
歴史や戦争は人間社会の複合された所産であり、日本が先の大戦に至るまでにたどった道を省みれば、明らかに「自衛」と「侵略」の両面がある。歴史を論じる際、これらをトータルに観察し分析すべきである。田母神俊雄・前航空幕僚長の論文を読んで感じるのは、証拠や分析に基づく新たな視点を展開するならともかく、他人の論評の中から都合の良いところを引用して、バランスに欠ける論旨を展開している点である。あの程度の歴史認識では、複雑な国際環境下での国家防衛を全うできない。
大戦に至る歴史の中で日本が道を誤る転換点となった張作霖爆破事件は、満州権益の保護拡大のため関東軍が独断専行の結果引きおこしたものであることは各種証拠からほとんど間違いない。このときの処置のあいまいさや満州での激しい抗日運動、関東軍の独断がその後の満州事変の引き金になり、満州国建国、上海事変、シナ事変へと続いていったのである。この歴史的事実をもって日本は侵略国家でないというのはあまりに偏った見方である。
我々が心得べきことは、大戦に至る数十年、日清・日露戦争で勝利した奢(おご)りから軍の独善が進み、国家は「軍の使用」を誤ってアジア諸国に軍を進め、多くの尊い人命を失い、国益を損なったことである。これは日本が近代国家を建設する過程での重大な過誤であり、責任は軍人はもとより国家・国民が等しく負うべきである。この過誤を決して繰り返してはならない。
≪政治感覚の著しい欠如≫
ところで、田母神氏は自衛隊員として論文の部外発表手続きを踏んでいない。それを十分承知の上で、日常の不満・鬱憤(うっぷん)をこういう形で、一石を投じる目的をもって公表したのであれば、それによってもたらされる影響についても責任を有する。政府の村山談話がおかしいと思うなら防衛省内で大臣相手に堂々と議論すべきであり、懸賞論文に出すなどと言う行為は政府高官のすべきことではない。
さらにこれによって防衛省改革や防衛大綱の見直し、防衛費や自衛隊の海外派遣問題などにマイナス影響を与えかねない。それが分かっていて発表したというなら政治的な背信行為であり、分からなかったというなら、幕僚長がその程度の政治感覚もなかったのかと言うことになる。
自衛隊員は呼称は何であれ、武力行使できる実行組織を指揮するのであるから、いわゆる「軍人」である。一般市民が自衛隊員をどう見ているかを、高官になれば分かっていなければならない。田母神氏は、日本の自衛隊はいかなる国より文民統制がしっかりしていると国会答弁しているが、自衛隊員がこれを言っても説得力はない。
国民には、文民統制は自衛隊員に意図があれば機能しなくなると考えている人がいる。しかし戦後半世紀、文民統制に大きな疑惑が起きなかったのは、この間の先人の自己抑制努力によるものである。今回の論文によって文民統制への信頼性を失ったとすればその責任は大きい。
≪防衛省の対応には疑問≫
他方、防衛省の対応措置には納得がいかない。田母神氏を懲戒処分にする手続きをとらずに解任し、空幕付きにして退職させた。懲戒にしなかった理由を防衛省は、審理に通常10カ月近くかかり、その間に本人が定年を迎えるので、と説明した。懲戒処分といっても実際には、個人の表現の自由が認められている限り、懲戒免職にはできず、それより軽い処分ですむ。1日も早く防衛省から辞めさせてしまいたい、審理に入ることにより省内で歴史論争がおこるのを防ぎたいという事情が合わさったのであろう。
幕僚長という地位にあるのであるから、大臣は本人に面談のうえ身の処し方を協議すべきであった。国会も参考人質疑で歴史認識論議を避けたが、立法府こそ堂々と歴史認識を論議すべきである。
今後、部外発表をチェックする制度を強化すると、自衛隊員は部外に個人の思想・信条を吐露しなくなる。何を考えているか分からない23万人もの実力部隊が存在することの方が不健全である。文民統制の本義を履き違えた議論は戒めるべきであり、自衛隊員の部外発表を規制することは論外である。
一方で、自衛隊も人材育成や教育を見直す必要がある。自衛官が政治の場を体験する機会を増やすことも考えるべきだ。幕僚長以上を国会の同意人事にすることは違和感があるが、そうするのであれば、彼らを国会審議に引き出す制度を作る必要があろう。
今回は国内世論が左右にはっきり分かれた。これは歴史認識が確立していないからであり、近代史に関する歴史教育の重要性を痛感させられる。(もりもと さとし)