菅政権誕生と同時に、民主党の支持率はV字型の回復となった。国民は、永田町の力学と関係なく、鳩山、小沢両氏の辞任を最大限喜び、世襲とか派閥と遠いところから誕生した市民運動家出身の首相を歓迎した、そのことの結果だろう。
そして、本土は菅新政権を祝い、一転、祝賀ムードに沸いたのと裏腹に、沖縄では、怒りと憎悪を超えた「溜息」の坩堝と化した。昨年暮れから5月末までの国民的関心ごとであった「普天間基地移設」問題から、民主党政権が発表した「日米合意」により、日本はまたもや本土と沖縄が二分される精神構造となったようである。
その沖縄での現実は、菅新政権政党支持率が高いにも拘らず、「政権交代」を成し遂げた前回の選挙とは打って変わって、異常な事態に陥っている。
15日毎日新聞は、「選挙:参院選 民主、沖縄での擁立断念」のタイトルで、『全国の選挙区で唯一、公認、推薦候補がいない空白区になる』と伝えている。前回の候補者全員当選を考えれば、政権与党から候補者が擁立できないのは前代未聞かもしれない。
15日の午前、菅首相は沖縄での民主党理解を深める為に、初めて沖縄県知事と会談(「普天間移設、菅首相は沖縄県知事と会談」)したとのことであるが、内容は、前政権時と全く同じ返答であったことをマスコミは伝えている。
この構図は恐らく選挙後も変わらず、菅政権と沖縄全土の対決姿勢が今秋の沖縄知事選で再度爆発することになる。早くも政権を揺るがすことになるだろう。
そして、問題はここから始まる。前政権の鳩山首相が沖縄県民に与えた混乱の責任をとるかたちで辞任したが、それで、沖縄の現実、事態回復になったかといえばそうではない。沖縄県民は怒りもさることながら呆れている。即ち、民主党政権に対して完全な不信任を与えたことになる。そこで、「普天間問題」を真摯に考えてきた本土の国民は、今の沖縄県民の「不信任決意」の決断をどれ程共有出来ているかということだ。
つまり、真っ当に考えて、民主党に対する「沖縄の怒り」は全国的に広がっていくだろう、これまでも特に昨年暮れから5月まで国民的議論になりつつあった。「全国知事会」会議でも分るように自治体レベルにおいてもその方向性が一時的にせよあった訳だ。だから、「沖縄の怒り」は本土においても浸透、広がりをみせて当然だと考えたくなるのだが、果たしてそうだろうか。看板の架け替えだけで支持率を3倍にする国民が、果たしてどこまで沖縄の最近までを考えているかということだ。発足時の支持率は、期待値というのは理解できるが、昨日の沖縄県知事との会談からも判るように、菅新政権は沖縄県民にとっては完全な期待の裏切りでしかない。そして、私たちにとってもそうでしかない訳であるが、国民ということになると話は別だ。
というのも、民主党支持率を見る限り、国民は沖縄の問題に敢えて関心をそらして政治をみているとしか考えられないのだ。従って、一部保守陣営が望む、民主党惨敗の絵は描かれず、今や国民の多くが菅政権での長期政治政策の速やかな遂行を願っているとしか思えないような穏やかな雰囲気になっている。先日の首相の消費税発言(『(参院選 政策を問う)首相の消費税発言を機に論争を深めよ』)に対しても、国民の反応は納得せざるを得ない覚悟が出来ているようで大した反発がないようだ。
要するに、今回は意識的に沖縄問題に再び蓋をしてしまう、カッコ付過去形、完全に分離地域の特性化を断定することになる。これはしばし、「沖縄差別」論とか「沖縄ゴミ捨て場」論といわれるものだ。残念ながらというのは適切ではないが、民主党の圧勝ということもある。即ち、本土の国民は、悪質を内に秘めた善良な市民ぶることによって、日米同盟を享楽し続ける道を選んだのである。
さらに、この身勝手な快楽主義者たらんとする国民に対して、岡田外務相は何とやっぱりの恫喝的発言(普天間、「地元だけで決まらず」 岡田外相が強調)を繰り出す始末だ。何と罰当たりなことか。
寄ってたかって沖縄を虚仮にしているようだ。筆者もその一人として何ともお恥ずかしい限りである。ここのところ、どいつも総理の呆れる醜態にも拘らず、「日米同盟」だけが進化するという悪夢の連続だ。もう何ともならなくなったこのかたちをぶち壊す「時点」を何としてもみたいものだが。
そして、本土は菅新政権を祝い、一転、祝賀ムードに沸いたのと裏腹に、沖縄では、怒りと憎悪を超えた「溜息」の坩堝と化した。昨年暮れから5月末までの国民的関心ごとであった「普天間基地移設」問題から、民主党政権が発表した「日米合意」により、日本はまたもや本土と沖縄が二分される精神構造となったようである。
その沖縄での現実は、菅新政権政党支持率が高いにも拘らず、「政権交代」を成し遂げた前回の選挙とは打って変わって、異常な事態に陥っている。
15日毎日新聞は、「選挙:参院選 民主、沖縄での擁立断念」のタイトルで、『全国の選挙区で唯一、公認、推薦候補がいない空白区になる』と伝えている。前回の候補者全員当選を考えれば、政権与党から候補者が擁立できないのは前代未聞かもしれない。
15日の午前、菅首相は沖縄での民主党理解を深める為に、初めて沖縄県知事と会談(「普天間移設、菅首相は沖縄県知事と会談」)したとのことであるが、内容は、前政権時と全く同じ返答であったことをマスコミは伝えている。
《普天間移設、菅首相は会談では菅総理が普天間基地の移設問題について、移設先を名護市・辺野古周辺とする「日米共同声明を踏まえて進めていきたい」との方針を示した上で、「沖縄の負担軽減については一生懸命取り組みたい」という考えを伝えました。
これに対して仲井真知事は、「日米共同声明」について「県民の期待が失望に変わってしまった」として、「実現は極めて厳しい」と伝えました。》
この構図は恐らく選挙後も変わらず、菅政権と沖縄全土の対決姿勢が今秋の沖縄知事選で再度爆発することになる。早くも政権を揺るがすことになるだろう。
そして、問題はここから始まる。前政権の鳩山首相が沖縄県民に与えた混乱の責任をとるかたちで辞任したが、それで、沖縄の現実、事態回復になったかといえばそうではない。沖縄県民は怒りもさることながら呆れている。即ち、民主党政権に対して完全な不信任を与えたことになる。そこで、「普天間問題」を真摯に考えてきた本土の国民は、今の沖縄県民の「不信任決意」の決断をどれ程共有出来ているかということだ。
つまり、真っ当に考えて、民主党に対する「沖縄の怒り」は全国的に広がっていくだろう、これまでも特に昨年暮れから5月まで国民的議論になりつつあった。「全国知事会」会議でも分るように自治体レベルにおいてもその方向性が一時的にせよあった訳だ。だから、「沖縄の怒り」は本土においても浸透、広がりをみせて当然だと考えたくなるのだが、果たしてそうだろうか。看板の架け替えだけで支持率を3倍にする国民が、果たしてどこまで沖縄の最近までを考えているかということだ。発足時の支持率は、期待値というのは理解できるが、昨日の沖縄県知事との会談からも判るように、菅新政権は沖縄県民にとっては完全な期待の裏切りでしかない。そして、私たちにとってもそうでしかない訳であるが、国民ということになると話は別だ。
というのも、民主党支持率を見る限り、国民は沖縄の問題に敢えて関心をそらして政治をみているとしか考えられないのだ。従って、一部保守陣営が望む、民主党惨敗の絵は描かれず、今や国民の多くが菅政権での長期政治政策の速やかな遂行を願っているとしか思えないような穏やかな雰囲気になっている。先日の首相の消費税発言(『(参院選 政策を問う)首相の消費税発言を機に論争を深めよ』)に対しても、国民の反応は納得せざるを得ない覚悟が出来ているようで大した反発がないようだ。
要するに、今回は意識的に沖縄問題に再び蓋をしてしまう、カッコ付過去形、完全に分離地域の特性化を断定することになる。これはしばし、「沖縄差別」論とか「沖縄ゴミ捨て場」論といわれるものだ。残念ながらというのは適切ではないが、民主党の圧勝ということもある。即ち、本土の国民は、悪質を内に秘めた善良な市民ぶることによって、日米同盟を享楽し続ける道を選んだのである。
さらに、この身勝手な快楽主義者たらんとする国民に対して、岡田外務相は何とやっぱりの恫喝的発言(普天間、「地元だけで決まらず」 岡田外相が強調)を繰り出す始末だ。何と罰当たりなことか。
寄ってたかって沖縄を虚仮にしているようだ。筆者もその一人として何ともお恥ずかしい限りである。ここのところ、どいつも総理の呆れる醜態にも拘らず、「日米同盟」だけが進化するという悪夢の連続だ。もう何ともならなくなったこのかたちをぶち壊す「時点」を何としてもみたいものだが。