落選後になぜ?廃止論者の死刑執行
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100729-OYT1T00282.htm
《同省側は法相に対し、裁判員裁判で国民が死刑か無期懲役かという重い判断を迫られるようになったため、それでも執行を避け続ければ国民の理解を得にくいことを強調していた。
(中略)
千葉法相は就任直後から、「死刑に関する議論を巻き起こさないといけない」と繰り返し、刑場を国民に向けて公開する必要性も説いていた。ただ省内には、執行を先送りしたまま公開だけを進めれば、死刑廃止に向けて歩を進めていると受け取られる恐れがあるという懸念もあった。「執行とセットでの情報公開」が、双方のぎりぎりの妥協点だった。》

民主党の議員は、信条、理念と政治的実践はどうも違ったことになるらしい。どちらが優先かは別にして、この食い違いは人格に及ぼすこと大であることから周辺を驚かすことになっている。このことは、多くの民主党議員は与党政権党としての権力者であるという自覚が持てないからかもしれない。しかし、知らずに権力を行使するほど物騒、危険なことはない。

特に、千葉さんの場合は、今回落選した時点でのインタビューで
明解に、「皆さんが、もういいんじゃないかという判断をされた。私に責任があり、重く受け止めている」とコメントしていたのだから、やはり法務大臣をきっぱりお辞めになっていたら周辺に混乱を招かなかった。

なお、死刑廃止論者として、「死刑に関する議論を巻き起こさないといけない」と主張していたのであれば、もっと早い段階でいろんな国民論議の展開があって当然である。さらに、「執行とセットでの情報公開」が、双方のぎりぎりの妥協点だった。》とあるが、省幹部との確執は、基本的には「刑を執行しない」は法律違反であるのだから、違反を覚悟して粘ることで国民論議に仕向けるのもありと考えたのかも知れないが、それ以前に、議員としてのプライドを最大限自覚して、理念、信条を主張して国民論議をする為に、法務大臣を辞退するという選択肢もあった訳だ。即ち、主義的に日本の法務大臣は出来ないという意思表示だ。立派なことではないか。

最近もこの例があったではないか。自己の基本的主義主張を展開する為に国会議員になったにも関わらず、副大臣での仕事がしたいといって、それが適わない腹いせに離党して、仕事ができない無所属になった議員がいるのと、その内容本質においては同じである。政権での役職による人格変化を引き起こすという現象だ。世間では「大臣病」という。同じ国会議員でも、自分の前にドアマンが居るのと居ないのとでは、日常の生活感覚が違うのは当たり前だ。やはり、天皇陛下から役職を賜るということの有難さは、経験者でなければ解からない、という現実だ。

両者に共通して言えることは、「権力」という魔物の怖さが理解できていないのである。つまり、この場合、権力は外部に向かったのではなく、自己の内にベクトルが向いていたという現実である。権力はそれをもった自己の人格も同時に暴力的にある種の破壊をもたらす、それを変節という、権力に度胆を抜かれてしまった人間のことだ。

民主党にはまだまだ沢山いる。昨日も「前原国交相、海老麻央披露宴で両院総会欠席」ということが伝えられた。「政権交代」を願った有権者が大に関心、心配している民主党の展望について、喧喧ガクガクしている最中に紋付き袴はないだろう。こんな時にしか着用出来ないからかも知れないが、状況を弁えたら別の対処もあったというものだ。このように権力の魔力によって議員の本来あるべき発想の基盤がぐにゃグニャにされてしまっている。

「政権交代」に美事泥を塗った民主党は、一旦、出直した方が良いかも知らない。サミットでの写真序列など気にする必要はない。

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